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先入観を持って本を読むのは邪道か?

私は、ものすごく先入観を持って本を読む。

さぁ読もう!となった時、表紙、裏表紙、前書き、目次、あとがき・・・
などと眺めながら、著者のことを知ろうとインターネットでも検索する。

このヒトはどんなヒトなのだろう?
要約が上手いヒトだろうか?パッションを語るヒトだろうか?
火傷するほどの熱量はあるけど、言葉足らずなキャラだったりするのだろうか?

YoutubeやVoicyがあるなら、数秒でも実際の話し方を聞いてみる。

「あ、こんなヒトなんだ(^^」

同じコトバからでも、私が受け取れる量や形が違ってくると実感する。


そして何より、私は目的を考えて本を読むよう心掛けている。

私がこの本に求めることは何だろうか?
私が求めることは、この本のどこに書いてあるだろうか?
80%の効果を20%の時間で得るためには、どう読むのが良いだろうか?


だから、私はものすごい先入観を作って本を読む。

なぜなら、本を書いているような偉大な人も、すべてが「私に」最適な表現で伝えてくれているわけではないと思うから。

著者がその本を通して伝えたいコト。
読者に動いてほしいと思っているコト。

私なりに歩み寄って「聴き取る」姿勢があると、1行の言葉でも実践につなげやすいと感じている。


あなたはいかがでしょうか?


(あとがき)
今日の話は、自分が成長するための手段として読書をする場合を対象にしています。小説やマンガなどはこんなことを考えずに読みます(^^

推理小説の犯人暴露ページ = 自分が求めている情報! といって最初に読む人は、きっとレアでしょう。

読書も、毎日の食事のように体を形作るものと、お菓子のような嗜好品、私は両方あっていいと思います。

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