ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』12第二編「六 こんな男がなぜ生きているんだ!」
PTAで揉めている。
私は、別のグループなので、その揉め事に介入することはないけれど、みんなで決めているので、最終的な判断ができず、いつまでも決まらないということのようだ。
リーダーの役割は、そんなときに片方に遺恨が残らないように説得しつつ、丸く収めて決断することであろう。
そりゃあ、やりたいとは思わないよね。
リーダーは暴君でもダメで、グループに入りすぎてもダメ、微妙な立ち位置を維持する必要がある。微妙な立ち位置の維持こそ、一つの技術であると思う。
カラマーゾフ家も揉めている。
長兄のドミートリイ、金と女で、フョードルと揉める。
その話に行く前に、イワンの思想問題が提示される。
イワンの思想問題とは、不死がなければ善もない、というテーゼのことだ。
不死というのは、魂の不滅ということで、天国で幸せに暮らしましたとか、転生の時に善行がどう(これはキリスト教ではないか)、とか、そういうことだとして漠然と理解し、それがなければ死んで終わりなんだから善行なんかしても意味ない(あくまで現世での意味しかない)よね、ということなんじゃないか、と思った。
で、ドミートリイがこれにピンと来ちゃう。
それに対して、フョードルは、こいつらはシラーの『群盗』のキャラみたいなもんだから!という。
『群盗』は知らなかったんだけど、ある王の長男が放蕩してて謝りの手紙を出したら、それを弟がゲットして「お前なんか勘当だよー」という父王の偽手紙を出し、長男は嘆いて群盗の群れに身を投じる。それで弟は遺産も相続して、ウハウハと思いきや、兄と結婚するはずだった女性に言い寄ったら拒絶されて、そんなことをやった自分を悔いて、自殺するんだけど、それを知った長男はその女性と会って一連の件を聞いた時、「俺は取り返しのつかない悪いことをやってきてしまった!」と悔いて、その女性の望みである「私を殺して」という要求に従って、女性を刺す、というストーリーだったかな。亀山さんの本に載ってた。
で、そんなヤバいキャラに例えられたドミートリイはキレて、いや神父たちもキレて、逆ギレしたフョードルがドミートリイに対して罵詈雑言を投げかけ、アリョーシャは「ヤバいよヤバいよ!」ってなって、ミフーソクは「あーあ、やっちゃった」となって、イワンはジメっと沈黙して、どうしようと思った時に、長老がドミートリイにひざまづいて収める、というシーン。
ここフョードルの逆ギレが見ものです。
で、長老がドミートリイにひざまづいた時には、
あれは象徴かなんかですかな、とか呑気なことを思うんですけど、これも落差がとてもいいですね。
ドミートリイも逆ギレするんだけど、翻訳が罵詈雑言なのに格調高いので、滑稽感は感じられないんだけど、裁判官の前で逆ギレし合うオッサン(例えば堺雅人)とアラサー(誰にしようかな)を日本語でやってみたら結構笑えるじゃない。そういう感じ(違うかな?)。
フョードルも大概だし、ドミートリイも後でアリョーシャに告白するように鬼畜なんで、クソミソ一緒な感じがなんとも言えないよね。
という章でしたな。