夫のおつかいとすき焼き。
「ねえねえ、一緒に買い物行こうよ」
「ダメ。まだ私の熱が下がってないから、今日は出かけない」
「ええ!僕1人じゃ買い物つまんないもん」
三連休最終日に、我が家で繰り広げられた会話。
私は連休初日に発熱して以降、調子が戻らない。そのため、夫に買い物をお願いしたところ、1人は嫌だと駄々をこねられた。
「1人で買い物するなんて不安だよ。早く元気になってよ」
「こっちだって好きで熱出てるわけじゃないからね。明日のこと考えたら、今日はちゃんと休んでおきたい」
「1人で買い物行くと、盛り上がらないんだよ」
ん?盛り上がらないって何?
そもそも食料品の買い物に、盛り上がりって必要?
「買い物の盛り上がりって何?」
「そりゃ、新商品見つけるとか盛り上がるポイントがあるじゃん。1人だとイマイチ盛り上がりに欠けるでしょ?」
なるほど。
とにかく、1人での買い物に気が進まないのはわかった。しかし、そうは言っても私の体調が悪い以上、ついて行くわけにはいかない。
「無理して出かけたら、長引いてみんなに迷惑かけるでしょ。だから、今日は1人で行ってきて。ほら、これが買い物メモだから。あちこち行かなくていいから、スーパーで買ってきてね」
私は買い物メモを夫に託し、送り出した。
夫は渋々、出発した。
すると、30分後、夫が電話をかけてきた。
何と、頼んでもないパン屋に行ってしまったらしい。
「久しぶりにパン屋のパン食べたくなったの。気がついたら着いてた。好きなパン買ってくよ」
むむ。
「気がついたら」とか言ってるけど、これは確信犯だ。パン屋行くのを、はじめから決めていたに違いない。
呆れている私をよそに、夫は盛り上がった様子で、電話を切った。
やばい。
あちこち行かなくていいって、わざわざ言ったのに、1人で盛大に盛り上がってテンションがおかしくなってる。
これは、嫌な予感しかない。
◇
5時間後。
夫は、こっそり帰ってきた。
物音を立てないよう、荷物をしまっているようだ。
夫がこっそり物をしまう時。
それは、無駄遣いをしてきたサインだ。
本人は気づかれていないと信じているが、残念ながら家族全員が知っている。
そもそも、こっそり帰る時点で怪しいのだ。
どこかで高価な物買ってきたな。
私は確信した。予感は的中したのだ。
しかし、問い詰めるにはまだ早い。
しばらく泳がせてみよう。
「あら、帰ってたの?おかえり」
夫に声をかけてみる。
すると夫は、ビクッとした。
「あ、ただいま。時間かかってごめんね。今日、牛肉買ってきたから、すき焼き作るよ」
そう言いつつ夫は表情をひきつらせた。
何かを隠しているのは間違いない。
私の視線から目を逸らしながら、夫は慌てて冷蔵庫を閉めた。すると、何かがつぶれるような音がした。
「今の音、何?」
私は冷蔵庫に近づき、恐る恐る扉を開ける。
何と、生卵が2個、ドアポケットとチルドコーナーの扉に挟まれ、グチャっと潰れていた。
「何でこんなしまい方してるの!もう!」
慌てて拭き掃除する私。
夫はオロオロするばかり。
すると掃除していた私の頭上に、何かが降ってきた。
サシが見事に入った、高級そうな牛肉。
飛騨牛ロース肉(すき焼き用)のパックだった。
え、飛騨牛!?
しかも、ロース!!
高級肉を隠したくて、慌てて冷蔵庫を閉めたのね…
自分で用意するって言ったのも、隠すためね。
考えたら、ふつふつと怒りが湧いてきた。
どうせバレるのに、なぜ隠すのか。
「こんな高い肉、どうしたの?」
私は努めて冷静に聞く。
「あ、ああ。こ、これね」
夫はしどろもどろ。
しかし、腹を決めたらしく開き直った。
「肉屋に行ったらいつもより安く売ってたの。ロース肉から声が聴こえたんだよ。食べてほしいなあって。だから、買った」
…肉から声が聴こえること、あるか!
突っ込みたいけど、ポイントはそこじゃない。
「スーパーって言ったのに、肉屋行ったの?それに、牛肉がいつもより安いって言ったって、結構な値段だよ」
そう。
いつもより安いとはいえ、普段のすき焼きで使う肉より、グラム単価が200円近く高い。
「いや、だって、いい肉食べたいじゃん。たまには。サシの入り方は、オレの本気」
知るか!
サシの入り方に本気度を重ねるな!
しかし、私がどれだけ怒っても、肉は生鮮食品なので返品はできない。肉屋も遠い。これを食べるしかないのだ。
諦めるしかなかった。
買い物を頼んだのは、私だもの。
病み上がりの体に鞭打って、食べるしかない。
夜、みんなで高級肉のすき焼きを囲んだ。
何も知らない子どもたちは、「この肉、柔らかいけど脂っこい」と極めて率直な感想を述べた。
それでも夫は、大好きな日本酒を片手に、ニコニコとご機嫌だった。
目の前の鍋は、ふつふつと煮えている。
鍋の様子は、頭上に飛騨牛ロース肉が落ちてきた瞬間の、私の気持ちそのものだった。
今後、夫だけの買い物は控えよう。
私は、固く心に誓った。