都の奥座敷へ その二 舞って紅 第七話
アカが、都の奥屋敷で匿われてから、ひと月程経った。不思議と、その右胸の呪詛の傷は、早くも癒えた。動くと、痛みは、まだまだ残るが、普通の市井の女子とは、そもそもの鍛え方が違う。回復は速かったようだ。
「アカ、白太夫様がお呼びだ」
「はいよ、来たな。いよいよ、お召しか」
「アカ、お前、少し肥えたか?」
「ふふふ、言い方があろうて・・・まあ、褒め言葉と取っておこうか。都では、下膨れが好まれるようじゃから」
「あはは、なるほどな、絵師がこぞって、そんな女子の絵を描いとるな」
衛士の一人が、アカの頬を抓む振りをした。そう、触れてはならぬのだ。暗に、アカは、白太夫の持ち物とされている。それでも、互いを揶揄うような戯れの仕草は、衛士たちを和ませた。アカには、母親のチシオ譲りの、健康的な色気がある。ここでは、彼らを、ほんの少し、和ませる。揶揄い、ニヤつかせるぐらいのことをするぐらいが、丁度良いことを、アカは解っていた。互いの暗黙の了解だった。一番、アカの側にいながら、ただ一人、それに乗らない奴がいた。クォモであった。
「つれない、色男じゃ、そなたは」
「何のことだ」
「まあ、よいわ、いつも、強面じゃ。眉間に皺を寄せて、つまらぬな、そなたは」
「俺のことは、都の言葉で呼ぶな、名前でよい」
「ふふふ、わかった、クォモ」
「今宵から、更に、奥渡りの白太夫様の所に行くことになる」
「クォモもか?」
「一応な。俺は、白太夫様の仰せの通りに動くのみだ。お傍に仕えるのが役目だ」
「良かった。クォモも一緒なら、嬉しいぞえ」
「なるほど・・・その言葉はわざとか?」
「何を?」
「どこぞの姫に、化けることも、できるか?」
「それは無理じゃ。我は倭の身故、おほほほ、とは笑えんわ・・・」
クォモは、咳払いをした。アハハと笑いながら、アカは、立ち上がった。
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いくらか、渡り廊下を行く。小さな設えになっていた。裏の通路ということだろう。都の殿上人の住まう、宮の半分以下の幅狭の廊下だ。周りには、鬱蒼と木々が茂っている。外からは見えないようになっているらしい。音を立てないように、そろそろと歩くクォモを真似て、アカもついていく。余計な説明は要らなかった。どの場で、どう振る舞うかなど、漂泊の民の共通の所作で、当然の心得であった。
白太夫の私室は、幾重も扉を抜けた先にあった。クォモが声をかけ、合図があると、扉は開かれた。クォモは、入室せずに、その部屋の襖の前に侍し、アカに、入るように仕草で合図した。アカは、襖を入った所で、平伏した。クォモは、すかさず、襖を閉じた。
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「よう来たな。アカ・・・まあ、入れ」
「はい」
アカが頭を上げると、部屋の奥に座している白太夫の顔があった。アカは、久しぶりに目の当たりにした。深い微笑というのか、かつて、別の時に、市井で初めて、アカに声をかけたその人だった。
「治ったか?」
「はい、小刀を抜いて頂いたそうで、ありがとうございます」
「そうじゃ、死んでもらっては困るが故な」
「はい・・・」
アカは、上衣を慌てて紐解き始めた。潔く、片袖を脱ぎ、右の胸を顕わに見せた。
「良いか?診るぞ」
「はい」
右胸は、上の内側に傷が一つ。その対照となる、外側の下に同様にあった。
「その二つの傷、まるで、痕跡・・・愛咬の痕の如くじゃな・・・相当の求めじゃ、恨み辛みも込もっとる呪詛じゃ」
「・・・敵いませぬ。こんなことされても・・・」
「流れの中の流れ、女の中の女か・・・、ふっふっふ・・・まあ、よかったのう。綺麗な胸が引き裂かれずに・・・、敵の奴も相当の手練れのようじゃな」
「はい、ええ男衆、色若衆に違いありません」
「その様じゃな。薹の幹部の色子になっとるんじゃな。呪詛が使えるというのは、そのようなことじゃ」
「術の施しを?」
「そやつも、呪詛が掛けられている」
「・・・そうなのか」
「心配な顔をしたな。アカ」
「昔、夫婦約束をする約束をしていて・・・、子どもの頃」
「ほお、約束の約束か・・・周到な若衆じゃな」
「そのようで・・・」
「その若衆と、火の中で、呪詛の上、ようやっと、結ばれたか・・・」
「さあて、我は覚えておらぬことで・・・」
「それは残念・・・流れは、良かった交わしを憶えて置かねば。そして、術を磨く」
「さあ、良かったかは?」
「・・・その御敵の名は?
「宿と名乗っておりましたが、かつては、サライという名でした」
「サライ・・・生涯の宿命じゃな」
「・・・」
「さてもアカ。そなたには、山のように、聞きたいことがある」
「はい」
「まずは誓え。我の下で務めると」
「はい、それは、今まで、我ら海の里の民は、白太夫様の命で生き存えてまいりましたから」
「アカ、我のものになれ」
「・・・はい」
「直属ということじゃ。そなたについていた、クォモと同格の、我の腹心とする」
「はい、ありがたき幸せ」
アカは、そのまま、また、白太夫の前に平伏した。そして、頷く、白太夫の手に引かれた。
「その前に、『流れの印』から、その身に刻まれた悦びを聞かせよ。数え切れぬじゃろうて、その中の気に入りを、二、三でよいが・・・」
「そのようなこと、白太夫様は知りたいのか?」
「ふふふ・・・」
「何やら、見抜いておられるのではないのか?」
「そうじゃな、そなたが、そこらの流れではないことは解っとる」
「白太夫様は、不思議な力をお持ちじゃと、皆も言ってる。我の所業なぞ、ご存知じゃ」
「でも、そなたの口から聞いてみたい、好きな男子もおったであろう」
「ダメなやつじゃ」
「ダメなやつなどない。好きになるのに理由はない。柵はないのじゃ」
「・・・そうか、やはり、そうだと我も思っていた・・・白太夫様は、アグゥに似ている」
「アグゥ・・・想い人の名前か?」
「そうじゃ。我の一番の男じゃ」
「そして、それが禁忌じゃと・・・」
「そうじゃ。だから、焼かれた。多分、そうなのじゃ。我は呪詛を受けて、アグゥは焼かれた。サライに・・・」
「聞かせておくれ、アカ」
自然とアカは、白太夫の懐に滑り込んだ。白太夫は、アカを後ろから抱き竦めた。懐かしい臭いがした。よく知った、男の体臭は、父のアグゥを思わせた。
流れの客は、アカにとって、いくつかの種類に分かれていた。アカは、感覚的にその体臭を感じて、相手に対峙していた。一番好きなのは、アグゥに似た類型の男だった。白太夫は、見た目は違うが、雰囲気と、その醸し出す、首魁としての、懐深い魅力のようなものが、アグゥと同じ様だった。多くの漂泊の民を率いている器の大きさ、そして、その男が自分を容認し、腕に抱き、優しく求め始めていることも解っていた。こんな幸せなことはない。強い、最高の男だ。アカは、白太夫にアグゥの再来を見た。
「白太夫様は、アグゥに似ている」
「父に似ているのは、組みしにくくないか?」
「そうではない、我が一番好きなのは、アグゥだから・・・」
「・・・そうじゃったな、そなたは、柵を超えた流れじゃったな」
白太夫は、アカを抱き締めた。
「アカの・・・差し上げる」
流れ巫女は、客に、唇は与えない。アカは、白太夫の唇に吸いついた。柔らかい息作りを繰り出す。
「ええ子じゃ・・・これから、我に全てを語り、教えてくれ。そなたの知ること、畸神様の話や、諸国で見聞きしたこと・・・」
「はい・・・」
「その代わり、そなたを更に、高みに惹き上げる。我とでなくては、これはできないことじゃ・・・ふふふ・・・それを流れの業とせよ」
アカは、愉悦と、期待に満ちた表情で、白太夫を見つめ、しがみ付いた。残した片袖も脱ぎ捨て、媚態の限りを尽くし始める・・・。
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襖の外では、クォモが、見張りとして侍していた。
これから、長い薹との闘いが始まる。白太夫様と、アカを護るのが、自分の使命だ。ひとまずは、アカを癒し、白太夫の下に引き合わせることができて、ホッと胸を撫で下ろした。
やがて、白太夫の施しにより、アカの憚らぬ、妙なる声が、闇の中に響き始めた。
みとぎやの小説・連載中 都の奥座敷へ その二 舞って紅 第七話
アカの「ダメなやつ」は、恐らく癖になっているのかもしれませんが。
いわゆる、今でいう所のファザコンなのかなと。
海の民の里への襲撃が、侵略者である、薹の仕掛けであるのと同時に、アカは、宿=サライの意趣返しであることも見抜いていた。普通ならば、真っ先に自分が殺されるはずが、そうされなかったのは、宿の私怨が原因なのだと。薹は、恐ろしい魔道を手に入れているらしい。果たして、それに対抗することができるのか?
前段のお話はこちらからになります。宜しかったら、未読の方は、纏め読み、お勧めです。