読み専門のクリエイターがいても問題ないよね?🐼将来有望な人は下積み期間が長い?💛
noteの世界には面白い人が大勢います。例えば、アカウントだけを作ってほとんど記事を投稿しない人です。
でも、私はそれでもいいと考えています。書けない時は書かなくても問題ありません。何が何でも書きたいことが頭と心から出て来ないということは、圧倒的な読書量と思考時間、経験、そして苦悩の日々、欲求が不足しているのです。
それらを補うために、しばらくの間は読み専門でnoteを楽しんでもよろしいのではないでしょうか?
今回は、記事を書けないのであれば記事の読書で楽しむことの大切さについて取り上げます。
昨日の記事はこちらです。
記事を長期間書けている人は過去の蓄積が多い
私はそう思います。なぜなら、過去の膨大なインプットと思考、さらに経験を元に、その時考えたり感じたりしたことを文章で書いているからです。
ですから、今現在記事のネタで困ったり長文文章を書けなかったりしている人は、まずは積み重ねが必要ということになります。
もちろん、それらは苦痛を伴うものではなく、できる限り楽しいやり方がいいです。
なお、若い頃の私のように、神様(?)や創造主(?)の試練を無数に経験し必然的にそれらを乗り越えざるを得なかった人々もきっと大勢いるはずです。
そのような経験もまたその人の財産であり蓄積なのです。それらを自分の好きなように調理して文章化することもまた意外と楽しいものです。
心の傷がある程度癒えているならば、少しずつそれらの経験を書いて行くことも良いかもしれません。
読み専門のクリエイターがいても問題ないよね?🐼
上の大見出しを踏まえますと、過去の蓄積がない人たちは、現時点では読み専門でも問題ないと思われます。
noteというプラットフォームに出会った人たちやnoteで記事を書くことに興味を持った人たちは、noteに縁があったということです。そして、その人の人生において、その縁が何かしら大きな意味と価値があったことになります。
ですから、その折角の縁を手放すことはもったいないです。
過去の私は様々な人たちと不可思議な縁がたくさんありました。しかし、それらの縁をあまり大切にして来なかったところがあります。特に、女性との出会いは(笑笑笑)。
今は書けなくてもいずれどうしても書きたくなる時が来ます。それまでは、長期間読み専門でnoteを活用することも素晴らしいことです。
最後に 将来有望な人は下積み期間が長い?
私たち地球人は人それぞれそれなりに苦労するものです。それが人によっては艱難辛苦や七難八苦のような人生の場合もあります。
そして、今現在中高年になっても、それらの自分の人生と闘っている人も多いことでしょう。
ですが、人は、それらの最善策や人生の処方箋を必ずしも持っているわけではありません。そのような時は自分の与えられた人生を前向きに取らえて、自分にとっての下積み期間として受け止めるしかないかもしれません。
それらを記事で書くことによって後世に残すことができれば、私たちが生まれて来た意味と価値があったと言えるのではないでしょうか。
なお、私は古文が好きです。なぜなら、今から1,000年ぐらい前に書かれた古事記や枕草子、源氏物語などを読めることは、非常に楽しく喜ばしいことだからです。鎌倉時代に書かれた徒然草などは、常識や思考力を養う上でも学生が学ぶ価値は大きいと思われます。
noteというプラットフォーム(サーバー)が30年以上残ることはあるかもしれません。しかし、1,000年以上残ることはほぼ不可能でしょう。それでも、私の記事が未来の若者や中高年の目に留まることがあれば、それは至上の喜びと言えるでしょう。
<今日の日記>
体調は良いのですが、昨夜もあまり寝られませんでした。食べ物が良すぎで元気いっぱいになり過ぎたのかもしれません(笑)。今日はあまり暑くなくて助かりました。
イラスト素材:まだ寝てたいアニマル
最近の私はあまり眠くないです。これもまた例の食べ物の影響かもしれません。とにかく元気が出て来て体力が増した感じです。
今日のイラストは、以前の私に当てはまっていたものです(笑)。
今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。