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「あたりまえ」を疑うことから始めてみませんか?

週明けの平日に「今日は休みだ〜〜♫」と言っている小1不登校ムスメに、イラを通り越して、プチ切れてしまいました。

正論で、淡々と、それでいいの?と諭して泣かせてしまいました。

学校に行けないことはいま、仕方がないことだと思っているけど。

それが曲がった概念にならないように、ちいさなムスメにも納得ができるように説明する。

これはなんの試練なの?

答えを日々探しています。


澤円さんの書籍が好きで、何冊か購入し読んでいます。

この本はジャンル的には「自己啓発」に入るようですが、ビジネスにも直結しているし、不登校関連の方にもぜひ読んで欲しい1冊です。


書いてあることは会社・仕事関連の事例なのですが、不登校児の親でもあるわたしが読んでいるとだんだん、、

【会社= 一般社会・学校】
【仕事= 家庭】
【上司・同僚= 祖父母・夫】
【後輩・部下= こどもたち】

のように、頭の中で置き換えられていきました。


まあ実際は読みながら、
仕事をしていたときの悪い上司の顔がちらついてきたり。

苦難と呼ばれるような仕事をいかに効率的に面白くこなしていくかを考えていた、あのころの自分のこと。

「0を1にすることが、いかに大変で大事なのかをわかってない」1にしたあとに時間差で難癖をつけてくるやつは無視していい、と言い放つ友人である先輩の言葉。

家庭内で話の内容をうまく具現化できなくて、子を叱りながら子育てに悩んでいたであろう夫のこと。

自分には合わなかった学校という《同調圧力》から、ココロを病みながらも全力で逃げた息子のこと。

個性あふれる、わが道を行くユニークなムスメのこと。


ユニークであることは世界で唯一の存在であり、あたりまえである必要がないということらしいのです。
うちのこどもたちは、総じてみんなユニークなのですね。


最近、コメント欄でまことしやかにブームになっているこれ⏬(勝手に言っているだけ笑)


『価値観をぶっ壊す』



わたしたちがあたりまえと思っていたその価値観は、本当にあたりまえなのか?

それを『疑う』。

はたしてその価値観は誰のもので、その大多数の価値観は《同調圧力》となって目の前の大事なこどもたちを傷つけていやしないか?

それを『疑う』。

高速で進んでいる時代に《いままでのルールや慣例や価値観》はいずれ絶対に時代遅れになるのに、本当にこのままでいいのか?


そのすべてのことを

『疑う』ことからはじめてみませんか?



この多様な時代に、いまのうちに多くの価値観に触れることができるかどうか。それを活かして、自分らしく生きていくチャンスを掴めるかどうか。

その問いに対する答えが、この本の中には詰まっている気がしてなりません。



人と比べるから、不幸になる。
人は人、自分は自分。ここから幸運がはじまる。

ゲッターズ飯田

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晴れパン / 多様な学びを願う×不登校兄妹のママ
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