漫画みたいな毎日。「世界の中心はいつだって、〈あなた〉だ。」
子どもたちと再びスケートをしに行くことにした。
近くのスケート場は、2月の下旬になると閉まってしまう。今季は、あと何回か行きたいという子どもたちのリクエストにより、出掛けることにした。
現在の世の中の状況も考え、行ってみて混雑しているようであれば、また違う日に仕切り直そうと思っていたが、受付で、混雑状況を伺うと、「空いてますよ~!」とのこと。子どもたちとスケート靴を借り、履き替えるとリンクへと向かった。
本当に空いている。流石、平日の昼間だ。大体の場合は子どもたちは、幼稚園や学校に行っている時間帯であり、大人は仕事をしている。加えて、感染拡大のこともある。空いていそうな日時を選んできたとはいえ、ここまで空いているとは。
リンクに居たのは、親子が一組、フィギュアスケートの練習をしている若い女性とコーチだけだった。
そこに居た一組の親子に目をやると、お母さんが子どもの手を引いて、スイスイを通り越し、バビューンと滑っていた。
お母さんが物凄いスピードで滑り、手を繋いでいる子も、その勢いに身体をまかせて、そのスピードで滑っている。お母さんへの信頼感があるのだろう。そして、スピードへの怖さを感じていないということなのだろう。
子どもたち目は、パチクリさせた。「すごっ!!!」「何かの練習かね?」「すごい速さだね!」「修行?」と子どもたちは口々に感想を述べる。
私たちがそろそろ、ゆるゆると、リンクに降りて滑り出すと、お母さんと物凄いスピードで滑っていた子が、私と末娘の方へ、滑ってきた。近づくとニコニコと笑っていて、嬉しそうにしているのがわかる。「○○(自分の名前らしい)と一緒に滑ろう!行こ!」
もちろん、初対面である。
彼女の話を聞いていると、その女の子は、末娘と同じ年であること、お姉ちゃんがいること、お父さんは仕事に行っていること、お母さんは、「ぶーって顔して滑ってる」とのことだった。
他にも、誕生日や、好きな遊びなど、個人情報だだ漏れのお喋りは続く。どんなに小さくても、女性のお喋りは尽きることがないんだなぁ、面白いなぁ、と思いながら、耳を傾け相槌を打っていた。
お母さんの顔をそろ~りと横目で見た。初めに挨拶をした時も、言葉を発することも、にこりとすることもなかった。
うん、確かに「ぶーっ」ってしてる・・・そう思うと、ちょっと可笑しくなってしまったが、私の心の中だけに留めておくことにした。
女の子は、「〇〇ね、一回喋った人とは、すぐ友だちになっちゃうの!」と嬉しそうに話している。
「へぇ~そうなんだねぇ。」
女の子の言い分によると、私と娘も〈友だち〉ということになったようだ。
「それでね・・・」女の子のお喋りは終わること無く、リンクを何周かする間ずっと続いた。
「〇〇ね、魔法使いなの。家ではお菓子ばっかり食べてるんだ!」
「へぇ~!魔法使いは、魔法でお菓子増やせないの?」
「・・・それは無理。」
魔法でお菓子は出せないらしい。
女の子は、同じ年の末娘の存在が嬉しいようで、ずっと私たちの傍を離れず、「私の後に付いてきて!」「一緒に滑ろう!」と、盛んに誘ってくれる。
しかし、人生で2回目のスケートを滑る末娘が、その子のスピードと同じ様に滑ることには無理がある。その為、丁寧にお断りする。
「まだ、少ししか滑れないから、〇〇ちゃんと同じ速さで滑れないかなぁ。だから、先に行っててもいいからね。」
「うん、わかった!」
女の子のお母さんは、この間、ずっと「ぶーっ」としている。無言の圧のような物を感じる。
女の子のお母さんは、「せっかく来たんだから、練習しないと」「練習しよう」という言葉を、子どもを自分の傍に呼び寄せては、小声ではあるが何度も言っている。小声でも、しっかり耳に届いているので、普通に言ってもらってもいいです、と思いながら、聞かなかったことにする。
その言葉から察するに、この親子は、遊びにきたのではなく、スケートの練習に来た、ということなのだろうと理解した。
バビューンって、滑り方から見ても、遊んでいるようには、見えなかったもんなぁ・・・。
繰り返し「練習」という言葉を唱える無表情のお母さんの圧に息苦しさを感じ、「練習の邪魔してしまってすみません〜。」と、思わず口にした。しかし、無言で何も応えてもらえなかった。
しかし、その後、居心地悪くて、たまらなかった。原因は、何も応えてもらえなかったことではない。
〈思ってもいないことを言ってしまった自分〉が物凄く気持ち悪かったのだ。自分への不誠実さを反省した。私よ、スミマセンでした。
私たちは、もちろん、練習の邪魔をするつもりはない。
でも、お母さんからみたら、私たちが居ることで、明らかに彼女の練習の妨げになっている。居るだけで、練習の邪魔なのだ。
ずっと続くお母さんの無言の圧に耐えかね、
あっちでお母さんと練習しておいでよ~!
そう叫びたい気持ちにもなった。
しかし、この子は、練習したくないのだろう。いや、練習したくないというよりも、〈今〉は、末娘や私と喋りながら、楽しく滑っていたいと思っているように感じられた。
私の勝手な思いであったとしても、女の子の〈今の気持ち〉は、ぶーっとしていて、無言の圧をかけてくるお母さんに耐え、気づかないふりをしてでも、守らなくてはならない事に思えた。
本来、彼女が、したいようにしたらいいのだ。
練習するもの、しないのも、自分で決められるはずだから。
私たちが、休憩すると、彼女も「一緒に行く」と休憩し、リンクを出る。お母さんは、小さく溜息をついて、さらに不快そうにしている。
ベンチに座り、末娘と休んでいると、長男と二男も休憩にやってきた。
末娘に話しかける女の子。その様子を面白おかしく黙って眺める男子二人。
お母さんは、時間が刻々と過ぎていくのに耐えかねたのか、今までよりも少し大きな声で、「もう終わりの時間になちゃうから、練習しよう。ほら、滑ろう。」と言った。
すると、女の子は、「え~やりたくない~!」とお母さんに背を向けた。
すると、長男が、ハッキリとした口調で、
「やりたくないなら、やらなくていいんじゃない。」
と言い放ち、さらに、
「だって、自分のことなんだから。自分でやらないって決めたんだったら、やらなくていいでしょ。」
と付け加えた。
いつも、ハッキリし過ぎている所のある長男に、ハラハラすることもある私だが、この時ばかりは、心の中でガッツポーズをした。
長男、グッジョブ。
大人になってしまった故に〈コレを言ったら角が立つ〉と考えてしまったり、場を乱す発言になるだろうと、〈敢えて言うまでもないか〉と言わずにいたり、時には相手にどう思われるだろうかと、どうでもいいことを気にしたりすることもある。
しかし、こんな時、ハッキリしている長男が物凄く、うらやましく思える。
その後、お母さんの周りの空気が、更に重く、冷ややかになっていたことは言うまでもない。
そういう空気が振りまかれると、私は、〈自分のせいではないだろうか?〉と過去の経験や、思考パターンから感じてしまう傾向があるのだが、それも長男の言葉で気持ちいいくらいに、清々しく、一掃された。
この重たく寒い空気は、ここがスケート場だからだと思うことにした。
女の子も、初めは練習するつもりでスケートに来たのかもしれない。しかし、途中で、練習するよりも、面白いと思うことが出来た。単に、それだけのことなのだと思う。
今日しか来られないのに
せっかく練習に来たのに
忙しい中、時間を作って来たのに
練習するって約束したのに
自分で来たいって言ったのに
これらは、私が想像しただけの理由だが、お母さんにも、苛立つ理由が何かしらあるのだろう。誰にでも、様々な事情があるものだから。そして、同じ母として、そんな気持ちになることがあるのも、まったくわからないではないから。
それでも、やはり、それは、お母さん自身の問題だと思う。
自分の時間は、自分のものだ。
何を、やりたいか、やりたくないかは、自分で決めることだ。
それは、どんなに年齢が小さくても、変わることはない。
誰かが、その人の時間や選択肢、選択する力を、奪ってはならないと思う。
自分の世界の中心は、いつだって、自分自身なのだから。
その子は、しばらく「やりたくない」と頑張っていた。お母さんは、女の子の耳元で小声何かを囁くと、口に飴を放り込み、リンクへと向かった。
その後、私と末娘がトイレから戻ると、その親子の姿はリンクから消えていた。貸靴を借りられるのは2時間なので、終わりの時間を迎えたのだろう。
もう会うことはないかもしれない女の子。
あなたの世界の中心を誰かに奪われることなく、自分のステキな世界を守って欲しい。
誰にも侵すことを許してはならない世界を。
そう願わずにはいられない私は、ぶーっとした顔をしながらスケートをするお母さんにとって、おせっかいなオバサンに他ならないのであろう。
ある日、近所のおばあちゃんに回覧板を届けに行こうとすると、一緒に行くと支度をする末娘。気温が下がり、地面が凍り始める時間だ。
末娘は、温かく滑りにくい雪靴ではなく、長靴を履いて行くのだと言う。
私が心の中で、「雪靴の方が良さそうだけど・・・」と思っていることを見透かしたかの様に、末娘は、玄関で長靴を履くと、私の方へとくるりと振り返り、静かに微笑んで、言った。
「自分のことは、自分で決めるから。」
うん、知ってるよ。