漫画みたいな毎日。「海が凪ぐ、母の日に。」
母の日が終わった。
母の日が苦手、いや、正しく言えば、母の日が苦手なのではないのだろう。「お母さんに感謝しなくてはならない」というような、無言の圧を感じるからなのだろうし、私が自分の母との関係性の中で感じてきたものが、ただそれだけだから、というだけのことなのだと思う。
我が家で、母の日は、特に特別な日ではないと思う。家族の誰もが特別視していないように思う。そして、それが私には心地よい。
先日の夜、夫から、「明日は、海でも行こうか。」と提案があった。
その日、川釣りに行きたいという長男を夫が連れていったが、行った先が増水の為、立ち入り禁止になっていたのだそうだ。そして、不満の溜まる長男。最近は、自室で勉強している時間が長い。そんな彼に、自然の中で過ごす時間が必要だろうという夫の配慮でもあったのだと思う。
母の日である日曜日。暖かくなりそうな空模様だ。
海へ行って、簡単なBBQでもしようかと、家にある材料を下拵えをしていた。夫は、水タンクに手や足を洗うための水を用意したり、貝殻や石を拾うためのバケツを車に積んで用意を進めてくれていた。
「お母さん、」と呼ばれて振り返ると、可愛らしい花束を抱え、子どもたちが三人並んでこちらを見ていた。
「お母さん!母の日、おめでとう!!!!」
昨日のつぶやきにも書いたのだが、
〈お母さん、ありがとう〉は、しっくりこない。
子どもたちの存在が、私を〈母〉にしてくれたと、私は思っている。お母さんという存在にしてくれて、ありがとう、と。
「おめでとう」には「ありがとう」という言葉が似合う。
お母さんにしてくれて、ありがとう。
賑やかな毎日を、ありがとう。
あなた達の成長を感じさせてくれてありがとう。
5月の暖かい日曜の海は、凪いでいた。
水はまだまだ冷たく、泳ぐのは難しいけれど、人が殆どいない海岸は、
貸し切りだ。
遠くに目をやると、地平線。
穏やかな波が、静かに揺れる。
末娘は、貝殻を拾うのに忙しく、二男は、砂で火山を作る。
長男は釣りをしようと竿を用意する。大きなカニや、蟻地獄をたくさん見つけたと盛り上がる子どもたち。私や夫がすぐ傍に居なくても、自分たちで海と私や夫の居る場所を行き来して楽しんでいる。
「なんだかさ、大きくなったよね。」夫がしみじみと呟く。「うん、大きくなったよね。いつまで、こうしてみんなで海に来られるかなぁ。」と私。
子どもたちの笑い声と、駆け回る姿を、夫と並んで眺める。
ゆるゆると流れる時間。
母の日の私の心は、この海のように、穏やかで凪いでいた。