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5分で心を抉るエッセイ

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安易な自己肯定や他者否定ではなく、自分の心を抉った(えぐった)先に生きる強さを見出していく、5分で読めるエッセイです。
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記事一覧

どうして結婚したのって?

「どうして、私はこんなところにいるの?」 目の前の猫の耳元でそう問いかけてみた。当然、猫は返答してくれない。 ヨーロッパとアジアの文化が交差するイスタンブールに私はいた。ここは「猫の町」とも呼ばれ、野良猫があちらこちらにいる。しかも、どの猫も人間に一切の警戒心がない。 1年前、私はこんなところに来ているとは思いもしなかった。 私は、海外旅行が好きじゃない。一瞬の非日常を味わうためだけに数十万円を代償にするのは、どうしても腑に落ちないものがある。 だが、新婚旅行となる

私の一票、響かぬことを知りながら

「明るい未来を作るために、選挙に行きなさい。」 そんな説教を聞くたびに、私は内心「また始まった」とうんざりしてしまう。 仕事に集中したいのに、外から聞こえる街頭演説の声がうるさくて、選挙に行く気がどんどん失せてしまう。 民主主義の誕生は、古代ギリシア時代にまで遡るようだ。近代で言えば、革命、独立運動、そして世界大戦。そこには、命を賭けて活動してきた人もいたのだろう。そうして私たちは、選挙で政治家を選べる権利を勝ち取ったのだ。 政治はとても尊いもの。戦争や紛争が立て続け

週休3日なんていらないから酒をくれ。

なぜ人は、生と死の狭間を彷徨いたがるのだろう。 はっきりとした意識の中で過ごすだけでは、何かが足りない。 お酒、タバコ、セックス、ギャンブル――人々は無意識の世界へと逃れる術を次々と見つけ出してきた。時には、その世界に深く入り込み、現実に戻れなくなる者もいる。 私の妻の父も、そうだった。病気の兆候があり、周囲から何度も止められていたにもかかわらず、酒もタバコも手放すことができなかった。 そして、先日亡くなった。60代半ばの死。平均寿命が伸び続ける現代において、その死は

「プライドが高い」って言われましても。

嫌なことを言われると、そのことがずっと、頭に残り続ける。 やがて、嫌なことを言ってきた人を見ると、吐き気がしてくる。 そんな感覚を久々に味わった。 多少の嫌味では狼狽えることはないと思ってたけれど、私はまだまだ未熟のようだ。 みんながいる前で、執拗に見下すような言動を繰り返され、私の中の閾値を超えた瞬間、その人と目を合わせることもできなくなってしまった。 私はこういうモードに陥ると、誰に対しても心が閉鎖的になる。 誰にも弱みを見せないように、言葉を選ぶようになる。

言語化よりも大事なこと

「言語化」という言葉。 タコができるほど、最近よく耳にするようになった。 それは、人に気持ちをうまく伝えられずに、悩んでいる人が多い証左のようにも思える。 昨今は、テレビやネットでも、言語化が上手な人にスポットライトが当てられることが多い。 言語化が上手になりたい。 言葉の力で、みんなの目の前の靄を振り払えるような人間になりたい。 私は、ずっとずっと、そう祈っていた。 けれど最近、私は疑問に思う。 何でもかんでも言語化することを目指すことが、果たして正しいのだ

稼げなければ遊びに過ぎないのか。

私にとって、書くこと。それは、遊びとは形容し難いもの。 けれど、そこにお金が発生していなければ、周りから見れば遊びに過ぎない。 主観と客観の食い違いに、私はずっとアンビバレントな気持ちを抱えていた。 今年に入ってから、転職に続いて結婚をして、私は人生の分岐を迎えた。 そして、思った。 お金も時間も大切なものであり、同時に余裕がないものであるということに。 なので、「稼げない自分の時間」は極限までに切り詰める必要がある。 世の先人たちがたくさんの足跡を残すこの至難

明日死ぬかもしれないと思って生きること。

「明日死ぬと思って生きなさい。」 かつての偉人がこんなことを言ったらしい。 今でも、この競争社会を駆け上がった者たちは、同じフレーズを口にする。 このフレーズ、頭ではよく理解できる。 昨日までの人生を悔いなく生きられているかというと、そんなわけがない。なので、今日からの人生はもっと悔いなく生きたいと、いつもそう思う。 けれど、どうしても心では、もやもやとした違和感が生じてしまう。 いくら「明日死ぬかもしれない」と思っても、普通に生きているだけで余裕がないから、怠惰

他人の子どもを叱れない

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 子どものときに、叱られたことはあるだろうか? 「親父にもぶたれたことないのに!」という例外もあるかもしれないが、子どものときに親に叱られた経験のある人が大半だろう。 善悪がつかないから、無邪気な行動をしてしまう。親から叱られて、それが悪いことだと知る。 そんなのは、通学路と同じように、誰もが子どものときに通る道だ。 ただ、子どもとて、いつも親の近くにいるわけじゃない。 外で友だちと一緒にいるとき、ついつい無邪気

魔境『東京』で生き残るために

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 目の前の席に座っていた人が徐に立ち上がった。 新生活に疲れていた私はそこに座ろうとしたら、隣の人から無助走のタックルを受けた。 隣を見たら、もうその人の姿はそこになく、気づけば目の前の席に座っていた。 ―嗚呼、東京に帰ってきてしまった。 満員電車の中で、桜の散り際を窓から見ながら、私はそう思った。 東京で生きてきた私は昨年、仕事の関係で東京から離れることになり、今年の2月まで大阪に居た。 大阪だって大都会だ。

アウトプットを崇拝していたバカな私へ

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 それは、5年ほど前の話だ。インターネット上では、「アウトプット」が大事だという風潮になった。ベストセラーの著書でも、「アウトプット」がキーワードになった。 ニンゲンたちは、スマホという端末を手にして以来、SNSやブログ等で「文字」を通じた発信を活発にするようになったと思えば、YouTubeやTikiok等で「動画」を通じた発信も活発にするようにもなった。 そして、成功した発信者たちは、私利私欲を満たすための金鉱は「ア

芸能人の精神疾患の話題がバズってて、思索に耽っていた。

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 ニュースサイトやSNSで、芸能人の精神疾患の話題がバズることがある。 以前は、特に理由は明示せずに「休養」という形でニュースが取り上げられていたことが多かったが、近年は「精神疾患」に関する理由が添えられることが多くなったように思う。 さて、そういうニュースに寄せられるコメントを見ると、「ゆっくり休んでください」といった心優しい内容もあれば、「社会はもっと寛容になるべきだ」「精神疾患の理解が広がってほしい」といった社会

メンタルが病んだときの失敗談、そして誰も話してくれない教訓。

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 あなたは、メンタルを病んだことはあるか? 執筆をするニンゲンは、一度は病んだことのある人が多いのではないかと、勝手ながらそう思ってる。そんな憶測を豪語するのも、私はその一人だからだ。 私は常々、内省するために、メンタルに関する体験談を言語化したいと思っていた。 そこで、このnoteではじめてみたいと思う。もしかすると、いまメンタルで悩んでいる人に、参考になるかもしれない。 メンタルに関する体験談は、あたかも悲劇の

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蛙化現象から考える男女の恋愛論

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 「蛙化現象」という言葉をご存知だろうか? 元々は心理学者が2004年の論文で名付けた用語であったようだが、2023年には流行語大賞の7位となるくらいに、ニンゲンたちの間では交わされている言葉であるようだ。 既に言葉の意味を知っている人も多いと思うが、一応解説すると、「元々好きだった相手の言動が気になって気持ちが冷める」という意味の言葉である。 以前、とある女性YouTuberが「男性が会計のときに財布を出しているの

私の価値観を歪めた愛読書 3選

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。 山根あきらさんの企画「#愛読書で自己紹介」に、今日は参加してみようと思う。 普段は流行に反発したくなる私だが、企画の面白さについつい釣られてしまった。 私は創作全般が好きで、本だけでなく、映像やアートも雑多に楽しむようなニンゲンだ。 時間がないという社会人の常套の言い訳で、私は本を何度も読むというよりは、一期一会を楽しんでいる。 とはいえ、一度読んだだけで、私の「価値観を変えた」ような本はたくさんあった。 いや