漫画みたいな毎日。「わかるでしょ?この気持ち!」
末娘は買い物が大好きだ。
なんとういうか、強力な女子遺伝子を感じる。
ギャルっぽいキラキラとは一線を画すキラキラしたもの。
ピンクよりはパステルに近い紫や水色が好き。
とにかく、可愛いものが好き。
買い物に行く度に、
「これ可愛いねぇ。いいなぁ。欲しいなぁ。自分のお金で買えないよね?」
「そうだね、可愛いね。あなたのお小遣いでは足りないかもね~。」
という会話を延々と繰り返している。
毎回買い物に行く度に、「いいなぁ、可愛いなぁ、自分のお金で買える?買わないよね?」と何度も何度も言われるので、段々と疲れてくることもある。心の中で、「買わないよ!」と何度も思う。
長男も二男も、あまりそういうことがなかった。
欲しい物が在る時は、それなりの使い道があったり、自分のお小遣いで買える範囲や誕生日などまで待って交渉するなどしている。
小さい時は、100円ショップで欲しいと言って玩具を買ったことも数回あった。でも、買った直後に壊れるという経験をしてから「すぐ壊れちゃうの勿体ないから買わない。もっとお金を溜めて欲しいものを買う方がいいね。」とシフトしていった。
比べるつもりはなくとも、末娘は何でこんなに色々欲しがるのかなぁ、何かが足りていないのかなぁと、自分が責められている気持ちになる。完全に被害妄想なのだけれど。
夫にそのことを話すと、「単に、欲しいなぁって言ってるだけだから、〈そうだね〉って受けとめていればいいんじゃない?あまり深く考え過ぎないほうがいいかもね。」と言われた。
そう、別に末娘は買ってもらえないからといって、私を責めているわけでもない。単に、私の中で、〈買ってあげたいけれど、そんなに何でも買ってあげることが良いわけでもないだろう〉という気持ちのせめぎ合いがあるだけなのだ。
自分の子どもの頃を振り返ると、幼少期は好きなものを買ってもらうという経験が少なかった。サンタさんへリクエストしたプレゼントが届いたことは一度もなかった。
〈欲しいものは、自分でお小遣いを貯めて買うしかない〉
誰かにねだったり、買ってもらうという経験が殆どなく、時々買ってもらうと「本当にいいのだろうか?」という気持ちになることもあった。
欲しい物を自分で買うこと自体は別に悪いことではない。自分で自分の欲しいものを買うということは、自分がどれくらいものを買うことができ、どれくらい欲しくて、どれくらい必要なのか、そもそも、本当に今、必要なのか、など考えることはたくさんあるから。
私も買い物が好きだ。
独身時代はお給料を美味しいものを食べることと、洋服につぎ込んでいた。その当時を振り返ると、満たされない何かを満たすのに必死だった気がする。
だから、末娘が何かを欲しがると、満たされていないのでは?と思って自分を責めるのだろう。買ってもらえなかった自分を満たそうしてきた気持ちが蘇り、買ってあげるべきなのでは?とふと頭を過るのだろう。
「買ってあげたくないわけではないけど、なんでも買っていたら、お金は足りなくなるし、物が増えて置く場所もなくなっちゃうし、片付けも大変になっちゃうと思うよ。」ショッピングセンターのサンリオコーナーで目を輝かせ、いつものように「可愛い!これ買える?」と私に視線を送る末娘に言った。
すると、末娘はがっかりするのではなく、更に目を輝かせ、
「うん、それはわかってる。でもね、わかるでしょ!!!お母さん!この気持ち!!!可愛なぁ、欲しいなぁっていうこの気持ち!!!」
私は、思わず笑ってしまった。
「わ・か・る!!!!!!」
確かに、私にも未だあるその気持ち。
今は手が届かないけれど、素敵だなと思う座り心地のよいソファー。
きれいに収納できるであろう天然木の引き戸の食器棚。
食卓が華やかになるだろう食器の数々。
使い勝手の良さそうなお鍋。
平屋で生活動線の良い家に住めたら快適だろうなぁ。
私の方がよっぽど欲まみれだった。
欲しいなぁと思うワクワクと自分の手元にあったら、どんなに嬉しくて素敵な暮らしになるだろうという想像。
そうだよね、可愛いものは可愛いと思う気持ち。そして、あったら良いな、素敵だなって思う気持ち。
私は末娘に心から共感した。
わかる!わかるよ!!と。
物が欲しいと思う気持ちは、何か満たされていないのではという自分の思いと経験が、末娘の「欲しい」という気持ちへの見方を曇らせていたのかもしれない。
可愛いな
素敵だな
そばにあったらいいな
そのような純粋な気持ちが〈欲しい〉という表現になっているのかもしれない。
末娘との買い物がちょっとストレスになりかかっていたけれど、
末娘の一言で、買い物がまた楽しいものになった。
「可愛い!いいなぁ!欲しいなぁ!わかるでしょ?この気持ち!!」
「わ・か・る!!!!」
買い物の度に、この会話を繰り返しながら、末娘と私は笑っている。