ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』1 ~「作者の言葉」~

どこかのスカした小説家が、この世には『カラマーゾフの兄弟』を読破した人と読んでない人の2種類いるとかって言ったとかなんだとか。うるせーよってな気持ちに夜中になって、でもなんとなく後ろめたい気分になって、あの小説家なんつったっけか夏樹だか春樹だか、検索したら池澤じゃなくて村上だった。どっちもどっちだな。てことで、俺も重い腰だけじゃない、腹も頭も体全体を起こして。とうとう『カラマーゾフの兄弟』に挑戦してみようという気になった。

人に言われて読み始めるの違うよね、とか自分の中の声が言うし、『偶然の音楽』もオー・ヘンリーもお前、積み残したまま次行くの?と、自分の中の別の声が言うけど、知ったことかよ。村上の話も、ミリガン崩れの別人格の声もしらねー。とりあえず、今『カラマーゾフの兄弟』の気分だから、その気分に乗るだけ。飽きたら、そのまま駅のゴミ箱に捨ててやる。

そもそも長え、そして未完。オチとか結末とか、カタルシスとかないんだろ?よく読むよな。それなら百歩譲ってツミバツの方が良くね?なんて、悪態をつきながら、とりあえずたまたまそこにあった新潮文庫の『カラマーゾフの兄弟』を手に取る。「作者の言葉」を読む。

わが主人公、アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフの伝記を書き起こすにあたって、わたしはいささかとまどいを覚えている。

お、ちょっと、印象が違うぞ。面白そうだぞ。

ほかでもない。アレクセイ・フョードロウィチをわが主人公と名づけはしたものの、人間として彼が決して偉大でないことは、わたし自身よく承知しているし、そのために、こんな種類の質問を避けられぬのが予見できるからである。

ほほう!さすがは『地下室の手記』の作者である!書き手の悩みを見せるふりして、どんどん読者を中に引き込む。巧いやり方だ。

誰だっけ、なんとかJrだっけ、全ては『カラマーゾフの兄弟』の中にあるので、それ以外を自分はやるしかなかった、みたいな発言。うるせー、しらねー。この啖呵も、むかし、ブログやってた方のパクリなんだけど、あの人どこに行ったのかしらね。面白かったなあ!それとおんなじ匂いを「作者の言葉」には感じる。要するに、ドストエフスキーという奴、その辺のおもろいおっさんくらいの気持ちで読むほうがいいんじゃないか。時々いるじゃない、妙に教養のあるオッサンが。でも、ボロボロの服着てる人。そういう感じじゃないかしら。

そんなゴロツキみたいなドストエフスキーという奴の話を、バフチンとかなんとかいうニコチン中毒がわっしょいと担ぎ上げちゃったもんだから、これまた権威ってやつがついちゃったんだな、ドストエフスキー自体は、権威が欲しくてしかたなかったのに、死んでからマジで神、みたいに言われても一銭にもならねーよ、って思ってるんじゃないかしら。それくらい、ふところのふかいゴロツキ、愛すべきゴロツキ、要するに神ってことかしら、まあ、そんなふうな気持ちで、『カラマーゾフの兄弟を』読んでいくことにします。

途中で、止まったら、それはそれで。

どうでもいい。

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