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ワーママは、専業主婦になりまして。

子供の不登校を機に、仕事を7月に退職した。
ママは、新しい人生のスタートへ舵を切った。

学生を卒業後、ずっーーと働いてきた。
2度の産休育休もあったけど、それはあくまで会社に所属してる上での休業な気持ちだった。

初めて味わう自分の所在のなさに、雲の上を歩いているような感覚。
そう、私はいま[会社員]から[主婦]へと所属が変わった。


世の中いらない職業なんて、ない。
親戚の叔父や母は、清掃業やゴミ処理場の仕事をしていた。態度や言葉から見て、自分の仕事をすこし引け目思っていると感じていた。

私が資格を持つ医療人として働いていたから、そう言える?上から目線、そう思う?本当に?

しかし実際に、その仕事をしなければ困る人がいて、その仕事をやってくれているから世の中は回っているのだ。


卑下とは逆に上昇志向が強すぎる場合のほうが、実は厄介だ。
仕事で肩書をプライドにする人は、承認欲求が大きい。
わたしは『承認欲求=捨てていい』とさえ、思っている。

・上司に、認めてもらえない。
・部下にできると、思われたい。

そんなことを思って他者を攻撃するのは、もったいない。
ならば視点を変えて、お客さま(受診者)がどうすれば安心できるのか、満足するのか。そんな方向に時間を使えばいい。《時間がもったいない》そう感じていた。

出世することに対して執着を燃やす先輩や、その下敷きになっている同僚を見ているといたたまれない気持ちになった。
[働きを褒めてもらえる]これを日頃もらえない人間は、肩書を労い・評価だと考えるのだろうか?

出世に重点を置くと、自らが苦しくなる。それならば自分の技術面の向上や他者に対して奉仕する、そこからのやりがいを見出すほうがいい。

すべてが片付いた後に残るもの。
気持ちがいいのは、絶対的に後者の方だと今でも思っている。


そんなことを考えている私も、家庭では豹変する(笑)

家庭では以前、だれも私に「ありがとう」などとは言ってくれなかった。
それは裏返せば、自分からも言えてなかったということ。
人間、ハプニングが起こらない限り自分のことはなかなか気が付かないものだ。


これはまったく本気の本音で、専業主婦ほど大変なものはないと常々思っている。
その責務たるや、個人会社の経営者と同じじゃないの。家事や連絡事、家族のフォローや予定の調整。
家の中のことを一手に引き受けなければならない。

《自分にはできない》
自身のメンタル保持ができない、と震え上がっていた。

だから働いて、そのお金を使って子を保育園に預け、平等なんだからと夫や祖父母に手伝ってもらって20年生活してきたのだ。


家事をするのがあたりまえの、ママであり妻。もちろん、対価はない。

仕事をしていたときも同じ量の家事をして、育児をしていたはず。
仕事を辞めたんだから、もっと隅々まで掃除をしたり、料理に凝ったり、やればできるはず‥と思っていた。

がしかし、できないのよ(笑)

なんでだろうか?スピード感が違う?
同じことをやっているのに、こなす内容は仕事を両立していたときと変わらない。

かかっている時間が余裕となり、子供に対する有意義な時間となっている。そうであって欲しい(笑)


いまは[家庭という社会]その中で生きる。
自分を切り替える第二の居場所を確保できればいいのだが、できない時はどこに思いをぶつければいいのか。

子供は不登校。
私は専業主婦。
いまは子供に寄り添うことを優先し、パートも状況的に難しい。


ただ

『社会と繋がっていたい』

それは私の一方的な願いなのだが。
諦めずに探していきたいものである。



迷ったり、遠回りしたぶん、他の人が見ない何かを見ています。
それがその人の「財産」です。

ゲッターズ飯田

◎不登校の子から貰った《新しいチャンス》をママはどう活かすのか?


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