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読書は大切である🐼だが、厳しい現実社会においてそれだけでは全く通用しない💦

子どもの頃から両親や学校の先生などに読書の大切さを強調されて来た人たちは多いはずです。私もその通りだと思います。しかし、現実社会の荒波が読書の知識や間接体験を遥かに凌ぐという厳しさを実感することは、比較的若い時期のそう遅くないうちに誰もが経験することではないでしょうか。

私も、小学生や中学生の頃には、その厳しさを痛感していました。それでも、大学生時代に大量かつ質の高い読書ができたことは、私にとっての最大の財産になりました。

ですから、「読書抜きで人生を渡り切ることは難しいよ」という大人たちのアドバイスに共感しながらも、「でも、読書だけでは駄目だよね?」という立場で、今日の記事を書きます。

最後までご覧いただければ幸いなのですが、現時点では何を書くかは全く決まっていません(笑笑笑)。いつも通り思い付くがままに書いて行きます。随筆や随想、エッセイなどはそういうものだと思います。

なお、noteの活動において、私は全く計画性がないです(笑)。


昨日の記事はこちらです。



子どもの頃は全く本を読まなくかった私

私の小学生時代は、外遊びが中心でした。私の両親はそれなりに教育ママとパパでしたが、学校が終わると夕食前まではずっと外で遊んでいました。

正直なところ、この頃の学校の成績はそれほど抜きん出ていたわけではないです。でも、算数だけは成績が良くて、あまり勉強しなくても最上位の成績でした。

そんな私が小学4年生になって運動部に入ると、状況がまるで変わりました。不思議なことに、算数以外の成績も上昇して来たのです。それなりに家庭学習はしましたが、その成果が出て来た時期はなぜか運動部で毎日真面目に練習をした頃と重なっています。

大学生以降教育関係の本をたくさん読むようになってからわかったのですが、運動すると人間の頭は良くなるそうです。私の場合、小学4年生頃からその成果が出ていたようです。

ただし、小学生の頃は全く読書をしませんでした。学校の授業では国語の時間がいつも苦痛で、読書感想文の時間は私にとっては拷問の時間でした(笑)。今でこそ8,000~12,000字程度の文章ならば短時間で余裕で書けますが、当時の私は全く文章を書けませんでした。

本を読まなかったツケが高校生になってから訪れた

中学生時代も相変わらず読書をしませんでした。当時読む本と言えば、将棋関連の本ぐらいで、それ以外は学校の教科書だけでした。

ただし、学校の成績だけは順調に伸びていたので、その頃の私は読書と学校の勉強の関係に全く気が付いていませんでした。

その後、高校2年生の1学期までは学業に関しては特に問題なかったのですが、夏休みぐらいから大きな挫折を味わうことになりました。

それは、英語の日本語訳をしていると、その日本語の意味がよくわからないのです。特に、哲学系の文章などは作者の言いたいことが不明で、その頃から学校の成績は下がり始めました。

なお、この原因がわかった時期は、私が大学生になった頃です。つまり、読書不足が主因だったのです。

大学生時代に社会の一部を垣間見ると読書が絶対ではないことに気が付いた

その後、某国立大学の教育学部に入学後は、先輩から紹介された学習塾のアルバイトに熱中しました。

そこで一番痛感したことは、どんなに学校の成績が良くても、仕事で通用するとは限らないということでした。

大学入学時の私の成績は、合格者の中では上位だったと思います。ですから、多少はやって行ける自信はありました。

しかし、アルバイトの世界では、その自信は意味がありませんでした。仕事に関しては、すべて一から積み上げる必要がありましたので、義務教育時代や高校時代の成績はほとんど関係がありませんでした。

ただし、当時の私はすぐにそのことに気が付いて、自分を変えて行きアルバイトでも仕事でも急激に成長することができました。その結果、1年後には3桁はいたアルバイトの中では、授業がわかりやすい講師NO.1になれました。

ですので、学業と読書と仕事(アルバイト)を有機的に結び付けることができたと言えます。

学校の勉強と読書と社会体験を結び付けることができれば結果を出しやすい人生になる

以上のことは、社会人になってからも有効に生かすことができました。

私は本来真面目な性格でしたので、同期の中ではすぐに頭角を現しました。また、先輩たちの実績を短期間で追い越しましたので、一目置かれる存在になったことは確かです。

ですので、読書の時期が遅かった割には、結果を出せた前職時代を過ごせたと思います。

人間関係が最大の障害になることは間違いない

読書は大切なことです。このことに異論がある大人たちは少ないはずです。

しかし、人間関係を円滑に保つことためには、読書だけではどうしようもないところがあります。

私も、10代だけでなく、20代以降の人間関係も相当苦労しました。人間の感情は複雑怪奇で、本から得た知識だけで上手に乗り切れるほど甘い人間社会ではないです。

特に、嫉妬による周りの大人たちの言動には、私はあまり上手に立ち回れなかったと思います。本当に負担が楽になった時期は、30歳以降です。

読書に熱中する時期は人それぞれである

noteクリエイターの皆さんは、それぞれ読書に嵌った時期があるはずです。

私の場合のそれは、大学生時代でした。しかし、早熟な人たちは、その熱中の時期が小学生時代や中学生時代のこともあるようです。

そして、そのような人たちは、比較的大学受験などは難なく乗り切っている印象を受けています。

最後に 人生の荒波は読書の間接体験を遥かに凌いでいるが、しかし・・・。

人生の荒波は非常に厳しいです。これらを乗り切るためには、読書は必要不可欠です。

ところが、私たちの人生においては、本に書かれている以上の出来事が起こります。それはまさに試練であり、時には、自殺まで考えるような辛くて悲しいレベルの話となります。

幸い、現代人には、インターネットがあります。そして、その中で専門家たちやセミプロたちの意見や指導を無料で受けられます。

ですから、「学校の勉強」と「読書」と「社会体験」に加えて、「インターネットの有効活用」ができれば、現代人の荒波は昭和や平成の時代に比べれば相当楽な小波・細波(さざなみ)程度かもしれません。

<今日の3行日記>

昨日の午後から私の機嫌が良いです。なぜなら、ヤフーメールにおいて迷惑メールが一通も来なくなったからです。特に対策を行っていませんので、この激変は不思議です。

イラスト素材:本読むパンダ

今日のイラストは記事にマッチしたものになりました。このイラストは今日のパンダイラスト1ページにあったものです。

イラストを探すことは面倒です。それで、できれば最初のページから探すようにしています。今日はたまたまその1ページ目にありました。

最近のイラストはいつもそんな感じで負担が減っています。

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。


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