葉桜の候過ぎて、入梅の候に梅は実と成する
話は、童話です。実にとんでもない内容の。ミステリー小説だって上手に書く #坂口安吾 の采配は、おそらく表記の"美しさ"すら、あまり重要視していません。
『 #ゆっくりしていってね 』盛り場人攫いの首切り騒ぎ、 #吉良吉影 はこういう話は好きなんでしょうか? 好きでは無いでしょうね、顔なんてやたら不必要なデコボコと、それに塗りたくる不潔なお白粉だらけに部位なんて。脳味噌を抜ければ、頭蓋骨で形は…いけません、止めましょう、彼らの理屈の、実行の話の方は。
安吾にとって桜の花というのは重要な要素でしょう、では我々にはどうでしょうか?結論、安吾以上ではなかろうなあと、推察します。
安吾の描いたのは所詮、森を形成しようとも、山桜のはなしです。我々は戦後に、業により各土手、各公園、各学校に個性もない桜を植えて、花を個性もなく有難がったのです。
結果、 #堕落論 教科書で紹介されてしまう、端正だと昇華されたり。しかし堕落論程度の長さのコラムスでも、今の学生、学徒が通読しているのかが、疑問です。…一回読んでしまえば無事安吾被れ、暫くアイドルも芸人も追わず済むのに、勿体無い。
いっぽう自分、ワシ。消えず、厭々農耕の地に住まうて、知らん人からのキ◯◯◯扱いでも元気よん。
アンタはどうだい?ビル街住みなんて俺よりキツかろう?ビル風なんてアンタの志しという帽子を、簡単に飛ばしていくだろう?
「花の下には風吹くばかり」
―安吾が言ってた。 #石川淳 ―
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?