パワフルに笑っていけ!
先日、実家へ行ったときに、中学校の卒業アルバムを見る機会があった。表紙をめくると、友人やクラスメイトからの寄せ書きが所狭しと並んでいる。一つずつじっくり読んでいったら、ある一言が目にとまった。
「パワフルに笑っていけ!」
思いおこせば、中3の時の私はよく笑う人だった。
何がおかしかったのか全く思い出せないけど、毎日のようにガハハと口を大きく開けて爆笑していた。友人から「いつもよく笑ってるよね」と言われるほど。
そんな私だったから、こんなメッセージを書いてくれたのだろう。
それからもう数十年。
大人になってから、心から笑う回数が格段に減った。でもそれが当たり前だと思っていたし、みんな一緒だと思っていた。笑う回数の増減なんて、意識もしていなかった。
しかし、うつ病になったとき、本当に笑えなくなってしまったのだ。
休職当初なんて、愛想笑いすらできなかった。
TVのバラエティやYouTubeを見ても、笑うどころか心が全く動かなかった。
さらに、子どもたちの言動ですら笑えなくなった。
家族が笑っていても、何が楽しいのかわからない。
家族の笑顔の輪に、入れない。
笑えないという事実に、衝撃を受けた。
ただでさえ淀む私の世界が、濃い灰色に変わっていく。
視界は濁り、楽しい・面白いという感情はどこかへ行ってしまった。それどころか、悲しいという感情すら感じられない。
うつ病が治らなかったら、心から何かを感じることなんて、二度とないかもしれない。そう考えると、心はまた重たく沈んでいく。
毎日が、とても長く息苦しい。
私の人生は終わった。
思いつめた。
私は、治るかどうかわからないうつ病に、この先も翻弄されながら屍のように生きていくんだ。そんな生き方なんて意味があるのかと、何度も自問自答しては泣いた。私を心配してくれる家族のことすら考えられず、自分のことでいっぱいいっぱいになって、一人寝室に閉じこもり、ただ薄暗い天井を見上げるだけの日々を過ごした。
外へ出るのは、病院に通う日だけ。
電車をホームで待つとき、ぼんやりと思うことがあった。
このまま電車に飛び込めば、
今の苦しさから解放されるかもしれない。
これまで飛びこんだ人も、
私と同じだったんだろうな。
試しに、ホームぎりぎりまで行った。
黄色い線の外側へ出た時、急に視線を感じた。
母親に連れられた小さな男の子が、こちらを見ている。
私から視線を外そうとしない。
その姿に、幼い頃の長男の姿が重なった。
「おかあさん」
そう、呼ばれた気がした。
――ダメだ。ダメだダメだダメだ。
私は何事もなかったように、その場を離れた。
じっとこちらを見ていた男の子は、お母さんと違う場所へ移動。
その後、どう帰ったか覚えていない。
気づいたら夫に抱えられて号泣していた。
死ねなかったことを悔やみながら。
その日をどう過ごしたか、
子どもたちがどんな顔をしていたか、
今でも思い出せない。
ただ泣きすぎて、
頭痛になったことだけは鮮烈に覚えている。
翌日、起き上がれない私のところに、子どもたちが来た。
「お母さん。これ見てね」
渡された小さな紙には、イラストとともにこう書かれていた。
小さな紙に、愛がたっぷり詰まっていた。
「お母さん。泣いてるの?」
子どもたちが心配そうに私を見つめる。
気づいたらまた私は泣いていた。
私はこれまで、死んだように生きていた。
灰色の世界でこのまま生きるなら、死んだほうがましだった。
でも、子どもの手紙で、久々に「うれしい」という感情を思い出した。
私の心が、動いた瞬間だった。
――この子たちを置いて死ねない。
子どもと、夫と、また笑い合いたい。
まだ、人生をあきらめたくない。
私の心に、感情が戻ってきた。
すると、iPhoneが鳴った。
病院の主治医からだった。
前日の私の様子を心配した夫が、病院に連絡をしていたのだ。
「先生。私、昨日死のうとしました。でも思いとどまりました」
主治医にはいつも正直に話していたつもりだった。
でもこの日は、心の底から正直になった。
「今は、生きたいです。私、治りますか?」
すると、主治医が答えてくれた。
「大丈夫、治ります。あなたが諦めなければ」
◇
命を断とうとした日から、1年が経った。
療養を諦めずに続けたおかげで、調子はずいぶん上向いてきた。職場の復職プログラムは頓挫してしまったが、気持ちは前を向ける。また、自分の気持ちを、周りに伝えられるようになった。
何よりも、感情を取り戻せたことが大きい。
灰色だった私の世界に、色が戻ってきた。
今では、心から笑うことも日常となっている。
家族の笑顔の輪にも、当たり前のように入れる。
「ゆにちゃんが笑うと家の中が明るくなる」
夫はそう言ってくれる。
でも、私を笑わせてくれているのは、家族だ。
家族が笑顔で過ごしているから、私も笑っていられる。
感情が戻ってきたおかげで、私は笑うことが出来る幸せをかみしめている。
パワフルに笑える日も、すぐそこにあるはずだ。