学校に行かないという選択。「今、自分には何ができるかを考え続ける。」
先日のnoteに長男が育てているアカハライモリの拒食とそれにまつわる出来事を書いた。
その後も、アカハライモリは、餌を受け付けず。このままでは、弱って行くのは目に見えている状態だった。
そんな中、先述の記事の中の知人から、こんなアドバイスを頂いたのだ。
「セカンドオピニオンとして、動物病院を受診してみるのもひとつかもしれない。エキゾチックアニマルを診てくれる先生がいる動物病院がある。」と。
長男には、メールで来たそのアドバイスを伝え、どうしたいか決めたら、病院に電話して、診てもらえるのか確認することはできるからね、と話した。
何日かたった日曜日。
長男が、「お母さん、動物病院に電話してもらってもいい?このままだと、ただ死んで行くのは目に見えているから、もし診てもらえるなら、診てもらいたい。」と言うので、私は、動物病院に電話をすることとなった。
そもそも、エキゾチックアニマル、とはなんぞや?と初めてこの言葉を聞いた私は調べてみることに。
実は「エキゾチックアニマル」には明確な定義はありません。
日本では犬と猫以外のペットの動物全般を総称した呼び名として使われることが多く、一般的に獣医師やペット業者のあいだで用いられています。そのため、エキゾチックアニマルと呼ばれる動物の種類は無数にあり、主に「外国の珍しい動物」や「ペットとしてはあまり一般的でない動物」という意味で使われたりもします。エキゾチックアニマルと聞くと言葉のニュアンスとから、珍しかったり貴重な動物をイメージする方も多いと思いますが、必ずしも珍しい種類というわけではありません。代表的なところではハムスターやうさぎ、カメやインコなどペットとしては比較的よく知られているものから、コアラやカンガルーのような動物園でしかお目にかかれない珍しいものまで、さまざまな動物がエキゾチックアニマルに分けられます。(animallaboより引用)
紹介された動物病院に電話をし、アカハライモリの大きさ、生育環境や広さ、今の状態を受付の方に伝えると、院長先生がエキゾチックアニマルの担当とのこと。「今、診察中ですが、終わり次第、様子を伝え、折返します。」と言っていただいたので、病院からの電話を待つことになった。
「今日の午後一番であれば、診られるそうです。食べている餌、飼育環境を写真にとって、お持ちください。」
おぉ!診てもらえる!
長男のアカハライモリは、卵から孵化し、まだ幼生だ。餌を食べなくなって1ヶ月。一緒に孵化したイモリと比べても小さい。体長が3センチにも満たない生き物を診てもらえるのだろうか?と私は電話しながらも不安に思っていたのだ。
受付の方が、「では、予約しますので、飼い主さんのお名前と、イモリのお名前を・・・」
飼い主は、長男。
・・・え?イモリの名前?
忘れていたが、動物病院では、診察してもらうペットは名前で呼ばれる。私が中学生の時に猫を病院に連れて行った時も、姉と二人暮らしをしていた時に、姉のインコを病院に連れて行った時もそうだった。
「えっと・・・ちょっと待ってください・・・」
私は慌ててて、長男に聞いた。
「ねぇ、イモリちゃんって名前あるの?」
私は、長男がこのイモリを名前で呼んだのを聞いたことがない。だから、勝手に〈ちびちゃん〉と呼んでいた。だって、小さいんだもの。
我ながら短絡的である。
獣医学部の学生を描いた漫画・動物のお医者さんの主人公ハムテルのおばあさんや、友人の二階堂くんの気持ちがわかる。可愛い生き物はみんな〈チョビ〉であり、猫はみんな〈ミケ〉なのだ。
「あるよ。ブラウン。」
し、知らなかった・・・というか、母が〈ちびちゃん〉って呼んでいた時に、何故修正しないんだ、アナタは・・・。
長男に聞いた正当な名前を受付の方に伝え、「ブラウンちゃんですね!」と復唱され、ハイ、そうですと応え電話を切った。
「ちびちゃん、ブラウンだったんだ!知らなかった!」
「うん、生まれたとき、茶色っぽかったから。もう一匹は、黒っぽかったから、ブラック。一番大きいのがトゥース。」
母、初耳です・・・。
午後、夫の運転で動物病院へ。診察時間が始まる前から、診察室は賑わっていた。病院の待ち時間とは、実際に経過する時間よりも、いつだって、長く感じるものだ。
予約時間から30分ほど経った頃、「柳田さん~!」と、診察室から50代くらいの中肉中背の小柄な男性が元気に出てきた。この方が院長先生らしい。
目が悪い私には、先生が着ている治療着が、一瞬、アロハシャツに見え、「何故、雪国で?」と思ったが、それは近くで見てみると、鮮やかな青地に、ピンクや黄色の円の中に犬や猫の顔がプリントされたポップな色合いの生地で、アロハシャツではなかった。
診察台にアカハライモリのブラウンの飼育ケースを乗せる。先生からの質問に答える。
アカハライモリ以外に何か飼育しているか、どんな餌を食べているか、飼育環境はどういったものか、いつから拒食の状態か、など。
「これだけ小さいと、無理やりカテーテルを入れて強制給餌することもできないので、今、できることを考えましょう。」
先生からの提案は、生理食塩水を用意して、いつでもイモリがその水に浸れる環境にすることだった。
人間でいえば、点滴、といったところだが、人間用の点滴では、浸透圧が両生類とは違うので、両生類に適したものがどういったものなのか、その点も詳しくお話してくれた。
生理食塩水浴を数日続け、嫌がらないようなら、ブドウ糖とカルシウムを足していく、という指導だった。
「自然界でいったら、100匹うまれて、10匹生き残ればいい感じだからね。この子たちが、3個の卵から2匹孵ったのは、良い方だと思います。」
「こんなに小さいと、強制給餌もできない。ハッキリ行って厳しい状態です。でも、だからといって、それで終わりじゃなくて、〈今、できることはなにかな〉って一所懸命、考えてます。だから、お兄ちゃんも、それを忘れないでほしい。もしこの子が死んでしまっても、何がいけなかったのか、何が改善できるのか、今できることは何かを常に考えることは、生き物を飼う上でとても大事だから。」
先生はそんな話をしてくれた。長男は、静かにその話を聴いていた。彼は彼なりに、生き物がはっきりとした原因がなくとも死んでしまうことがあること、生態系からみて、生まれたものが全て生き延びることはないことを経験から知っている。
冷静な様子の長男の隣で話を聴いていた私の方が泣きそうになっていた。
先生の言葉を聴きながら、20代の頃に飼っていたインコを動物病院につれて行った時のことを思い出していたからだ。
一緒に暮らしていた姉が、セキセイインコの雛を買ってきた。雛だから、自分で餌を食べられず、粟やヒエをふやかし、数時間おきに小さいお匙で与えなければならないような小さな雛だ。
そして、買ってきた姉は、翌日からシンガポールに旅行の予定が入っていた。なんと、無責任な・・・と思いつつ、目の前には、毛が生えたばかりでぱやぱやっとした可愛い小鳥が居る事実があるだけだ。私は、朝4時半に起きてふやかした餌をやり、仕事が終わると同時に急いで家路についた。
インコはすくすくと大きくなり、餌をあげたり、掃除をする私よりも、ただただ可愛がる姉にばかり懐いた。なかなか不公平なインコである。
ある日、インコが卵を生んだ。その後も何回か生んだ。インコの飼育に関して、簡単な本を読んだだけで、ほとんど知らなかったのだが、その後、飼育環境によって、つがいで飼育しない場合にも産卵することがある事を知った。
ふと見ると、インコの下腹部が膨らんでいる。
また産卵するのだろうか?と思っていたが、どうにも様子が違う。しばらく様子を見ていたが卵は生まれないし、お腹の膨らみは治まらない。私は、動物病院を探して受診することにした。今の様に、ネット環境は整っておらず、動物病院を簡単に探すことはできなかったので、電話帳を調べ、できるだけ近い住所の病院に電話をした。
しかし、小鳥の診察をしている病院がない。ことごとく、「うちでは、診察していません。」と断られた。
5件目くらいだっただろうか、「小鳥も診察しますよ。」と応えてくれた動物病院があったのだ。家から歩いて行ける距離ではなかったので、私は鳥籠を大きな紙袋に入れ、タクシーで病院に向かった。
診察室に通され、先生がインコの状態を確認する。「これは、腹壁ヘルニアですね。」と言われるが、まったくどのような状態がわからない。
腹壁ヘルニア(ふくへきへるにあ)お腹の筋肉に裂け目ができて、そこからお腹の中の臓器(腸、卵管、脂肪など)が皮膚の下にとびだした状態です。メスの鳥の発情に関連した慢性生殖疾患の続発症として多発します。セキセイインコでは特に多く発生します。〈原因〉腹壁ヘルニアの主な原因は、メスの慢性発情と考えられています。メスの発情の時は、お腹が緩んで膨らみ、筋肉が薄くなりますが、持続的な発情のために、薄くなった筋肉が裂けて臓器がとびだして、ヘルニアが発生すると考えられています。©みやぎ小鳥のクリニック様より引用。
インコは、発情予防の管理が出来ていなかったので、このような事になったこと。そして、手術するには、状態が悪く、小さすぎると言われたこと。先生に、「人間だったら、風邪みたいなものだと思っても、小さな生き物にとっては、手遅れになることもある。もっと早く対処しなくてはいけなかったと思う。」とやや強めの口調で言われた。もっともで、返す言葉など見当たらない。
「ここから、この子が生きている間にできることは、一生懸命お世話して、最初に可愛いと思った気持ちで、最期まで、可愛がってあげることだと思います。」
先生にそう言われて泣いた。
自分の無知によって、インコが病気になってしまったという事実。診察をもっとはやく踏み切っていたら、と思うと、苦しくて泣けた。
腹壁ヘルニアは腸が迫り出してしまい、お通じが悪くなること、排泄物がお尻の周りを汚すと感染症になりやすいので、丁寧に洗うようにと教わった私は、毎日、インコのお尻を洗った。
毎回、インコは怒って私の手を物凄い力でくちばしを使ってつねった。手にはどんどん傷が増える。しかし、どんなにインコが怒っても、私にできることは、インコのお尻を洗うことと、籠を清潔に保って、感染症を防ぐことだった。
インコは、最期まで、私に懐かなかった。彼女にとって私は、嫌なことをする存在でしかなかったのかもしれない。
インコを埋葬する時、姉はものすごく泣いていた。私は、何処か他人事みたいに、涙が出なかった。自分が恐ろしく冷たい人間に思えた。
〈できるだけのことは、やった。〉
晴れた空を見上げながら、そんな思いだけが浮かんできた。
そんな昔のことを、動物病院の診察室で思い出して泣きそうになっていた。
目の前では、先生が長男に、「今、できることを一生懸命して、また状態が良くなってきたら、次にできることが、また見つかるかもしれないから!」と話してくれており、長男も「ハイ、わかりました。ありがとうございます!」と応えていた。
診察室を出て、待合室でお会計を待っている時の長男は、心なしか晴れやかな顔をしている様に見えた。
「できることがあって、よかった。」と、長男が呟いた。
「このままだったら、何もできないまま、死んでいくのをみているだけになっちゃうと思ってたから。」
うん。わかるよ。
もし、生命が死に向かっているとしても、自分にできることがあるということは、その生命と向き合う本人や、その周囲の人にとっての〈希望〉となるものだと思うから。
医療の発展の良し悪しの議論は、様々あるのだろう。しかし、人がここまで医療の発展を成し遂げてきたのは、勿論、生命を救いたいという気持ちが第一にあってのことだと思う。そして、その一方で、生命に向き合い、携わる周囲の人に〈自分にできることがある〉という支えが必要だったからではないだろうかとも思うのだ。
それにしても、自分や子どもたち以外の診察券は、なんだか新鮮だ。
長男は、診察券を見て、「イモリは、ハ虫類じやないけど。一緒の括り?」と、やや怪訝そうにしていた。
診察券のスペースの問題では?もしくは、は虫類の受診の方が両生類より多いからとかなんじゃない?と私は長男に返した。
帰宅後、長男が生理食塩水を作り、アカハライモリが水と陸を出入りしやすい環境にすると、早速その水に浸っている。室温が高すぎると体力を奪われるとのことだったので、今までよりも、静かなちょっと涼しい環境に引っ越した。
今後、この生命がどうなっていくかわからない。
でも、〈今、自分にできること〉を考えることをやめないこと。
長男は、また生き物から大きな学びの機会を受け取ったのだと思う。