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芸能人の精神疾患の話題がバズってて、思索に耽っていた。

吾輩は猫を被るニンゲンである。名前はぽん乃助という。

ニュースサイトやSNSで、芸能人の精神疾患の話題がバズることがある。

以前は、特に理由は明示せずに「休養」という形でニュースが取り上げられていたことが多かったが、近年は「精神疾患」に関する理由が添えられることが多くなったように思う。

さて、そういうニュースに寄せられるコメントを見ると、「ゆっくり休んでください」といった心優しい内容もあれば、「社会はもっと寛容になるべきだ」「精神疾患の理解が広がってほしい」といった社会をえぐるような内容も見られる。

私は、そうしたコメントを見ていると、少し共通点っぽいものを見つけた。

芸能人は所詮他人なのに、自分ごとのように感情移入しているのだ。

普段のネットニュースでは、自分のことを遥か上の棚に上げて、他人を褒めたりけなしたりするコメントが溢れるのに、この時だけはちょっと違う空気感が流れているように思う。

どんな人でも、日々ストレスが荒波のように襲いかかる。

芸能人の精神疾患や休養のニュースに対して感情移入するようなコメントを寄せるのは、きっと、自分のことを芸能人に投影しているのだろうと思う。

「ゆっくり休んでください。」

芸能人にコメントを寄せているつもりが、自分に言葉を投げているのだろうと思う。

苦しい環境でかろうじて生きていても、そんな言葉を言ってくれる人は少ない。だからこそ、自分に言い聞かせて、自分の心をなだめているのだろう。

と、短絡的に結論づけてみたものの、まだ思索が足りない気がする。

なので、いつものように、自分自身の心をえぐって考えることにした。

私は、精神を病んでいたことがあった。

リアルで精神を病むと、芸能人に寄せられるコメントとは違って、優しい言葉を言ってくれる人なんて居ないのが現実だ。

むしろ、仲良いと思っていた人たちは離れていくし、自分も人と関わりを持ちたくなるから、孤独になっていくものである。

とはいえ、心が弱っているときの孤独は、致死的に辛いものである。

だからこそ、人とのつながりを作るために、SNS上に繰り出す精神疾患の人は少なくない。私自身も、SNSを始めたのは、他でもなく孤独を癒すためだった。

そして私は、SNSを始めた当初、人とのつながりで温かみを感じていた。

だけど、SNSには「いいね」とか「リツイート」とか、無意識に人と比較してしまう機能が備わっている。

そして、誰もが直接言葉にしないけど、SNSでは目に見えないヒエラルキーみたいなものがあったのだ。

例えば、SNS上で容姿が美人の人が精神疾患の投稿をすると、圧倒的に数字がつく。心配してくれる声もたくさん寄せられる。

それは、精神疾患の理解がされているのではなくて、その人自身が魅力的だからだ。

その一方で、自分には心配してくれる声が一つもない。そしてリアルにも、心配してくれる人は殆どいない。

そのとき、絶望的な真実を知るわけである。私の魅力は、ここまで無いものなのだと。

精神疾患になると、自分の価値が残酷なまでにも分かってしまう。

他人から見た私は、所詮他人だ。心が弱って働くことができない私には、価値がなかったのだ。

ここで、芸能人の精神疾患の話題に戻そう。

私も昔は、芸能人の精神疾患が話題になっていると、SNSとかで「もっと精神疾患の理解が広がってほしい」と投稿していた。

ただ、冷静に考えてみれば、社会としてはかなり理解が広がってきている。

私が社会人になってから約10年と短い間で、会社という閉ざされた箱の中でも、精神疾患で休んだ人への反応は、全く違うものになったように思う。

精神疾患に関する報道の取り上げられ方も、ここ数十年で大きく変わった。

もちろん、精神疾患のことを理解ができずに、心無い発言する人も少なからず存在する。でも、全人口から見たら、僅かな存在だと思う。

どうしても、そういう人が目立ってしまうが、理解できない人にいくら働きかけたって、たぶん一生理解することはできない。

逆に自分が、精神疾患に限らず、すべてのことを偏見を持たずに受け入れられるのかというとそうじゃない。

自分に求められてもできないことを、他人に求めたり、ひいては社会に求めたって、できっこないのだ。

でも、過去の私はなぜ、芸能人の精神疾患のニュースを見たら、SNSとかで「もっと精神疾患の理解が広がってほしい」と投稿していたのか?

理由は明快だ。

孤独な自分という存在を、誰かに見つけてほしかったのだ。

けれど、価値のない私がその気持ちをストレートに伝えたところで、自分の耳に残響が聞こえるだけで、他の誰もがその声を聞いてくれないことを私は知っていた。

だからこそ、誰も自分のことを見つけてくれない「社会」に責任を押し付けることで、自分の孤独の心をなだめていたのだ。

最近は、芸能人に限らず、SNSのインフルエンサーの精神疾患や休養に関するニュースも散見するようになった。

今後も、そうしたニュースがバズり、その度に「ゆっくり休んでください」「もっと精神疾患の理解が広がってほしい」「社会はもっと寛容になるべきだ」というコメントが溢れるといった無限ループが続くだろう。

そうした中で、こうしたニュースを見た私が右往左往したとしても、孤独な私を見つけてくれる人は居ないのだと理解している。

逆に言えば、私のことを見つけてもらえるような、正しい努力をしなければいけない。

ニンゲン同士の関係を「シンライ」なんて綺麗なベールで包んで表現するけど、実際にはそんなに綺麗なものじゃない。

所詮他人同士なのだから、その人の名声や可能性が失われてしまえば、人間関係なんて埃のように吹き飛ぶのだ。

「性格がすべてだ」って言うけれど、実際には「金の切れ目が縁の切れ目」が現実なのである。

ただ一つ、精神疾患になって良いことがあった。

それは、価値のない自分に、変わらず付き合ってくれる人が僅かながら存在するということだ。

自分に価値がなくとも、自分にとってはかけがえのない財産を持っていて、その奇跡に気づくことができた。

だからこそ、精神が病んでいるときは、SNSで自分のことを見つけてくれるための新規顧客営業をしている場合なんかじゃなくて、奇跡的に持っている財産を守るための努力をしなければいけないのだと思う。

あと、もう一つ。

もし、自分にとって大切な人が精神的に病んでいたら、自分がそうされたように、私は変わらずに付き合えるニンゲンになりたい。

SNS上で「いい人」だと思われるために、みんなに優しい顔を向けるよりも、本当に大切な人に自分の時間と気持ちを全力で向けたほうが、きっと幸せになれる。

…と、芸能人の精神疾患の話題で思索にふけっていたら、こんな時間になってしまった。

疲れたので、今日は銭湯でも行って早く寝ることにしよう。


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