コンテスト「なぜ、私は書くのか」に応募したら書くのが怖くなった話
そんなコンテストに応募したこと、ありますか?
私は、あります。
おととい、その中間発表がありました。
誰を本審査に進め、誰を落としたのかの発表。
通常、こういうコンテストって
という一文が掲載され
と、その落ちた理由が知らされることはありません。
テストのように点数をつけられるわけでもなく、スポーツのようにわかりやすく勝敗が決まるわけでもなく、何が良くて、何が悪かったのかを自問自答する日々の始まり。
そしていつの間にか、もういいやと諦めて、いつも通りの自分に戻る。
これでいいのかなとあるようなないような正解を求めて、不安を抱えながら、自分なりの良い文章を書き続ける。
そんな平穏な日々に戻ることを
このコンテストは許してくれませんでした。
なぜなら、明確に「落ちた理由」が書かれているからです。
ここまで読んで、「中間選考で落ちたからその反省をこめて書いてるんだね」と思った方が多いと思いますが、
私は中間選考を突破しました。
(本当に通過したよねって、書きながら3回くらい確認した)
ちょっと信じられなかった。
嬉しくないわけありません。めちゃくちゃ嬉しかった。
息子の習い事の親子レクのボーリング大会中に、我が子がスペアを出しているのを他のお母さんたちが拍手して喜んでくれているのに、そんなざわつきや拍手が聞こえないほどスマホの画面を直視して、1人でその事実を噛み締めるほどに。
でも正直、嬉しさよりも先に怖さがきました。
通過しちゃった、どうしようって。
こんなことを書くと怒られそうですが、こう思ったんです。
この文章を読んだ後は、そんな甘ったれは許されない。
読んでないなんて、知らなかったなんて、もう言えない。
だってこの記事の中に、私の記事があるのだから。
中間選考を突破したのは、このコンテストの主催者:藤原華さんのマネージャーであるジャスミンさんが
です。
210件の応募があった中で、手タレでもあるジャスミンさんの美しい指を動かせたのは48人のnote。
その中に入ることができて、火をつけたばかりの線香花火の先端が、うまいこと丸まって火花を散らすことに成功したかのような、小さくとも激しい喜びが湧いてきました。
と同時に
せっかく灯ったその火の玉が、あっという間に落ちてしまうのではないか。これはいっときの、ささやかな夢なのではないか。そんな風に思う自分もいました。
だけど
家事をしながら
車を運転しながら
ご飯を食べながら
ジャスミンさんの書いた文章を思い出していくうちに、ふつふつと湧き上がる気持ちがありました。
だって私たちに届いたのは、ささいな心の揺らぎや不安なんて、あっけなく吹き飛んでしまうほどの温かさと厳しさに満ちた文章だったから。
涙と汗と血液で書かれた文章なのだから。
この人たちは「書くこと」を通して、真剣に物書きに向き合ってくれている。
育てようとしてくれている。
そう思いました。
だってそうでしょう。
華さんもジャスミンさんも、わざわざこんな労力をかける必要も義務もありません。ましてや人を傷つけたいわけじゃありません。
でも物書きとして成長してもらうには、厳しいことを言わなければならない。だからこうして、言葉を紡いでくれているのだと。
なんでそんなことわかるのか。
子育てと同じだからです。
私はしょっちゅう子どもに怒る小言ババアです。
10歳になった息子にいつか
「うるせぇ、クソババア」
と言われるかもしれません。
でも私は小言を言い続けるでしょう。
だって、息子が大好きだから。
ただ「言い方」「伝え方」はその時々で考えるし、変えています。
真正面から怒っても伝わらないときだってあります。怒りはエネルギー消費が激しいし、これでも平和主義者なので、できるだけ怒りたくはありません。
だから、オブラートに包んでみたり、違うやり方を提案したり、一緒にやってみたり、私ではなく夫に言ってもらったり、色々な方法で「小言」と思わせないように伝えています。
華さんとジャスミンさんの中間発表も同じです。
「なぜ、あなたの作品は読まれなかったのか」をさまざまな観点から伝えてくれています。
もう、読んでいて心が痛いです。
そんな風に文章を書いてきた自分を振り返ると、書くことが恐ろしくなってきました。
でも
私はまたこうして文章を書いています。
おととい、中間選考の結果のnoteを読みました。
翌朝、目が覚めて、お湯を沸かして、洗濯機を回して、綿のような白い雲が広がる青い空を見上げ、まだまだ頑張る蝉の鳴き声を聞いたら、書きたくなったんです。
このコンテストに込められた想いが届いたこと。それを伝えたい。
そう思って、今、空に背を向けてPCに向かっています。
私は、このコンテストからたくさんのギフトをもらっています。
きっとこのコンテストに応募した人も、たくさんの感情が湧き出ていると思います。コメント欄がすごいことになってますもん。
私がこれから書いていく理由は、ここには書きません。
まだ、書けない。
でも、1つだけ、ここに書いておきたいのは
怖がりながら書いていこう
ってことです。
だってね、ほんと、怖いんです、書くのって。
家族の中で1番に起きて、「なんでこんな‥」という芸術的な寝癖をヘアバンドで無理やり押さえつけ、洗濯機回して、お湯沸かして、お米研いで、味噌汁の準備して、冷蔵庫見たら納豆が3パックしかないからまた娘と半分こかと思いながら、お腹の調子を整える漢方薬飲んで、まだ子どもらが起きてくるまで30分あるからストレッチしようかなと思いつつ、やっぱり‥と思い直してPCに向かって書き始める。
そうやって隙間時間をぬってコツコツ書いた記事が
全然読まれない。
もう、かなしい、というか、むなしい。
文章って自分の分身みたいになっているから、「読まれない=存在否定」みたいな気持ちになって、怖いんです。
こんな気持ちになるなら書かなきゃいいのに。
そう思ったこと、何度も何度も何度もあります。
それでもこうしてまた書いています。
それはやっぱり出会いがあるから。
「ママ、なんで笑ってるの?」と言われるくらいニヤついてしまうコメントをくださる方、私の文章を「まるで上質なソファに座っているよう」だと言ってくれる方、毎回インスタのDMにコメントを届けてくれる方がいる。
実際に会ったことはないその人たちのアイコンを思い浮かべると「読まれなかったらどうしよう」なんていう気持ちを持ったまま、書き進めることはできません。
そんな風に思って書きます。
そう、文章は1人で書いてるんじゃない。
相手の声を聴いて書くんだ。
文章は「コミュニケーション」なんだ。
それが今回のコンテストで学ばせてもらったことです。
だから、怖いけど、
ほんとにほんとに怖いけど
ちゃんと仕上げます。
私は「おやつみたいな文章を書きたい」って言ったのだから
おやつとして仕上げることを忘れない。
間違っても、イタリアンやフレンチや懐石なんか作れない。
「はぁ、おいしかったぁ」とか
「おなかの減りが落ち着いたな」とか
「イライラしてたけど、なんかまぁ、いっか」って思ってもらえるような
そんな文章を書いていく。
甘いだけのおやつじゃなくて
ちょっとスパイスの効いたおやつとか
甘酸っぱいおやつとか
そんなバリエーションも出せるように。
粉モンのおやつは口の中がモソモソになるから、紅茶やチャイなんかも一緒に味わってもらえるように。
このコンテストの最終選考の方法はユニークで、だれが書いたのかが分からないようにして選ぶのだそうです。
銘柄を隠して飲む利き酒みたいですね。
まさに文章そのもので勝負。
その真剣勝負の一品として、机の上に並ぶことができた。
その事実にただただ感謝しています。
そして
「この人の文章、好きだなぁー」と思う作品が、たくさん掲載され、自分への問いかけであふれるこのnoteに、私はきっと、何度も何度も何度も、戻ってくるに違いありません。
ありがとうございます! サポートいただけましたら、より良い文章を書くために、書く以外の余白の時間の充実に使わせていただきます◎