いとう はるのすけ
その月の反省を書きます。文字を忘れないために。
あなたの美しい毎日に泥を
先月の展示が終わり、しばらく経ちました。こう時間が経つと見え方も変わってきて、言葉にも出来そうになったのでメモのような感じでここに残しておきます。 はじめ展示名はbonus Stage というもので、どこかにある限られた人に見てもらえるような展示を考えていました。この頃自分自身作品を作るのが嫌で、身の入らないものを幾つも作っており、実際この展示は乗り気ではありませんでした。それもあってか何処かやけで、緩い展示を目指していたように感じます。 そのあと、時期も近づきどうしようか
お久しぶりです。伊藤です。 この日記も書かなくなって9ヶ月近く経とうとしています。書かなくなったのは書けなくなったからですが、決して体を壊したとかじゃなくて単純に文に魅力も感じなくなったからでしょう。 最近はある意味生き生きしていますが、それは少し狂気的で間違っています。よく人と話すようになったのですが、その際自分には話すことが苦手なんだというか、経験がないんじゃないかと思うようになりました。面白いこととか話し上手とかテクニックがないのだなと感じます。しかしそこでどこか見栄
魔人ブウ編の最後が嫌いだ。最後の最後に地球が壊されそうになり、倒せるのは悟空の元気玉しか無い。元気玉には多くの人の気を集める必要があり、悟空はテレパシーでみんなに協力を呼びかける。しかし世界中の人々はそれを空耳かのように流し、地球の危機なんてどうでもいいかのようにしている。まさにピンチ。そんな時にMrサタンが何をやっているんだ、協力しろよというとみんな手を返したように気を差し出して地球は救われる。すごく人間で薄気味悪い。結局有名な人たちが助けてといったらどこか自分の中で自信に
よく他人を間違えてしまう。大学内で同級生だと思い、「〇〇‼︎」と声をかけるのだが、いつも反応が悪い。おかしいななんて思っていると全然知らない他人に声をかけている。これが時たまペースならいいのだが、かなりの頻度でやってしまう自分にかなりの危機感とどういうつもりで他人で接しているのかと聞きたくなる。 いつも見ていることが常識だと感じてしまう。 それはきっと安全圏なのだろうが、逆に自分の目を細め、見える範疇を狭めている。おそらく今まではそれが癖になっていて、遠くのものにピントが
一年が経つということになんの意味があるのか。不思議でならない。毎年、この時期になるとお笑いの特番が飽きるだろというぐらいやり、人々はやる気もないことを今更気づいて焦って穴埋めしようとし、綺麗にまとめようとする。それは他人事でなく、自分自身もそれを無視できずただただ流され周りに足並みを合わせてしまう。そんな季節がとても嫌いで、とくに元旦というなまぬるい過ごし方に嫌悪感を抱く。そんな自己を変人のように扱ってなんとかこのストレスを流そうとしている自分は人としてよろしくないだろう。し
12月はムラが悪く目立ちまくりました。寒さがキツくなり、布団でヌクリとするにはうってつけであると同時に動くには向かない日々が始まったことにうんざりとして濁した冬の雲をぼーっと眺めて現実逃避した日々でした。最近雪が久しぶりに降ったのですが、子供の頃のような興奮ではなく無に近い気持ちになってしまった自分に気づいてなんか嫌悪感を抱いて悲しかったです。もしかしたら大きくなってあんなに厚いと思っていた雪が実は大したことないと知ってしまったのでないかと思うと自然なことなのですが、やっぱり
目が覚めたら、あたりは暗い。 机のはるか上でひかる蛍光灯はあってないようなもので体は外へ行きたいと言う。 素直に立ち、足を運ぶ。 扉を開けると足元には琴線が一筋走って、向こうはすごくすごく暗い。 きっとこの先には何もなく、私も同じように何もなくなる。 意識は薄れ、体は消える。 うすらうすらした記憶はその闇にはじけ、やがていろんなことを知る。 どこへ行こうとも何をしようとも全ては夢見心地でない口が笑う。 そして気づくと天井を見ている。 朝日が溶け込んだクリーム色の壁が私の恐怖を
11月は誇れるほど体たらくな月だった。先月のなにかと忙しい日々に対して、ただ日に日に年はくれ、ぬくぬくとストーブの前でうたたね、体を起こし布団に入る。そんな毎日を送っていたに違いない。意味もなく制作とカッコつけて人形を作ったり、光る粘土で遊んだり、要らぬものを運んだりすることが毎日で楽しいと思いつつ、後ろめたく思うのは当然に感じる。何か自己のエッセンスを日に日になくしているにではないかと疑問に思うばかりである。 ひとまずそんな状況の打開のために一月に展示の予定を作った。年一で
この包まれてる時が私の至福だ。どこかへ行こうと試みてもいつも頭の中だけで、結局冷蔵庫の中に残ったアイスキャンディーを惰性で舐めてしまう。ラジオが今日の天気を陽気に話す。北の方は雨らしいのだが他は基本的に晴れで、窓の外をみると青い空が一面に広がっている。きっと自分と同い年の若者は今頃幸楽に勤しんでいるんだろう。南の小島に集まってエメラルドの海に全身を染めて肌をこんがりと焼き、夜にその土地にしかない珍味や海鮮を腹一杯食って花火する。光を見て感傷的になった誰しらぬ男と女は襖をそっと
10月は体が忙しい月だった。月の始まりに見事に体を壊し、そのまま入院。大学の後期の最初の一週間はベットの上で過ごすことになった。体調が戻った後の大学は何も変わらず、ただ真面目に楽しそうにみんなは制作をしていた。結局負けじと頑張ったところで時間は戻らず、中途半端な形で提出しなければいけなかった課題はとても不満で、体を鍛えるようにしようと深く反省した。昔は週に4回ぐらい剣道の稽古に行っていた私でもそれはもう昔話で、こういうのに頼り切った姿勢はやめんとななんて思う。またついでと言っ
9月はよく振り返る日々だった。季節の変わり目と言うように8月の暑さは消えて、秋らしい昼間の暑さと夜の冬が来ると感じる寒さが際立って感じた。一個人としては急激な変化というものに負荷を感じるたちなので少し辛い。しかしこの季節に夜スローテンポの曲を流しながら帰る電車からの景色は一層魅力的で素敵と言えるだろう。今も高速バス越しから夕焼けを見ながら聴く、くるりの「ワールドエンド・スーパーノヴァ」は最高に感傷的だ。 こんなときだが少し旅行した。目的は見たい展示があるから、でも実際はたまっ
8月は不平不満もないような日々でした。大学も休みに入り、このご時世外に出ることもない。ただ肉塊を切り崩して食すような淡々とした生活。これは4月、5月も似たような生活だったのですがあの時のような堕落とは違い、むしろ熟成していくように感じます。先月までは否応なく多人数と絡みもつれ疲れ果てていたのですが、この一ヶ月で私自身あまり多くの人との交流をすると逆にストレスなのだなと発見しました。物事、どこかに「ちょうどいい」というラインがあり、そこにあると実にいい生活をできるとよくわかり、
毎日反吐を詰ってる平凡なんて 飽き飽きでしょ みんな心配一つせず上から目線 弱った犬の腹を蹴るのが好きな愚鈍よ 睨むなんてことはしませんよ 大義名分も太っちまったもんだな 削ぎ落としちまえよ はいはい敗者で優勝 お前の伴侶をおとしてやるよ 意義ある算数 中途半端な頭数 できないことでも言わせてよ 茶番はこのくらいにしよ 幕引きにはもってこいでしょ スポットライトで膨らんだ自尊心 明日に落ちた自分を見るのが怖いの? 斜に構えず眼光狙い定めて 机上の駒は無反応 弱さをいつまで
卓越した少年は土を握って天高く 木の枝でかいた五文字の平和 時経てば気づかされるさ 耳元でささやいた、歓迎の挨拶 welcome to hell 焦って走り出した道にコンクリはない くだらないな 松明一スタック置いていけ 所詮僕は醜い鳥だ 飛び立つことも知らないまま置いていく はっと目をさました、pm22:59 カレンダーをに描かれた泣いた顔 流した涙の数はトキシラズ ヘッドホンをつけたのは天使だったよ welcome to Heaven 目指した目標はお土産のペ
暗夜に踏み入れたラム・シュール あんよについた泥をみやしない 小さな洞穴に大きな猜疑心 そんなの誰もみやしない (R 助けてくれたのは誰なのか 疑う事も知らないか弱い子羊は まんまと腹におさまるんだ 信仰 信仰 前のけつでも追いかけて 一緒に屍人になろうよ 信仰 信仰 喉が潰れて叫べなくなるくらい 口を揃えて生きて行こうよ 闇夜に恋したキラー・クィーン ないなないなと反吐を詰ってる 薄い心に大きな見栄 自ら心にナイフをつきたてて (R 騙されてくれる殿方どこなのか 笑って
7月はドッペルゲンガーのようだった。大学も始まり、少しずつなれだした。前までは人と関わるなんてどうでもいいなんて思っていたが、結局元はおしゃべりで自意識が高い人間なもので人と話すと言うことはやはり楽しい。1年間ほぼ一人で製作していた身としてはこの環境はなんだかんだ嬉しいと思ってしまうのは必然なのかもしれない。いやそうしよう。その方が気が楽でいいもんだ。 しかしこう人と喋るようになると気づいたことがある。自分は話すのがどうも苦手なことだ。コミュニケーションはキャッチボールのよう