もしバビ! ~現代女性から見た『バビル2世』のお約束破り
1970年代初頭の超能力ヒーロー・マンガ『バビル2世』(横山光輝・作)。
現代の22歳女性(仮に円谷つぶらちゃんという、フザけているとしか思えない名前をつけておこう)に、読ませてみた。
果たして、どんなことになったかというと……
つぶらちゃんいわく、バビル2世が何の「アイテム」も「呪文」もなく、超能力や“三つのしもべ”を使いこなせる描写は、彼女に強烈な違和感を抱かせるそうな。
彼女はバビル2世が三つのしもべを従えていると知ったときから、しもべたちを呼び出すのに必要な魔法のアイテムの登場を、今か今かと待ち構えた。
アラジンが巨人を呼び出すには魔法のランプが欠かせない。
同様に、バビル2世がロデム・ロプロス・ポセイドンを呼び出すには、何か専用の魔法のアイテムがあるに決まっている、と彼女は一貫して思い込みつづけるのである!
しかし、待てど暮らせどそんなものは登場しない。
バビル2世が一言、空に向かってロプロス! と叫べばロプロスが。
海に向かってバカヤローではなくポセイドン! と叫べばポセイドンが、瞬時に現れるではないか。
何たる違和感!
何たる怪奇!
これが、彼女の偽らざる感想である。
また、バビル2世が超能力を使うとき、彼女のマンガ観によれば本来、毎回決まって唱えるべき文句が、いつになったら初お目見えすることかと、これまた彼女は固唾を飲んで注視していたらしいのである。
「エロイムエッサイムエロエロエッサイム」
か?
「アブダルダムラスベルエスホリマク我とともに来たりて我とともに滅ぶべし」
か?
「テクマクマヤコンテクマクマヤコン」
か?
「リンピョウトウシャカイチンレツザイゼン」
か?
否!!
バビル2世は完全な沈黙のうちに、テレキネシスを使い、テレパシーを用い、エネルギー衝撃波をさく裂させるのである。
おかしい。
こんなマンガはあるはずがない。
「つぶらは、アイテムとか呪文とか出てくるマンガばっか読んできたから、何の断りもなく超能力使われると、なんでそんなことができちゃうの? としか思わない」
せめて、技をかけるときに技の名前だけでも叫ばせてはどうか。
そう。
「翻訳こんにゃくー!」
とか、
「北斗・百裂拳!」
とか、
「かーめーはー……」
とかいう、例のあれである。
なんで叫ぶのだろう。
口に出したらバレるだろうに。
すんどめパターソンが知る限り、あれを日本で最初にやった作家は恐らく山田風太郎である。
50年代の時代小説にしてすでに、
「忍法なんとかかんとか!」
と絶叫するからすごいのである。
しかし、我らが『バビル2世』では、そんなことは一切ない。
くり返すが、バビル2世がテレキネシスを使うとき、テレパシーを用いるとき、エネルギー衝撃波をお見舞いするときは、他に言わなければならないセリフがあるとき以外、すべてことごとく無言である。
つまり、何らお約束的手続きを踏まないまま能力を発揮してしまうバビル2世の態度は、つぶらちゃんの価値観では、許すべからざるものなのである。
お約束的手続きには、ファッションも含まれる。
悪と戦うとき、変身もしなければ仮面もつけないバビル2世の潔さは、彼女にはとうてい信じられるものではない。
ヒーローらしい闘いのいでたちというものがあろうに、いつも同じボロボロの学生服を着て、お前は本宮ひろ志かという話なのである。
魔法のアイテムも、呪文も、変身も、仮面もない。
それでどうして巨悪と戦えるのか、彼女には分からないのだ。
さらに、次のような衝撃の証言も出た。
「最初、バビル2世がバベルの塔にさらわれて、お母さんは気絶するわお父さんはすっごい泣くわ、それなのに、あれからお父さんもお母さんも出てこないのが、つぶら意味わかんない。お父さんとお母さん、心配してないのかなあ」
すなわち、彼女の「当然の」予想によれば、バベルの塔で超能力を身につけたバビル2世は、「当然に」いったんは自宅へ帰り、元の通りの学校生活へ戻らなくてはならない。
そして、昼は学校の友達や恋人と青春を語らい、親や教師の口うるさい干渉に閉口して、ごくふつうの思春期をおう歌するが、夜は一転、三つのしもべに命令し、世界征服をたくらむ悪の秘密結社と丁々発止戦うのでなければならない。
つまり、
「僕、浩一。ごくふつうの中学生。でも超能力が使えるんだ!」
という、『奥様は魔女』のオープニングをパクった明るいノリが必要なわけだ。
「それが、あんなに孤独に戦うなんて思わなかった!」
とは、つぶらちゃんの談である。
まして同級生の由美ちゃんのように、せっかく登場したのにあっという間に物語から姿を消してしまう女の子の存在など、天地がひっくり返っても転がり出る発想ではない。
当然、悪の秘密結社は卑劣にも由美ちゃんを人質にとり、バビル2世を窮地に追い込むのでなければ、悪の秘密結社失格のおそれさえあるというものだ。
アラビアン・ナイトのランプ以来、魔法のアイテムは古今東西の物語に出てきた。
しかし、それを戦後日本のマンガ文化に根づかせ、なおかつおもちゃメーカーとのタイアップで儲けるビジネス・モデルを確立したのは、おそらく『秘密のアッこちゃん』と『魔法使いサリー』であろう。
呪文についても、この2作が強烈な双璧であろう。
その片棒『魔法使いサリー』の作者が、まさしく『バビル2世』の横山光輝であるというところに、歴史の妙を感じないわけには、いかない。
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