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見える景色がガラリと変わった*高校教員を飛び出したわたしの挑戦

高校教員を辞めてから半年が経ちました。
1年前とは見えている景色がまったく違うと感じています。

私が心理の世界に足を踏み入れたのは2014年
ちょうど10年前のことです。

きっかけは東日本大震災と友人の死でした。

東日本大震災は私に価値観の転換をもたらしました。
人は本当にいつ死ぬかわからないのだ
と感じたのです。
だとしたら
今,やりたいことに取り組まなければ。

私が高校教員をしながら”いつか”心理をきちんと体系的に学びたいと感じていた。
その”いつか”やりたいことに挑戦するのは”今”しかないのではないか。
あの時真剣に私はそう感じていたのでした。

2014年は転勤しほんの少しだけ通勤も楽になり気持ちに余裕が出てきた年でした。
その年,学校で教育相談に熱心にかかわっていた友人が思いがけず亡くなったのです。

私はかねてから行きたいと考えていた大学に編入学しました。
そうして社会人として心理を学ぶ大学生活をスタートさせました。
これが10年前の私のひとつめの挑戦でした。

その後,大学院を経て公認心理師と臨床心理士の資格を得て
教員を続けていましたが,どうしたら多くの心理支援を学校で実現できるのか悩む日々が続きました。


2023年4月のある日の夜。
いつものように学校での心理支援の難しさに悶々し
ゴロゴロとふて寝をしながらスマホを見ていました。
するとふとある求人に目が留まりました。

その時。
啓示のように「そうだ,これだ!」という強烈な思いがおりてきました。
おりてきた,としか,表現できません。
ゴロゴロと寝そべってスマホを見ていた私は
その求人を見て
文字通り”がばっと”起き上がりました。

すぐに行動に出ました。
問い合わせをして履歴書を作成して。

ただ,その求人は私の経歴で採用されるかどうか少し判断が難しいものでした。
ですから信頼できる知人数人には相談をしました。

ですが,
変な話なのですが
いくら悩んで相談していても
「私はここに行くのだ」という妙な確信が腹から湧いてくるのです。
不思議な感覚でした。

現実的に考えれば
高校教員で公務員で安定した職を手放す方がリスクが高いように思えました。
やりたいことも教育現場にいる方ができるのではないか。
これから年を重ねていって体調を壊したりした場合にも公務員の手厚い保障は魅力的です。
アタマではそうわかっているのに
心がそれを許しません。
結局私はその”心”に従ってその求人に応募しました。
応募した時には「ダメもと」という思いもありました。

5月に応募して
面接に呼ばれたのは8月末です。

応募してからの期間が長かったので
もう駄目かもしれない
と何度も思いましたし
やっぱり無理だったのかな
とも何度も思いました。

面接に行ってみると雇用条件は予想より厳しかったので
面接をしてからは
もし採用されたとしてどうなっていくのだろうという不安も
何度も沸き起こりました。


それなのにというのか
それでもというのか

心の表では迷いがあるものの
なぜか
心の奥では迷いがないのです。

むしろ結果が来るまでは
”わかっている結末がまだこない戸惑い”
のようなものを感じていました。


つまりこの間私は

自分の”直観を信じていた”
のだと思います。

採用通知が手元に届いたのは10月でした。
そうして2024年4月に転職しました。

半年たった今
冒頭に書いたように私の目の前に見える景色はがらりと変わりました。

私は毎日”仕事”をさせられているという感覚は消えました。
今目の前で取り組んでいることは
自分がやりたいからやっているという感覚です。

”忙しい”という感覚も消えました。
もちろん時間的にタイトなことはあるのですが
それは私が完成度を高めようとするために時間が足りなくなるのであって
”忙しい”というのとはちょっと違うのです。
今日も「あー,もう,私は!このへんでやめとけばいいのに!!」と
自分で自分にイライラしながら資料を作っていました。
それでもやっぱりやりたいからやっちゃう。
何度も資料を見返してより良いものにしたいと感じる。

ありがたいことに
数十人単位の多くの人の前でお話をさせていただく機会が増えました。
そういう時に
私がお話させていただくことで
ほんの少し
なにか聞いてくださった方のためになったら
そう思うので
どういう表現が良いか
エビデンスのあるデータを示すことができているか
聴いてくださる方たちのニーズに合っているか
なにより
私の話が”生きて”いるのか”命”があるかどうか。

私自身が腹に落ちていない話をお伝えできない,
そう思うので
それは私自身との戦いでもあるのです。

これまで私は”生徒のために”仕事をしていると感じてきました。
矢印は私から生徒たちへ。外に向いていたように思います。

今は私は”ほかの人のため”と同時に
もしかしたらそれ以上に
”自分のために”仕事をしているように感じられます。
矢印は私から外へ,そして内へ
双方に向いているように感じます。

そうしてたくさんの経験をすることができて
気がつくとたった半年で見える景色が変わりました。
森の中から
草原へ出たように

ぱっと見える世界が広がって
「ああ,太陽はこんな風に輝いていたんだ」
「雲は刻々と形を変えるんだ」
「風は強く優しく吹くんだ」
そして
「道はもっと遠くにつながっているんだ」

そんな風に感じられるようになりました。

でもこれは
森での体験があったからこそ,
なのです。
森の中で食べ物に恵まれ守られていたのも事実です。

森の中にいる時には
その外の世界がどんな風なのか想像することはできても
外に出る方が危険な気がして。

森での経験がなければ
草原での新しい体験を新鮮に感じることはなかったでしょう。
きっとそれは当たり前のものとしてとらえられていたはずです。

またおそらく草原に住んでいる人たちからすれば森の方が危険がたくさんというように感じるかもしれません。

どの世界に住んでいても
自分が知っている世界以外のことは分からないことが多い。
わからないから想像するしかないのだけれど
わからない,ということは不安が伴います。


挑戦というのは
私にとっては
”わからない”という不安を超えてゆくことだったのだと思います。


新しい環境に私は今
心から感謝しています。

今でも
わからないことはたくさんあります。
周囲のサポートや優しい心遣いなしには新しい仕事に慣れることは難しかったと思いますし
まだまだ途上です。

それでも
高校教員という森を飛び出してみると
そこには草原が広がっていて
そうして私が森を出て草原を歩き出すことで
そうしてもしかすると他の人たちもその道を歩くことで
教育の世界と
心理の世界とを
繋ぐ道すじが
少しずつ少しずつできていくのかもしれない,と感じています。


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