学校に行かないという選択。「休み上手な大人になあれ。」
「夏休みくらい、休ませろっていうの!」
これは、学校に行かないという選択をしている長男のセリフだ。
毎日が夏休みかと思われる、いわゆる不登校の長男だけれど、自分でスケジュールを決めて勉強しているので、毎日忙しそうだ。
中学の修業日に書類を受け取りにいくことになっていた。その前日に担任の先生から電話があり、「他の生徒の対応をしなくてはならないので、5分くらいしかお時間がないのですが、よろしいですか。」とのことだった。
はい、問題ないです、と電話を切った。
担任の先生は他の生徒の対応があるので時間が取れない旨をわざわざ連絡をくださった。 前にも、そんなことがあって慌ただしくなったことがあったので、配慮してくださったのだろう。お忙しい中、電話一本することは、簡単ではない。丁寧に対応してくださることにはいつもありがたい。
長男にそのことを伝えると、
「家と学校を往復する時間の方が長いじゃん。」
えぇ、まぁ、そうなんですけどね。
「まぁ、特に気にかかる事はないって思ってるってことでしょ。笑」と言うと、「そういうことなの?でも、面倒臭い。」と不機嫌な思春期真っ只中の長男。
面談日、プリントや通知表を受け取り、8月の末に面談の約束をし、学校を後にする。学校滞在時間5分。
帰り道の車の中で、厚みのある封筒の中身を確認する長男。
そして、冒頭の長男の言葉に戻る・・・
「夏休みくらい、休ませろっていうの!」
封筒の中には、夏休みの宿題や、お知らせのプリントがそれなりの量、入っていたらしい。
夏休みの過ごし方の注意のプリントもあって、ゲームやテレビの時間が長くなり過ぎないように、など沢山の注意事項が書かれたプリントに目を通し、夫に伝えると、
「夏休みにゴロゴロしてテレビみたり、ゲームするのが、夏休みの醍醐味だよなぁ。」
この親にしてこの子あり。笑
夏休みは休む為にある。
子どもたちは、存分に、夏の空気を吸って遊ぶ為にあるのだと思う。
宿題や課題があることがどうこうということではないのだけれど、
「休みだからってサボったらダメ」
そんなメッセージを勝手に感じてしまって、宿題や課題の多さに、休みを休めない休み下手の日本人育成プログラムは、こんなところから既に始まっているのではないかと思ってしまった。私の考え方が捻くれているだけかもしれないけれど。
ちなみに、小学生の宿題ドリルの名称は、
「夏のびのび」
「こんなに宿題出されて、のびのびなんて出来ないよ~!」
長期の休みに出されるドリルを見ては、子どもたちが呆れたように呟く。気持ちはわかる。あ、でも、考えてみたら、あなたたちが夏休みの宿題やってるのを一度も見たことないですけど・・・。
それでも、「夏休みの宿題」や「夏休みの課題」と言われるものが一方的にやってくるということは、「やらなくてはならない事」であり、「やりたいこと」「自分で選んだこと」ではないことへの違和感があるのだろうか、と思いを巡らす。
子どもの頃の夏休みは、自分の幼少期を振り返ってみても、特別な時間だった気がする。
これでもかというくらいに太陽にジリジリと肌を焼かれ、いつもと違うイベントがあることに心を踊らせる。ワクワクする期待感と一緒に、夏の終わっていくしんみりした感じもセットでやってくる。
そして、ちょっと退屈。
なんにもしない、を味わう。
長い休みを利用し、家族と旅行に出掛けたり、皆それぞれの用事を済ませていて、いつも遊んでいる友達が不在がちになる。あの子もあの子も居ないんだった、と思いながら、ひとりの時間を味わう。退屈を味わうには、最高の季節だと思う。子どもの夏休みと、大人の夏休みは、色合いが違う気がする。
子どもの頃に退屈であることを十分に味わうことは、大人になってから休み上手になる気がするのは私だけだろうか。
だからこそ、のびのびした気持ちで夏休みを味わったらいいと思う。
時には退屈を味わいながら。
心も、のびのび。
身体も伸び伸び。
宿題の提出日が、延び延び。
それはそれで、ま、いっか。
宿題よりも貴重な体験が、夏休みには、ギッシリと詰まっているのだから。
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