漫画みたいな毎日。「お母さんは、誰が一番好き?」という問いかけを考える。
我が家には、3人の子どもがいる。
今まで、子どもたちに、「お母さんは、誰が一番好き?!」と聞かれたことは、一度もない。
加えて言えば、「お母さんのこと好き?」と、聞いたことも、聞こうと思ったこともない。
とある寄稿文で、「お母さんにとって自分が一番だと思えていない子どもがいるというのは、危惧される事柄だ。子どもたちがお母さんに〈お母さんは誰が一番好きなの?〉と聞けることは、微笑ましいことだ。それさえ聞くことが出来ない関係性の子どもが存在しているのだ。」という様な内容が書かれていた。
なるほど。〈聞くことができない〉より、〈聞いて確かめて安心できる〉のであれば、それはそれでいいのかもしれない。
ただ、その質問は私にとって、身近には感じられなかった。
そこで、なぜ「お母さんは、誰が一番好き?」という質問が出てくるのかを自分に置き換え考えてみることに。
もしも、3人の子どもたちそれぞれから「お母さんは3人の中で、誰が一番好き?」と聞かれたら、どう答えるだろう?
私の答えは、ひとつ、だ。
「順位なんて付けられないし、つける必要もないと思ってるよ。もし、どうしても、順位を付けて、っていうなら、みんなそれぞれ大事で、それぞれ一番ってことになるのかな。」
人によっては、聞いてきた子どもそれぞれに、「あなたのことが一番好きだよ!」と答えるのかもしれない。
育児書とか、子育て相談などであれば、そんな回答がされるような気もする。どの答えが良い悪い、正解だとか、不正解でもないと思う。
私にとっては、子どもに順位づけなど必要ない、それだけなのだ。
そして次に、自分が子どもで、母親に、「お母さんが、一番好きなのは誰?」と聞くとしたら、その問いは、どこからくるのだろうかと考える。
私が、母親にそのような問いを立てるとしたら、母親にとって自分が必要とされているのか、存在を認められているのかが不安な場合かもしれないな、と思ったりもする。
「きっと自分が一番に決まってる!わかっているけれど、確認したい!」という子もいるかもしれない。それは、その子どもの性格にもよるのかもしれない。
一番って何だろう。
誰かにとっての、自分の大事な人にとっての、一番になることは、そんなにも重要なことなのだろうか。
振り返ってみると、自分の子どもの頃には、常に様々な順位づけをされてきたと思う。
学校の成績でも、容姿においても、運動やスポーツでも。
それらが私に与えたのは、優越感と劣等感の両方だった。
そして、その順位づけは、いつも自分が決めるのではなく、自分以外の誰かが決め、他者の評価に晒されてきたものだったと思う。
本来なら、自分のことを、誰かが順位を付けるとか、評価するなんて、余計なお世話ではなかろうか。
テストやコンクールなど、数字で出る結果であれば、否応なしに順位が付けられることもあるだろう。
けれど、子どもたちの存在に順位など必要なのだろうか。
なんでもかんでも、一番なら安心なのだろうか。
子どもだけではなく、人にとって、誰かに順位を付けたり付けられたりということが、必ずしも大事だと思えない。
いろいろ、ぐるぐる、考える。
頭の中がまとまらない中、夕飯にシチューを作っていた時、「手伝うことある?」と長男がやってきた。野菜を切ることをお願いし、私も彼の隣で包丁を動かしながら、訊ねてみた。
「あのさ、アナタは、お母さんが兄妹3人の中で誰のことが一番好きかとか、考えたりしたことある?」
長男は、はじめは、何を聞かれていいるのか趣旨がわからない、というような顔をし、その後、やや呆れたような口調で、
「・・・何?その質問?」と言った。
私は、〈お母さんは誰が一番好き?〉と尋ねる子どもの心のことやらを考えていることを伝えた。
「ふ~ん。聞こうと思ったこともないし、考えたこともない。だって、お母さんなら、みんな同じだっていうだろうから、聞くまでもないでしょ。それにさ、そんな質問しなくちゃならないのって、なんか気の毒だし、情けないね。」
情けないって・・・本当に歯に衣着せぬ人だなと思う。大きくなったとはいえ、まだまだ言葉足らずな男子である長男の言うことを脳内翻訳機にかけてみた。
「子どものお母さんが、子どもを好きなのはあたりまえなのに、なんでそんな質問しなくちゃならないの?そんな質問しなくちゃならないくらい不安だとしたら、大変なことだし、なんだか寂しい気がするな。」
と言うような事なのでのはないかと思う。
でも、聞かずにいられない子もいるという事実があるのだと思う。不安でなくとも、大事な人にとっての自分の存在の意味を確かめたくなるのかもしれない。
聞いて安心できるというなら、いくらでも、「一番好きだよ」と言ってあげればいいのかもしれない。
言葉は、言葉でしかない。
しかし、時として言葉は、物凄い力を持つ。
いったい、安心感は、どこからくるのだろう。
そんなことを、ぐるぐる考え、まとまらないまま、料理を続けた。
子どもたちは、私に聞かない。
お母さんにとっての一番は誰?と。
私も聞かない。
お母さんのこと、好き?と。
でも、いつだってお互い感じている。
お互いの存在を。
かけがえのない存在感を。