20?年勤めた教員を辞めました。 学校というフィールドを出て,学校教育をアップデートするために。 改めまして。 こひつじ,です。 私は20年以上,地方の公立高校に勤めてきました。 担任×6回。進路指導主事,教務主任,それからずっと教育相談を担当し,特別支援コーディネーターを務めてきました。 プロフィールにある通り,公認心理師,臨床心理士,認定心理士の資格を持っていて,相談員としての経験もあります。児童福祉司等の任用資格も持っています。 ずっと,学校の”中のヒト”として
MBTIが流行り始めて久しい?ですが 見るたびにちょっとだけ狼狽える私です。 なぜ狼狽えるのか? その理由は後述しますが MBTIのランキングのようなものを見かけるたびに 違和感を抱いてしまいます。 * 人の”心”や”性格(パーソナリティー)”のような はっきりとは目に見えない捉えがたいものを いかに捉えていくか 昔から研究者たちはいろいろと腐心してきました。 古くはクレッチマーは体型からその性格の傾向を見ようとしましたし さまざまな因子を組み合わせを考えてパーソナリ
夏に放送していた高校生の妊娠をテーマにしたドラマ「あの子の子ども」 見終えた後に記事を書いていましたが 投稿までだいぶ時間が経ってしまいました。 このドラマ 私はリアルタイムではなくあとからちょこちょこ見ていて ようやく私も最終回を見終えたあと なるほど。 そうか。 そうだったのか。 と思っていました。 というのも, このドラマは”高校生の妊娠”という日常で実際に起きたら結構な事件を扱いながらも 理解のあるパートナー,家族,教員,医療関係者が多く登場していて ”優しい”
高校教員を辞めてから半年が経ちました。 1年前とは見えている景色がまったく違うと感じています。 * 私が心理の世界に足を踏み入れたのは2014年 ちょうど10年前のことです。 きっかけは東日本大震災と友人の死でした。 東日本大震災は私に価値観の転換をもたらしました。 人は本当にいつ死ぬかわからないのだ と感じたのです。 だとしたら 今,やりたいことに取り組まなければ。 私が高校教員をしながら”いつか”心理をきちんと体系的に学びたいと感じていた。 その”いつか”やりた
つい先日,全公立中学校に「生徒指導担当教員」を配置するとのニュースを見て「お!」と「うーん」と思いました。 取り急ぎこのニュースに接して感じたことを今回は少し書いておきたいと思います。 * * 「いいね!」と思ったところ まず真っ先に感じたのは「お!いいね」ということです。 「生徒指導担当教員」は担任を持たないことになっているのですが,この「担任を持たない」ということは単純に業務量の視点だけでなく, ”不登校”や”いじめ”を扱う際に「担任を持たない」ことがとても大事な
学校教育の現場を心理支援の視点で考える時に どうしても ”個の理解”と”集団の理解”という ある意味で相反するふたつの概念と出会います。 私は学校で教員をしている時 できる限り一人ひとりの”個”と向き合いたいと感じてきました。 ただ, 学校で”個”と”集団”の双方を見ようとする時 「個人の自由」と「集団の利益」が共存できるのか?という問題が発生することは往々にしてあると思います。 * ほんの小さな事例ですが。 私が大学院で心理を学んでいた学生の時のことを思い出します。
夏がきました。 高校野球や高校生クイズのようなテレビ番組を見ていると,猛烈に高校教員に戻りたくなります。 あの高校生特有の熱気,純粋な輝きは何ものにも代えがたい,と改めて感じます。 例えば学校行事もそう。いつもは鬱々として思い悩む生徒も,行事の時だけはほんの少しやっぱりうれしそうで。 「休みます」って宣言してたのに,ちゃんと登校してくる。そんな姿を見つけると,私は共犯的に視線を合わせてにっこりする。 照れくさそうに視線を逸らしたり,怒ったように俯いたり,はにかんだりする。 ”
つい先日のこと。 私は教員時代の元同僚の友人とダイニングバーで飲んでいました。 互いの近況報告をしたり,家族の話をしたり。 子育て真っただ中の友人はひさしぶりに外で飲めることが すごくうれしい!と とても楽しそうに飲んでいました。 もちろん私も。 さて帰ろう,と,お会計を済ませると 店員さんが笑顔で友人に近づいてきます。 「〇〇先生ですよね?」 「〇〇高校にいた」 友人は彼女のことを覚えてはいなかった様子だったけれど 時期や高校名は間違いがないらしく 曖昧に笑顔でうなずい
教員の志願者が減っていますが 私自身は教員という仕事が 個人を表現するファッション性を持ちにくいことを残念に思っていた ということを 今回は書きたいと思います。 一般的に教員は”おしゃれ”は二の次です。 シンプルに言うと,没個性&ダサさが求められていると言ってもいい,と若かりし頃は感じていました。 若い頃赤いコートを着て出勤したら「教員が赤の服を着るのはね…」と苦言を呈されましたし,服装にうるさいことを言う先輩たちがたくさんいました。 ただ,最近はおしゃれな若い先生も増えて
教員を辞めた理由に”氷河期世代はめちゃくちゃ理不尽な思いしてるんじゃね?”というのがあったので今日はそれを書こうと思います。 かなり愚痴です。 これはあくまでも私の個人として感じたことであって 特定の年代を批判したり,差別したりする意図はないことを先に強調しておきます。 私が教員の採用試験を受験した頃は 就職氷河期のただなかでした。 私自身は民間企業や別の公務員試験も受験していました。 教員採用試験に合格するまでに数年の講師期間を経ましたし, 記憶が正しければ倍率は25倍を
教員の専門性とはなにか? 私は以前の記事で,他の専門職に比べて教員が『何でも屋』化していると書きました。 社会の要請に応じていくうちに,教員の仕事の範囲が拡大しすぎた。 そのことが長時間労働時間にもつながるし 教員としての”矜持”みたいなものを失わせていて 精神的な疲れにも そうしておそらく不祥事ややる気の低下にもつながっている。 そもそも教員の本業は”教科を通して生き方を学ぶ”という意味で ”授業”に軸足があるはずだから, それが教員の専門性だ というようなことを この記
大好きだった教員の仕事をなぜ離れることになったのか,やっぱりもう少し自分なりに考えていきたい,という思いが湧いています。 最近読んだ文章の中に その答えの一端があるような気がするので記録しておこうと思います。 バーンアウト(=燃え尽き)というものがありますが この”燃え尽き”を構成する要素は3つあるそうです。 私はこの文章を読んでハッとしました。 私が教員を辞めることを決意する数か月前に悩まされていたのは,まさしくこの3つでしたし, 何よりも ”③距離あるいは離人症的感
教員を辞めて3ヶ月。 自分の時間をどう使おうか,ということを最近はいろいろと考えています。 仕事が変わって,生活が変わって 毎朝の起床時間や帰宅時間が大幅に変わりました。 休日の時間も自由に使えるようになりました。 それ以上に変わったのは,”アタマのなか”の使い方です。 これまでの生活での私のアタマのなかを思い返すと・・・ 85%くらいはほぼほぼ”仕事のこと”と”仕事にまつわる仕事のこと”を考えていたのではないかと思います。 家に帰ってからも,家事をしている時にも,ず
よく「学校の先生は世間知らず」と言われます。 学校社会という場の世間知しかない,という批判的な意味で「世間知らず」と言われるのだろうと思います。 これは本当にそう思う。 ただしそれは,よくも,悪くも,世間知らずなのだと感じています。 * 一般的には,社会の常識を知らない,という意味で使われる「教員は世間知らず」という言葉だけれど,働き方が世間からズレていることをよくわかっていない,という面でも世間知らずだと感じます。 私が心理の資格を取るために実習に行った時に驚いたこと
まだ2記事しか書いていないのにフォロワーが増えていて,正直とても狼狽えました。 ただ,このことはおそらく私が教員を辞めたひとつの理由につながるので 今日はそのことを少し書こうと思います。 私が教員を辞めた理由のひとつに『教員という立場だと話を聞いてもらえない(もらいにくい)と感じた』ことが挙げられるからです。 * 学校での子どもたちへの心理支援を考えたときに,学校にはスクールカウンセラー(SC)がいらっしゃるので,個別な心理支援はSCの専門分野だと感じています。 教員だ
なぜ教員を辞めたのか? その経緯とそこに至るまでの葛藤を少しお伝えしたいと思います。 教員を中途で辞めた多くの方が 「やりがいがあった」 と書いています。 私もやっぱり同じ。 高校教員という仕事は本当にやりがいがありましたし, 天職だった,と今でも思っています。 * 授業でキラキラした目をして「面白い!」と言ってくれる生徒の表情を見るのも嬉しかったし,そのことについて語り合うなんてことも本当にワクワクしました。 * 部活動でみんなで休日の練習を頑張った後の,なんか教員ま