ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』13 第二編「七 出世主義者の神学生」
ここは、ぐったり疲れて休んでいる長老の傍にいたアリョーシャが、促されて家族のいる場所に向かう途中に、「出世主義者の神学生」であるラキーチンにあれやこれやと言われて、辟易していると、ひと悶着あった家族が出て来て、ありゃりゃー、となる節である。
ラキーチンのことを私はあんまり好きではないのは詮索好きで介入好きのように感じられるからである。ほっとけよ、と思うけど、この人は、おせっかいというかいっちょかみしたいのか、あれやこれやとアリョーシャに言って来る。こういう人がちょっと苦手だ。
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脱線なんだけど、僕は亀山郁夫さんのNHKカルチャーアワーのテキストを副読本として使っていて、これは初読者にはとても親切で、これを読めば逆に本文を読まなくても分かった気になれるかもと思ってしまうほどの出来栄えである。
そこに、ドストエフスキーが意識した本が紹介されていて、
ヴォルテールの『カンディード』
シラーの『群盗』
なんかが下敷きになっているということを解説してくれている。
で、ウチに『カンディード』は絶対あるし、『群盗』もどうだったかな、と探したら、あった。ビバ昔の俺。『群盗』なんていつ買ったか覚えてないし、シラーなんて、絶対後回しだな、と思っていたにも関わらず、よく買ってたな。
で、読んでみると、弟のフランツ、超よろしくない。結構嫌な奴で、そんなフランツになぞらえられたドミートリイ、そりゃ怒るでしょ、と思った。というか、この時代、みんなシラーの『群盗』の中身を知っていたのか、と思う。
我々からすると、なんだろうね。『忠臣蔵』みたいなものかな。それに付随した堀部安兵衛の高田馬場の決闘みたいなものか。
フランツ(兄を放擲して、そのいい名づけのアマリアと結婚しようとしている弟)が、兄を慕うふりをしてアマリアに言い寄ると、アマリアはそれを見破って、この嘘つき、卑劣漢と言うんだけど、それが見破られて、「今に震えあがらせてやるからな!」と言い捨てて出ていき、その上で、「早く親父が死なねーかなあ」とか言い放つ、コイツ鬼畜でしょ。
親父の体調が持ち直してきたときに、フランツ、こんなこと考える。コイツ鬼畜だね。
いや、面白いね、シラー『群盗』。愛憎あり、戦闘あり、クライマックスあり。
最後の、最愛の恋人を刺さなきゃならない場面、思った以上にダブルバインドでつらいですよ。昔の枷(アマリアとの結婚)と現在の自由(群盗の長としての義務)に引き裂かれて、カール、俺がやる!っていって、自由の方をとるんだよね。これ、結構、泣けますよ。
取り違えの悲劇であり、そこに込められた強度といい、さすが文豪。太宰が好きなのも納得がいった。完全に北斗の拳ですね。あ、逆か。
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ここで、グルーシェニカ(小悪魔系)という女子がつくった三角関係
フョードル × グルーシェニカ × ドミートリイ
と
カテリーナ(セレブ系)という女子がつくった三角関係
ドミートリイ ×(婚約) カテリーナ ×(魅惑) イワン
が
示される。
で、ラキーチンは足フェチなんだよね。
なんなんだよ、こいつら(笑)