終わりと果て・歴史・また陽も昇る ~村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』 30~

この『ダンス・ダンス・ダンス』も終盤に差し掛かろうとしている。全44章なので、あと15章となる。そういう指標で、物語がどう動くとおさまりがいいのかを考えながら読んでしまうのは悪い癖かもしれない。

人生は終わらない。物語は、それでも一度終わらなければならない。「終わり」は一度きり。しかし、物語は何度も「終わる」。人が小説に読んでいるのは、本来原理的に訪れないはずの「終わり」という特異な経験なのかもしれない。

ポール・セローの有名な小説に「World’s End」というものがあって、村上春樹は「世界の果て」と訳していた。これを「世界の終わり」と訳する場合もあって、どちらでもよいと思うが、どちらにするかによって人の性格が出てくるような気がする。

「終わり」という感覚と「目的の達成」という感覚は似ていて、終末論的な見方と関連していると言われる。本来人間の生というのは生と死の循環。星が軌道を描いているから、という意味もあって循環。春が来たら冬になってまた春になるという循環。

しかし、そんな循環する時間感覚に、直線的な時間感覚を導入したのが、終末論的な発想だと言われる。俗にヘーゲルの「絶対知」への弁証法的接近過程(『精神現象学』)とか、社会の発展段階の歴史化(『歴史哲学講義』)とか、そうした人間社会の終末論的=目的論的なとらえ返しがあったとかないとか知らん。で、その際に、終末=目的という共通のイメージとして英語のEndが訳語となったとかなんとか知らん。

というわけで、World’s Endのエンドは、「終わり」でも「果て」でも、何か約束された目的の場所に向かって直線的に時間が動いているという感覚を得るようになったらしい。知らんけど。

私は「果て」の方が、なんとなくフロンティア感があって好きなんですけどね。

ハワイでダラダラと過ごしていた「僕」とユキが、あるときホテルへと帰るために車を走らせていると、「僕」は目の片隅に何かを見つけたような気がして、車を急停車させる。そして、ユキをその場に残して、「僕」は目に捕らえたはずのキキの後を追う。

追いかけても、追いかけても追いつかない。見えるのは後ろ姿だけ。ある建物に入り、エレベーターをあがり、そして、ある部屋に入ったことをかすかに見届けた「僕」はその部屋のノブを回し、鍵がかかっていないことを確認し、意を決して中に入る。

するとそこには、TVを見つめたり、ソファに手をつないだまま座っているような人骨が六体残されていた。あたかも、この「僕」のストーリーに出て来る主要人物たちがすべて、白骨化して残されているような部屋。しかし、「僕」はふしぎと怖さは感じず、窓のそばに落ちていた紙片に電話番号が書いてあるのをみつけて、それを拾い、車に戻った。

ユキは迷惑そうな顔をしていたが、「僕」の顔を触ると、何かが見えたようで、「かわいそうに」といたわってくれた。そして、「僕」はそろそろ日本に戻らないといけない、とユキに告げる。ユキもそれを了承する。

部屋に戻り、一人になって、その部屋で拾ったメモに書いてある電話番号に電話するも、誰も出ない。なぜだろうと思って、そのメモを前回に部屋に押しかけて来たプロスティテュートにもらった電話番号と照合すると、同一であることに気づく。何かがつながっている。しかし、「僕」はその継ぎ目を理解できずにいる、と思う。

「僕」は、それで東京へと戻ってきた。

もうすぐnoteも一周年。自分も、そろそろ社会人になろうと思って、経済を知るSNSなどに登録したり、国際経済誌や国際政治誌に登録してみたりした。そして、そこで展開されているビジネスマンとして成長するために歴史を知ろう、みたいな記事をみて、悩ましく思った。悩ましいというよりも、これを有料コンテンツにするんだ、と苦笑したというのが正しいかもしれない。

歴史には、「物語の層」と、「物語を支える史料群層」と、の二層があって、史料群の中から持ってくるものによって描ける歴史の物語が変わってくる。中には、史料のそのもの偽作する人もいて、そこから導かれる歴史物語こそが正しいと主張する人もいる。

歴史家という人は、基本的に「物語を支える史料群の層」の存在や広がりを知っており、そこに書かれている情報が真か偽か、どういうバイアスがかかっているのか、誰が書いたのか、どういう文脈で書いたのか、を検討してから「物語の層」を描こうとするものだ。本来は「物語の層」を参照するだけで、もう一つの歴史=物語を書いたりは基本しない。しかしながら・・・とうわけだ。

私は根が悪い人間なので、それを正そうとしたいわけではない。逆に、あ、これがマネタイズできるなら、俺も…と思ったに過ぎない。思い上がりかもしれないが、世に流通している歴史=物語を切り張りして、人を励ますことが商売になるなら全然やってもいいかもしれない。ただ、励ましは、必ずしも人を成長させるわけではない、とも思った。

先日、Bump of Chickenの有明アリーナのライブに行った。二階席の正面なので、落ち着いてみられた。セットリストも、ファン垂涎のものであった。久しぶりに声を出していい、ということなので、アリーナ席の人びとは張り切っていた。「藤君~~」と男の野太い声が響くたびに笑いが漏れていた。その笑いが、何となく楽しそうだった。

子どもが、第四次中東戦争は何年か、と聞くので、1973年でそれが遠因でオイルショックが…と説明しているところで、そうか自分は1974年のオイルショックに生まれ、バブルで思春期を過ごし、二度の震災、オウムや9・11などのテロ、経済不況、パンデミックの中、ここまで来たんだなあと思った。

昨年亡くなった義父は、準戦時体制下に生まれ、戦争を子どものときに経験し、戦後復興期を青年、高度経済成長期を壮年、アラフィフをバブルで経験したのだなあ、と実感。不況と好況も循環するのだとすれば、色々と悲観的な目測が取りざたされているが、また陽も昇るのかもしれない。



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