世界がぐるりと変わった日
※性暴力の描写があります。苦手な方は、フラッシュバック等にお気をつけ下さい。
25歳になった年の初秋、9月だった。
夜勤明けで一旦帰宅したあと、私は友人と遊びに行き、飲んでべろんべろんに酔って終電で帰ってきた。就寝したのは午前2時頃だった。
なぜ目を覚ましたのかもわからず目を覚ました。飛び込んできたのは、悪夢にしても悪趣味すぎる光景だった。
視界いっぱいに男のシルエット。
仰向けの私の上に跨り、私を見下ろしていた。
目から入ってくる情報に対して理解が追いつかない。理解しようとする前に声が響いた。
「騒ぐな」
まだ私は理解できない。
まばたきもできず、身動きも取れず、ただ自分の心拍と呼吸だけが大きくなり、胸が大きく上下するのが視界の中に見える。
「騒ぐな。助かりたいか?」
男がまた言った。
咄嗟に私は、男の目を攻撃してやろうと右手を動かした。自分が生き残る道は、その時それしかないように思えた。しかし男は私を見下ろしているので、私の手は簡単に押さえられてしまった。
「やめろ」
男が言う。
「助かりたいか?」
意味が分からない。この状況がすでに地獄だ。
私は男の質問は無視して「どうして?」とだけ聞いた。意味が分からなかったからだ。
「俺は鍵を持っているんだ」
と男は言った。
こんなやりとりをしている間、ほんの2分程度だったと思うけれど、私が考えていたのは人間は本当に舌を噛み切って死ねるのかということだった。私はレイプされたくなかった。レイプされるのと死ぬのだったら死にたかった。死ぬことは生きていればある意味自然だが、レイプされることは自然じゃない。
しかし舌を噛んでも死ぬこともできず、痛い思いをして、尚且つレイプされるという、最悪の事態を思い浮かべた。
何にしても私は死ぬのだ。精神的であれ肉体的であれ。死ぬ。ここで死ぬ。
私が心のうちで絶望している間、男は私の上から退き、ロフト(当時ロフトで寝ていた)の梯子を降りていった。
包丁でも取りに行くのだろうか、と私は思った。しかしすぐに「バタン」という音がしたのちに、部屋は静寂に包まれた。
男は逃げたのだった。
男は窓から侵入していた。涼しくなっていた初秋、昼間に空気の入れ替えをして、私は鍵をかけ忘れてしまった。
「俺は鍵を持っている」はおそらく男のハッタリだった。が、私は速やかに引っ越した。
男は数カ月後に逮捕された。気の小さい犯人で、言葉で脅して従わせた上でわいせつ行為に及ぶ、という犯行パターンだったらしい。私は脅しに乗らず反撃するような仕草も見せたため、男は諦めて逃げたということだった。
この話をすると「強いですね」「勇気がありますね」というようなことを言われる。そんなことはない。あの時私にあったのは、ただ無力感と絶望でしかなかった。
「終わりだ」と思った。
自分の人生はあそこで一度終わったように思う。私には何の力も選択肢もなかった。私の意志も感情も、あっても無意味だった。この無力感と絶望感は、何年経っても私を苦しめ続けた。
事件後、私は坂を転がるように不調になった。眠ることが怖くなり、ひどい不眠症になった。眠れない心身はどんどんバランスを崩していき、数ヶ月後、私は駅のホームでフラフラと飛びたくなった。涙が止まらなかった。
初めて心療内科の扉を叩き、PTSDと診断された。女性の医師から「あなた、無傷で助かったんだから、幸運と思わなきゃ」と言われ、その善意の言葉に愕然とした。それは自分で何度も何度も何度も考えたことだった。それでもどうにもならなくなったから来たのだ。病院はすぐに変えた。
そんな状態になりながらも、仕事には休まずに行っていた。今思えば休めば良かったのかもしれない。けれど仕事が好きだったし、働いている間は嫌なことをすべて忘れられたので、休むという選択肢を考えもしなかった。しかし体や心は不調のままだった。
あの日から、世界の見え方は変わってしまった。安全ではない。いつ襲われるかわからない。いつ死ぬか分からない。夜が怖い。
私の体験は人の顔を顰めさせ、困惑させる。なぜ体調が悪いのか、上手に説明することもできない。
生きていく自信は失われ、代わりに不信ばかり募る。自分は弱く、駄目になった存在だと感じる。
生きていることを当たり前に信じている周囲から、自分が浮いた存在のように感じる。友達とも疎遠になる。楽しかった趣味は色褪せ、楽しむ体力もない。
数年経った2022年2月、私は仕事に行けなくなった。職場には行った。だけど文字が読めなかった。まわりの景色が歪んで見え、涙が止まらなかった。
適応障害の診断を受け、休職を経て半年後に退職した。病名はうつ病に変わり、療養生活は2年半に及んだ。
傷病手当で生活をしていたが、傷病手当の期間を超えてしまい、障害年金の申請をした。今は精神福祉障害手帳2級だ。自分が障害当事者になるなんて、介護福祉士として働いていた時は思いもしなかった。
2024年8月、週2日のパートで社会復帰をすることができた。
被害に遭ってからもうすぐ10年が経つ。長かったな、と思う。人生を切り取った10年でおそらく一番長かった。
何を失って、何を得たのだろう。わからない。得たことがあるとすれば、私は徹底的に弱者の気持ちを考えるようになったということだ。
私は性暴力を心底憎む。
「性」という人間の根源に関わる領域に対する暴力は邪悪で、人間の魂を損なわせる。
砕かれた心は二度と元には戻らない。砕けたガラスが元には戻らないのと一緒で。
被害者になるのも、加害者になるのも不幸だ。
一方でこの国の性暴力に対する認識は極めて軽薄だ。量刑の軽すぎる法律も、性犯罪が「いたずら」とか「ハラスメント」という軽い言葉で表現されることも、加害意識の欠如した性加害が起こり続けている現実も。
性暴力の問題は根強い。それでも、少しずつでも、ひとりひとりの認識が変わっていけば変わるかもしれない。
すべての性暴力が世界から消えることを願う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?