破損起こす日
ママチャリを、何台も乗り継いで生きているのですが。先日現在号の、スタンドに付いている片方のバネが「ボキリっ」
「そういえば、そんなのがよく起る季節なのだな…」と紅茶も飲まず、マリトッツォも現実には食べず(さっき昼寝の夢の中では食べた、)軽く損傷箇所を触って黒くなった手を使用済みの鼻をかみ紙で軽く拭きながら思うわけです。そして夏場にあんなにキツく締まっていたハンドルの左右方向への固定も(上下とは別の部品管理、詳しくは本業の方に聞いてねん)よくチェックすると緩んでいる、どうにかせねば…。
しかし気温の低下に加えてこの週末はそういった作業やら作業用の道具を100均で買いに行くのさえも体感が寒い寒い、冷え込みと風。同じくそこを無理を通して風邪拗らせた秋の経験も何度か有るので、今日は放置です。そうでなくともそんな日は感覚が鋭敏になって機嫌が悪い悪い。コウメ太夫程度じゃ、「チクショー」じゃ済まない程荒れるのだからのだから重症だ。
お顔も、お禿も似ていない事も無い。境遇もそれ程遠くは…いいや遠いな。
「幼少期に期待されていた事を暴露される。期待されて居ない今を暴露される。犯罪者として、幸薄い当人とマスが、満足がいくまで。」
主観客観、自慢自傷他責同調。
風が吹くかと思えば、絶えていた言葉と勇気が溢れ、場合によっては自分にその能力が著しく無かったとしても望みのままの自身の葛藤を、生きている証明を、誰かがドス氏の口述筆記の様に親切に書いてくれるのです。
大作にしてくれて、引用文の様に単体では意図の伝わりにくい部分を編集して配置してくれて、更には裏取りまで。
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贅沢な囚人だこと。100年、200年経っても浮世は今日の誰かの蓄積疲労での「プッツン」と、しないと気にも留められ限界だの、解放だのを望む絶望と希望。家族だの、腐れ縁達で勝手気ままに続く事件と物語ばかりだ。
強風吹く中どっしりとした柱のある建物の中でお紅茶でも飲んでたいよまったく。ドス翁の様な博打爺とパーラーの喫煙室で安コーヒーでも構わんが。
世知辛え、世知辛え…
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