咳の音・くしゃみの歌・春 ~村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』35~
妻は喘息持ちで、学校から帰ってきた時に、発作が出ても、家に誰もいないから、1人で丸まって発作が行き過ぎるのを待った、という経験があるので、同じく喘息持ちである上の子の咳が癖になっているのを聞くと、「我慢しなさい!」と言い、上の子は所在なく必死で咳が出るのを耐えていた光景を思い出す。
今は大きくなって、咳もそこまで出ず、秋口や季節の変わり目になっても、そこまで咳き込むことは無くなったので、よかったと思いつつ、我慢をすることで咳のコントロールを覚えた上の子のメンタルが安定してきたことを、誇りに思わなくもない。本当に咳などコントロールできるのかわからないが、妻が言うには、息を深く吸い込むと咳を出したくなるので、浅くゆっくりと息をすれば止まるのだという。
上の子が咳をし出すと、不穏な空気になってきた状況を経験しているので、今でも、電車の中で規則的な咳をする人がいると、なんだか緊張してしまう。
コロナ後の咳の音、風邪の咳の音、痰が絡んだ咳の音、タバコを吸っている人の咳の音、鼻水が降りていて刺激を受けて起こる咳の音、いろいろな咳のパターンがあるが、今日電車の中で出会ったおじさんの咳の音は、明らかにタバコを吸っている人の咳の音だ。
くしゃみもまた人によって特徴がある。できるだけ音を抑えようと細かくくしゃみをする人。わざと大きい音を出して一回で済ます人。なぜか、くしゃみをした後に、長く尾を引く音で歌う人。楽しくあろうと日々、こうした観察によって、心を宥めているから、許せるのだが、基本的にはわざと大きな音でくしゃみをした挙句に、なぜか「うう〜〜〜ん、ショイ!」みたいに歌う人は、苦手である。
「ショイ!」は要らないだろうが、と思う。百歩譲って、伸びる音は、現世に戻ってくるための儀式であると捉えられなくもないが、「ショイ!」はなんだ気合いか、とコケる。そして、おじさんだと思って混んできた電車内を振り向いてみたら、私よりもちょっと若く30代後半くらいの小太りな、それでいて、昔のカーレーサーみたいな茶髪の男性だったので、なんだかガッカリした。まあ「チョレイ!」みたいなものなのだろう。
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「僕」は五月の末に刑事のひとりに出会った。「文学」と「僕」が呼んでいたその刑事は、わざわざ声をかけてきた。そして、なぜか勢いで、喫茶店に入った。
「文学」はカマをかけてきたが、「僕」はいなした。メイという名前も、経歴も知らないふりをして、「文学」の話に耳を傾ける。
高級売春組織に行きついたという。しかし、手入れをする予定日に、突撃してみると、すでにもぬけの殻だったという。その手入れの情報はどこから漏れたのか。おそらくは警察の上層部だろう。連中は死体などみたこともない。自分は今回、メイの死体をみて、絶対に犯人を捕まえてやろうとおもった。しかし、その糸は切れてしまった・・・
「文学」は、「僕」にやけに日焼けしているじゃないですか、と聞いた。ハワイに行っていたと、「僕」は答えた。いい御身分ですねえ、と「文学」は言った。そして、こんな殺しに興味があるんですか?と聞いた。「僕」は別に、と答えて別れたが、胃に嫌な感じが残った。
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電車に乗ると色々な人がいる。電車の運転席の真後ろに陣取り、前方を眺め続けているおじさん。両手をなぜか窓枠の両側にかけて、世界の確定をしている。意外に手が綺麗でびっくりした。
私の手は、築地で働いていた頃から冬はひび割れ、家事をやるようになってからはボロボロになるだけではなく、爪の付け根や、爪周りがピシッと切れるようになっていった。
もしかすると、料理人の人かもしれない。私のような労働者は別にして、築地に買いに来る男性は、人の口に入るものを作っている関係から手先には気を使っていた印象がある。
私の手をみる。そろそろ、春だ。かさつきがなくなっている。湿気が、私の手に少しずつ戻り始めている証拠だ。
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