そばにいるよ

大阪育ち→鎌倉移住。 得意技→待つこと、何分でも何時間でも苦にならない。 苦手なこと→待たれること、待たれると何も手につかない。 2019.関西から鎌倉の海の近くへ移り住み、桜貝を中心に小さい貝殻を拾うのにはまっているもじゃもじゃな人

そばにいるよ

大阪育ち→鎌倉移住。 得意技→待つこと、何分でも何時間でも苦にならない。 苦手なこと→待たれること、待たれると何も手につかない。 2019.関西から鎌倉の海の近くへ移り住み、桜貝を中心に小さい貝殻を拾うのにはまっているもじゃもじゃな人

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十月下旬おうちご飯 2024

秋も深まり 食欲がわくわくワクワク 毎日何かを口にする どうせ食べるなら 好きなものを美味しく食べたい そうね私はただの食いしん坊 ひとり朝ごはん ⚪︎いくら ⚪︎目玉焼き ⚪︎きゅうり古漬け ⚪︎白米 ⚪︎白菜豆腐お味噌汁 珍しくお酒飲まないと決めた日の 晩ご飯 ⚪︎親子丼 ⚪︎ワカメと豆腐のお吸い物 ⚪︎ポテトサラダ  ⚪︎豚こまもやし炒めパクチー入り この秋、何度も作っている⚪︎キノコマリネ いつも多めに作るので 我が家の小さなグリルに入らない なのでオーブンで

    • 十月上旬おうちご飯 2024

      亜熱帯になったと言われる日本にも なんとか秋が巡ってきた ⚪︎秋刀魚の塩焼き ⚪︎3種のキノコのマリネ ⚪︎茄子の唐揚げカレー塩添えて ⚪︎締めはアゴ飯→混ぜて炊くだけの炊き込みご飯の元 ⚪︎きゅうりの糠漬け このキノコのマリネが この秋の我が家のヒット作になるとは! →石づきを取って割いたキノコ3種(この日はエノキ舞茸しめじ)に酒と醤油を絡めて下味をつけグリルやトースターかオーブンで10分焼いて、オリーブオイルお酢砂糖塩のマリネ液に汁ごとざぶんとつけるだけ。酢橘かレモン

      • 九月おうちご飯 2024

        さぁーーて まだまだ暑い鎌倉 クーラー切って寝れたのは2日だけで(9/6現在) まだまだエアコン連続稼働しております 買い物に出るのも恐ろしい暑さ 家にあるものでなんとかしようという気になる 一日,一日、食い繋ぐ お米は売り切れ続いてるし 野菜は高い それでもお腹は空くんだな 毎日食べたい最高の朝ごはん 最後の晩餐もこれがいい ⚪︎焼き鮭(銀鮭カマ)、目玉焼き、 ⚪︎糠漬け(きゅうりと茗荷) ⚪︎炊き立てご飯とお味噌汁 夫婦二人ご飯 ⚪︎牛しゃぶのみ ⚪︎手巻き寿司

        • 「ごめんなおっちゃん、大雨で外に出られへんわ。」別に待たれてもないだろうけど、移動販売の魚屋のおっちゃんが冷蔵ケース付きトラックで近所の小径にやってくる火曜日。大雨で視界がけぶる夕空に謝った。この雨の中、傘をさして足元を濡らして外に出て行く勇気が出なかった。魚食べたかったな。

        • 十月下旬おうちご飯 2024

        • 十月上旬おうちご飯 2024

        • 九月おうちご飯 2024

        • 「ごめんなおっちゃん、大雨で外に出られへんわ。」別に待たれてもないだろうけど、移動販売の魚屋のおっちゃんが冷蔵ケース付きトラックで近所の小径にやってくる火曜日。大雨で視界がけぶる夕空に謝った。この雨の中、傘をさして足元を濡らして外に出て行く勇気が出なかった。魚食べたかったな。

          栗の味

          「いもたこなんきん」 と言われる女性の好きな食べ物 だけど「たこたこたこ、たこだけでいい」私 じゃがいも、かぼちゃ、さつまいも これらの野菜を買わなくなって ずいぶん長いこと経つ 我が家ではカレーにすら じゃがいもは入っていない 夫もイモを好んでは食べない それ幸いとどんどんイモから遠ざかった だけど今思えば娘たちは好きだったはず そんな娘たちに詫びるつもりで たまにポテトサラダを作った ほんのたまーに その娘たちも今はもう家を出た 晴れて堂々と、イモ類は買わなくなった

          師走の余裕

          師走でも余裕 ふふん なぜかというと もうキッチンの換気扇の掃除、 済ませたから!! ふふん ついでに洗面所の換気扇も ぴろぴろって拭いて ジャジャッと洗っといた スゴイ!これだけでこの気持ちの余裕 そう、 大掃除って気が重い やるぞー!ってかなりの気合が必要 キッチンの換気扇の時は なんの気合も気負いもなくするりとやってしまった 、、2週間ほど前のある日 ゆっくり目覚めた 夫がいない、予定のない朝 ルーティンの お茶を沸かしながら ふと換気扇を見上げ

          なんでここなの

          幼い娘は私にそう聞いた 小学生の娘は ハリウッドが舞台のティーンズが繰り広げるドラマにハマっていた 「私も金髪に生まれたかった」 そんなことを言う娘の心は ハリウッドに飛んでいたのだろう 「なんでここなの」というのは 「どうしてこんなところに住んでいるの?」の意味だった 私たちは 日本の関西の兵庫県の住宅街に住んでいた 当時住みたい街ランキング1位にも挙げられる 住み良い街だった 娘にしたら 「どうしてアメリカの西海岸のハリウッドじゃないの」というわけだ 、、、?

          なんでここなの

          糠床育ててます

          こんなにふっくらと 糠が持ち上がる発酵の力 こりゃあ美味しいはずだわ 糠が減ってきたから足しました   この横から見た糠の隙間 糠を持ち上げる力こそ 発酵力!! ふっくらいい香り 昔は母がかき混ぜる糠床をみて 臭い臭いと逃げ回っていた 今はこんなにいい匂いに感じるなんて 不思議だねぇ

          糠床育ててます

          ボランティアへ行ってみた

          ボランティアしよう 思ってはいたけれど  なかなか実行に移せないでいた 時間はたっぷりある 何か手伝えることはないか? 近い方が継続できるかもしれない と探していたけれど なかなかピッタリくるものがなかった 結局、「遠い」という理由で今まで選ばなかった セカンドハーベストジャパン(2HJ)に 行くことにした 2HJは食品ロス(フードロス)を引き取り、人々へ届ける活動を行う日本初のフードバンク アフリカの飢餓救済の寄付を長年続けている私にとって、日本の食品ロスを知ったとき

          ボランティアへ行ってみた

          電車に乗った。座った。、、財布を忘れたことに気づいた。ドキドキしてきた。

          電車に乗った。座った。、、財布を忘れたことに気づいた。ドキドキしてきた。

          台風発生の進路が気になる。この週末は久しぶりに大阪へ行く予定。雨でも、いいんだけどね。ね。

          台風発生の進路が気になる。この週末は久しぶりに大阪へ行く予定。雨でも、いいんだけどね。ね。

          海で無心に貝を拾う時間が、瞑想してる時間と同じ気持ちになった🧘‍♀️🐚 そういうことか。どういうことや。

          海で無心に貝を拾う時間が、瞑想してる時間と同じ気持ちになった🧘‍♀️🐚 そういうことか。どういうことや。

          わー会えるー嬉しい!と言ってもらえて嬉しい!

          久しぶりに 大阪へ行く 父の闘病の時は 人に会う気にならなくて 直行直帰だった 今回は 引っ越し手伝いと2daysで野外イベント そう!遊びに行くのだ せっかくなので 長らく生で会っていない友に声を掛けた 嬉しー!!会えるー!! と喜んでもらえた 素直に嬉しかったデレデレ 突然だし、 それぞれ仕事や距離や時間の問題がある それも含めてタイミングだと思う   次があるかは分からない 色々な縁が 繋がったり 薄まったり 濃くなったりする 風の時代な

          わー会えるー嬉しい!と言ってもらえて嬉しい!

          香りはすれども姿は見えぬ

          香りはすれども姿は見えぬ 金木犀の始まりは どこからともなく フワッと通り過ぎる香り あ!金木犀が始まった キョロキョロ探すけれど 決して姿は見せぬ 幼い頃は 「運動会の匂い」だった 実家の玄関先にあった金木犀の木 ちぎっても怒られないから 摘んでは鼻に近づけてた 実家を出てからは 香るたびに思い出すあの頃 母の笑顔と 運動会のワクワク感 リレーのドキドキ感 湿気が去り 乾燥した空気の中 漂う香り 夜に出会うと不思議と色気を感じる香り この香

          香りはすれども姿は見えぬ

          「だから、もう眠らせてほしい」を読んで

          話題の本をやっと手にして、一気に読んだ。 安楽死を題材にしているけれど、決して安楽死を肯定も否定もしていない。 緩和ケア というものを広めたい、 知ってほしい、という気持ちがガンガン伝わってきた。 終末期医療だけではない 緩和ケア 伝わった! 以下は本からの抜粋 (ギュイーーーンと目と心に飛び込んできたところ) ↓↓↓ これまで様々な方とお会いしていて、思いのほか男性でも女性でも、自分の人生を自分で決められない人っているなって思ったんですね。どうしていいかわからないって人

          「だから、もう眠らせてほしい」を読んで

          父の幕引き 20 サヨナラの涙

          鼻の奥がツーンとしたのは 食卓を拭いている時だった 最後は一人で泊まった父の家 だいたいの片付けを済ませ あとは遺品整理の業者さんに任せるだけ 食卓を布巾で拭いて コーヒーを飲もうとしていた 布巾を手に食卓と向かいあった時 不覚にも涙が溢れた 私が中学生に上がる時に 団地から一軒家に引っ越しした 座卓からダイニングテーブルになった 画期的な変更だった あれから33年 母も父もずっとここで食事をしてきた 父もいつもここに座っていた もう二度とここには来な

          父の幕引き 20 サヨナラの涙