面白かった。
今までの自分の読んできた乱歩文献の中で、一番面白かったかもしれない。
この中で、小林信彦が一時期、上越の高田に疎開して、旧制高田中学校で学んだ時期があったことを知った。年齢からして、先年亡くなった義父の一つ上の世代なので、どこかでニアミスをしているのかもしれないと思った。義父は、新制高田高校に学んでいるから、制度の移行期にあたり、把握が難しい。
小林信彦の疎開での嫌な体験を描いた『冬の神話』も、もう手に入れるのは難しいものだけれども、再販を願う。
小林信彦氏の人生は、私も共感するところが多である。彼ほど突き詰めることができず、また、才能にも乏しかったから、こんな感じになっているが、wikiで氏の前半生をみると、なんともいえない懐かしさというか、エンパシーを思う。
そんな小林氏が起死回生、『ヒッチコックマガジン』の日本版の編集長を拝命した。その役割を預けたのが、江戸川乱歩であった。
『回想』はちょうど、このヒッチコックマガジン時代の記憶にあたる。
『ヒッチコック・マガジン』は、『平凡パンチ』につながる要素を持っており、『新青年』(~『宝石』)~『ヒッチコックマガジン』~『平凡パンチ』と、ある意味でおおざっぱにいうと、日本の男性サブカルチャーの流れをつくってきた。
そんな小林信彦氏が、乱歩を思い出す。
乱歩の面倒見のよさ、みたいなものは、奥さんの回想でもあった。会社時代の友達が何人も居候していて、みかねて奥さんがあの人たち出ていかせたら、と言ったら、お前の方が後に来たんじゃないか、出ていくならお前の方だよ、とか言ったとかなんとか。
乱歩は細かいところまで見る人だった。
乱歩は谷崎とは、どこか通づるものがあったらしい。
谷崎と乱歩の亡くなった時期は、ほぼ同じらしい。
江戸川乱歩は、背の高い人だったらしい。
乱歩は、モダニズム期に流行した「エロ・グロ・ナンセンス」の作家だと思われている。けれども、実はモダニズムがあまり好きではなかったらしい。
小林信彦氏の乱歩評には、とても鋭いところがある。
まず、乱歩作品は、青春の陰画だということ。
そして、つねに懐かしさのようなものが仕掛けとして含まれている、という。
この「さびしさ、なつかしさ、こわさ」のセットは、近代がある意味で振り捨ようとしているものだろう。
近代から生み出された探偵小説・推理小説というフォーマットの中で、近代が振り捨てようとしている「さびしさ、なつかしさ、こわさ」を表現しようとしている矛盾が、江戸川乱歩の本質であり、その矛盾を両立させようとしたのが、江戸川乱歩のやろうとしてきたこと、だったのだといえる。