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俺たちには林芙美子がいる〜女子の悩みにおける近代日本文学の汎用性について

そう、苦しい時には林芙美子だ

 わたしは林芙美子が大好きである。大好きという割にあまり読めていないのだが、気持ちの上では1番好きな作家である。彼女の作品はだいたい窮地に追い込まれた女の人が主人公なのだが、ハッピーな結末か否かにかかわらず読むとなんだか不思議な元気が湧いてくる。

 おなごの人生はとにかく傷が多い。
 なんせ、努力すれば思い通りになるとは決していえない社会だ。体育館の床を滑ってジャージの繊維が溶けたときみたいな擦り傷がつくこともあれば、「このえぐれた部分、もう戻らないのでは?」と心配になるくらいの深傷を負うこともある。

 でも大丈夫、俺たちには林芙美子がいる。
 今回は人生における林芙美子作品の汎用性をお伝えすべく、さまざまなシチュエーションでのお悩みに答える形で、おすすめ作品を紹介していこう。各作品にざっくりあらすじもつけてみたので、未読の方もぜひ作品を読んだ気になって楽しんでほしい。

①「放浪記」金がないけど働くのもつらい? それなら林芙美子だ

おすすめ作品「放浪記」
九州から上京した作家志望の女フリーターが、職場を転々としながら極限の貧困状態でなんとか生きていく日記。

貧困フリーター女子日記!

 言わずと知れた、林芙美子の自伝作品である。好評すぎて、初版が出てからしばらくして第2弾・第3弾も出た人気ぶりで、映画になったり舞台になったりしている。

 貧困サバイバル就活日記、しかも美人でもしごできでもない、ごく普通の田舎からきた女の子が主人公ときたら、読みたくなるに決まってますね!(はてぶとかnoteとかTwitterはそういう路線結構ウケるよね)

 芙美子と思しき主人公は、地元で高等教育を受けたはずなのに、いざ働き始めたら仕事にありつけず、とてもじゃないけど暮らしていけない状況でもがいている。明日の飯があるかもわからないレベルの貧困状態なので、カフェーの女給やおもちゃ工場の女工、住み込み家政婦や事務員などに応募するものの、どこもブラックすぎて仕事が続かない。詩人を目指して雑誌に投稿してもいるが、原稿料で食べていくことはできてない。
 しかも男運は最悪で、結婚しては働かない夫にDVされて捨てられる、の繰り返し。持っている着物は1着だけで、家具も旅行鞄と布団のみ。
 その辺の貧困女子ルポルタージュなんかじゃ到底敵わないレベルの、すさまじい貧乏ぶりである。

肩まで浸かってるけど溺れないギリギリ感

ああ私が生きてゆくには、カフエーの女給とか女中だなんて! 十本の指から血がほとばしって出そうなこの肌寒さ……さあカクメイでも何でも持って来い。ジャンダークなんて吹っ飛ばしてしまおう。だがとにかく、何もかもからっぽなのだ。階下の人達が風呂へ行ってる隙に味噌汁を盗んで飲む。神よ嗤わらい給え。あざけり給えかし。
あああさましや芙美子消えてしまえである。

(「放浪記」第二部より引用)

 貧すれば鈍するという言葉があるが、しかし彼女の文章は貧しても鈍せずキレッキレである。文章の中に心の底から困っている自分と、そんな自分を観察してる冷静な自分、みたいなものの綱引きがあるから、心底「もうだめだ!!」と絶望している芙美子に同情しつつも、どこか面白く読めてしまう。
 「芸術だけでは食べていけない」という圧倒的現実に挫けそうになりながら、それでも彼女は日記にポエムを書きつらねる。「男とも別れだ!/私の胸で子供達が赤い旗を振っている」とかまあそういう内容なんだけど……。その自由で赤裸々で、でもどこか不思議な引力を持つ言葉づかいに、後の世の読者としては芙美子の小説家としての才能の萌芽を感じたりもする。
 また貧しさに喘いでいるからこそ、給料(とりわけ作家活動の原稿料)が入ったときの安堵や、炊き立てのご飯を食べたり、久しぶりの湯船に浸かったりする様子が、より一層輝いてみえるのだ。繊細な描写には、じんと染み入る美しさがある。

 芙美子は自分がダメなせいでこんな目に遭っているかのようなトーンで書いているが、そもそも労働基準法や男女雇用機会均等法なんてもののない時代に、若い女がひとりで生きていくことは超ハードモードである。実際、作中の勤め先は大体低賃金で、サービス残業させられたり、セクハラに遭ったり、まともに安心して働くことはできない職場ばかりだ。
 まして結婚というセーフティネットの外である、離婚やおひとりさまという選択はリスクでしかない。社会からの芙美子への冷遇ぶりには「それを選んだのは自分なんだから、自業自得でしょ」というめちゃくちゃに冷たいまなざしを感じる。わたしは高校生の頃から同級生に「はまちって離婚しそうだよね」とお墨付きをいただいている女なので、ぜったいにこんな社会には戻すもんかと思っている。

この状態からでも入れる保険があるんですか?

 第2部のラスト、生活に行き詰まった芙美子はカルモチンという鎮静薬を大量服薬して自殺未遂を起こす。この時代からODは自殺の選択肢にあったらしい。それでも死にきれず、友人に介抱されながら意識を取り戻した時のモノローグがとても好きだ。

「洗濯屋の二階だけれどいいところよ、引越さない?」
 私は生きていたい。死にそくないの私を、いたわってくれるのは男や友人なんかではなかった。この十子一人だけが、私の額をなでていてくれている。私は生きたい。そして、何でもいいから生きて働く事が本当の事だと思う――。

(「放浪記」第二部より引用)

 どん底な環境でも、そこに一筋希望があるならば、何とかして生きていたい。
 経済的な後ろ盾を持たない、社会に居場所のない彼女にとって、生きることは働くことと分かち難く結びついている。「何でもいいから生きて働く事が本当の事だと思う」という言葉は、生活のために稼ぐということ以上の響きをともなっているように読める。

 悲しみも不満も喜びも、体いっぱいに感じて書き綴っている芙美子を見ると、そんな簡単に人は終わらないな、と明るく開き直る気持ちが湧いてくる。

 そう、「放浪記」は面白いだけでなく「逆に希望が湧いてくる」という効能がある。
 人間、自分よりピンチの人を見ると「少なくともこの人よりは多少マシ」と、謎の安心感が湧くものだ。さらに芙美子はどんなに困窮して落ち込んでいても、ギリギリのところで生きることを諦めていない。もうダメだ、もうおしまいだどん底だと言いながらも、ページをめくると軽やかな筆致で新しい日記が続いていく。
 生きることを根源的に諦められないしぶとさ、粘り強さ。林芙美子作品の一番の魅力が詰まった作品だ。

この本が気になった人へ
 とりあえず、まずは「放浪記」を1ページ読んでみて、それから今後の展望を考えてみるのもいいんじゃないでしょうか。

②「清貧の書」UR住宅で好きな男とていねいな暮らしがしたい? それなら林芙美子だ

おすすめ作品「清貧の書」
うちは貧乏で家もぼろくて来月の家賃も払えるかわかんないけど優しい旦那に愛されてるからオールオッケーです♡

この人、わたしのこと殴らないんだ!(?)

 「放浪記」よりもっとあとに書かれた、こちらも自伝的な小説である。芙美子と思しき主人公が3番目の夫の与一(手塚緑敏)と一緒にオンボロな一軒家に引っ越してきてから、ふたりの新生活が軌道に乗りはじめるまでを描く。
 やっぱりこの作品の時間軸でも芙美子は貧乏で、ふたりの引っ越しは「貯金なし」「電気なし」「ご飯なし」「業者なし」。徒歩で家財を運び、暗闇に蝋燭を灯して暮らすような余裕のない生活をしていると、自然と夫婦の間にも喧嘩や小競り合いが発生する。
 ところが与一がこれまでの夫と違うのは、金がないという問題を芙美子だけに押し付けず、淡々と引き受けるところである。
 当座の生活費を貯めていたはずが、貯金箱を割ってみたら銅貨ばかりで焦る芙美子に、与一はあっけらかんと声をかける。

「うん、──あのね、何も遠慮する事はないんだよ。金が無かったら無いようにハッキリ云いたまえ。ハッキリと云えばいいンだ。(後略)」

(林芙美子「清貧の書」より引用)

 その日暮らしの家計を預かることに参っていた芙美子の千々に乱れた心は、この与一のあったけえ言葉によって救われる。いい旦那じゃん!
 当たり前のことを言っているだけといえばそれまでかもしれないが、さっきの「放浪記」でさんざん痛い目に遭ってきたあとに見ると、実に与一がまともな良い人に見えてくる。
 序盤こそお先真っ暗感が漂っているが、与一が案外まともな夫であることが判明してからは、閉塞した暮らしにロマンスの風が吹き込んでくる。
 物語終盤には、ご時世もあって与一が一時期徴兵で家を離れるくだりがあるのだけど、その間の文通なんかもう、コーヒーシュガーをそのまま食べたんかと思うくらい、めちゃくちゃに甘い。読んでるだけで歯が溶けそうになる。

清貧をダシにすると惚気が美しくなる

 「そんなわけあるか、貧乏物語に萌えるなんて断じてあり得ない」と疑っているあなた(?)、周りを見渡してほしい。これは日頃からわれわれを取り巻いているメディアすべてに言えることなのだ。
 例えば、Instagramで対面のグラスを映すインスタグラマーにはちょっぴりイラッとするけれど、ミニマリスト系のYouTuberがさりげなく夫の存在を仄めかしても「いいなー」と素直に思う、なんてことはないだろうか?
 有名人同士の結婚報告ツイートには祝福しつつもどこか辟易している自分がいるけれど、庶民派日常系のツイッタラーが稀に投稿する旦那エピソードを探して、無駄に過去ツイートを遡ったりしたことはないだろうか?

 あるでしょう???
 つまりそれが清貧をダシにして惚気てるってことなんですよこのお馬鹿!!!!(?)

 社会の目を欺く清貧の魔法に、われわれはまんまと騙されてしまっている。しかしこの作品を読めばもう大丈夫。足りない暮らしはふたりの仲を程よく中和して見せる隠れ蓑なのだ。UR住宅で暮らして部屋をリノベして、あとは2人分のご飯を作るモーニングルーティンを撮ろう。

この本が気になった人へ
 清貧をダシにすることで美しく惚気る、というテクニックを盗むのに本作品はぴったりです。文章だけでなくInstagramやYouTubeにも応用可能かと思われます。

③「浮雲」追っちゃダメな男ばかり追い回してしまう? それなら林芙美子だ

おすすめ作品「浮雲」
派遣先の南の国で出会った男(既婚者)が好きすぎて、文字通り一生かけて追い回したら根負けして死に際に振り向いてもらえた話。

執念のど根性ストーカー小説!

 終戦後、主人公のゆき子が仏印から新宿へ帰ってくるところから物語はスタートする。
 大日本帝国が他国を侵略しまくっていたその昔、ゆき子はタイピストとしてインドネシアで森林を管理する仕事(の内勤)に応募した。その先で出会ったのが、年上イケメン公務員の富岡だった。
 この富岡は、仕事はできるけど後先考えないで女を抱いちゃうダメな奴で、しかも日本に妻を残してきているれっきとした妻帯者である。駐在先ではゆき子に手を出した結果(ライバルとなったもう1人の同僚による)刃傷沙汰が起きるし、帰国してからは働かずふらふらし、金に釣られてゆき子に会いに行っては、適当なことを言って逃げ出して、また別の女に手を出す、しかも奥さんはほったらかし……。このゴミ!!!な男なのである。
 この小説は、終戦で散り散りに別れたところから、ゆき子が富岡をどこまでも追いかけ回し、富岡はいろんなことを考えながら逃げまくる。なんならそれが話の8割と言っても過言ではない。そんな追いかけっこが、ゆき子と富岡両方の視点で進行するのだ。

ダメな男の気持ちがちょっとだけわかるし、限界突破したストーカーの美しさにも気づく

 主人公のゆき子はスペックだけならギリギリかわいいと言えなくもない女である。目も小さいし地味な感じの見た目だけど、おぼこくて、性格が真っ直ぐなうちは清楚な女と言えなくもない。
 ところがゆき子は、敗戦後色んなものが転覆した日本をサバイブする過程で、みるみるめちゃくちゃな女になっていく。
 具体的には、人の家の布団を勝手に売るし、占領軍の兵隊の愛人になるし、他人のコタツで酔っ払って動けなくなるし、自分をレイプした男が信仰宗教の教祖になったらそこの事務員になる。こんな1ミリも可愛いと思えない女が長編恋愛小説のヒロインだなんて、マジ?

 これは彼女がもともとそういう女だったというよりは、戦争が彼女を変えてしまったというべきだろう。それは富岡にもまったく同じことが言えて、彼も戦争を経験しなければ、ちょっと性根の曲がった公務員のまま安穏と暮らせたはずなのである。

富岡は、ベッドの下に手をのばし、その農業雑誌を取りあげてぱらぱらとめくり、自分の文章が活字になつてゐるところを眺めてゐた。自然に南のダラットの風物が瞼に浮んで来る。あの時代を考へると、あまりにも、自分の生活の変りかたの激しさに、呆然として来るのだ。

(林芙美子「浮雲」から引用)

 先が見えない暮らしの中でめちゃくちゃ濁った目をして放浪していた富岡だが、時には仏印の自然についてレポートを農業雑誌に投稿して、お金を作ったりもしている。南国の植物や森林についての富岡の文章は、穏やかで瑞々しい。そして記憶の中の美しい仏印から現実に意識が戻ると、終戦後の自分の生活との差に呆然とする。
 富岡とゆき子が恋を育んだ仏印は、彼ら自身からは楽園みたいに回想されている。が、それは侵略している日本の立場から見たもので、なんつーか嘘っぱちである。本当はあってはいけないはずの、歪んだ理想郷なのだ。
 まやかしであるという点では、歪んだ理想郷である仏印も、ぐちゃぐちゃの戦後日本という現実も変わらない。そして多分、まやかしは精神に悪い。足場が不安定だと「全部どうでもいい」という気持ちが生まれるからだ。富岡のくそっぷりも、ゆき子のはじけっぷりも、違う時代ならもっとマシだったんじゃないかと思わずにはいられない。

 ところで、富岡の目に映るゆき子は、中盤まではべたべたすがってくる面倒で嫌な女である(し、多分その通りだと思う)。
 しかし後半には戦後の荒波を乗りこなす女傑へと成長して、窮地の富岡の前に現れる。富岡はあーやだやだと言いつつも、気づけばそのパワフルな姿に圧倒され、魅了されてゆく。それは、戦中の仮初の楽園であった仏印で、ゆき子に惚れた時の記憶にオーバーラップ……してたような、どうだったかな。
 最晩年の作品だけあって、芙美子先生的にも「結局こういう女が男の心を手に入れるのだ」という悟りがあったのかもしれない。

この本が気になった人へ
 男を振り向かせるのには顔も性格もいらない、必要なのは圧倒的なパワーだと実感できます。
 すきぴと比較しながら読んでみると攻略のヒントが得られるかもしれません。

④「晩菊」ずっと独身なのかな?って思ってたら元彼からLINEが…? それなら林芙美子だ

おすすめ作品「晩菊」
美魔女が水商売引退後に不動産で手堅く儲けたら、年下の元カレが金を借りにきたので美貌の力で追い返す話。

結婚とかもういいからマンション買うわ系主人公(しかも美人)

 こちらもかなり晩年の作品。しかも文庫版(アンソロの表題作)の表紙イラストが安野モヨコ先生。び、ビジュやべ〜〜!!

 主人公・きんは芸者を引退したのち不動産を転がして戦後を生きてきた小金持ちな独身女性(56歳)である。物語は年下の元彼・田部が1年ぶりに連絡を寄越して家に遊びにくるというので、きんの「元彼に会う前のGRWM」を追うところからスタートする。

 夕方、五時頃うかゞひますと云ふ電話であつたので、(中略)女中に早目な、夕食の用意をさせておいて、きんは急いで風呂へ行つた。別れたあの時よりも若やいでゐなければならない。けつして自分の老いを感じさせては敗北だと、きんはゆつくりと湯にはいり、帰つて来るなり、冷蔵庫の氷を出して、こまかくくだいたのを、二重になつたガーゼに包んで、鏡の前で十分ばかりもまんべんなく氷で顔をマッサアジした。皮膚の感覚がなくなるほど、顔が赧くしびれて来た。

(林芙美子「晩菊」本文より引用)

 こないだ「デート前日のお風呂ルーティーン」みたいなvlogで、同じようなことやってた人いたな。
 きんの美魔女を維持するための努力はすごい。美容系YouTuberと比較してもまったく遜色がない。ちなみにこの後、高いクリームでがっちり保湿して、年相応でありながらも顔が映える着物をまとい、チーク代わりに日本酒を飲み、ビタミンC代わりにホルモン注射を打つなどの工程が続く。まったく本題がはじまらないのに、このくだりを読んでいるだけでもうすでに楽しくなってしまうの、なんなの。

 彼女は口のきけない小間使いの女性と、2人きりで屋敷に住んでいる。男のいない暮らしはなんとなく頼りないけど、わかりやすく媚びて男を求めたりはしない。別れた時よりも美しくをスローガンに、色々と支度をして田部を迎え撃つ。

やっぱ元彼はしんだことにするに限る!

 で、今回この田部が来たのは金のためなんですね〜〜! さっすが戦後、一億総金がない社会。ゴタゴタの中で事業を起こした人が多かったようですが、あいにく彼は成功しなかったようです。
 再会からしばらくはお互い変わらない美しさに惹かれあってもみるのだけれど、きんが金を貸す気がないことがわかってからふたりの心は急速に冷え切っていく。
 この、恋してた頃に加算された好感度ポイントが、金をめぐってみるみる目減りしていく会話が味わい深い。一度でも恋人に愛想が尽きたことのある人なら「あるある〜」と共感できる箇所が盛りだくさんだ。

 最後の方はお互い「この女殺して金奪ってやろうかな」「倒れるくらい飲ませて何かされる前に動けなくしてやろう」なんて算段を立てちゃってる始末。きんは自分が先に眠らないようにヒロポンをキメて(!)田部の若かりし頃の写真を火鉢で焼く。やっぱり気持ちがなくなったら写真は消すんだね。時代が変わってもおなごの心は一緒だね。

 きんも「一回別れた時にきれいに関係切っとくべきだったな……」と回想している通り、「このままずっと独身なのかな?」と不安になったタイミングで過去の男と連絡を取るというのは、時代を問わず悪手であるいわざるをえません。
 頼れるのは不動産と金。そして男は裏切ることもあるけど、いつだって美貌はわたしたちの努力を裏切りません。
 ちなみに芙美子自身、この作品を出す数年前に、自分の金で家を建てています。さすが〜!

この本が気になった人へ
 美容のモチベーションがとても上がる読後感です。ドラッグストアに行く前と、元彼からのLINEを返すか迷ってる時に読むのがおすすめです。

⑤「下町」愛してもいつか別れは来るんでしょ? 大丈夫、そんな時にも林芙美子だ

おすすめ作品「下町(ダウンタウン)」
夫は戦地から帰らない。寂しさを埋めてくれた男は死んだ。帰る家はなく、子どもを抱えて歩き回るしかなくても、やっぱりわたしは東京がいい。

するかしないか、それが問題だ

 りよ(30)は、戦争で家を失い、他人の家に間借りをしながら、息子を生活費を稼ぐために静岡のお茶を売り歩いている。ある寒い日、暖を求めて訪問した作業場で、優しくて真面目そうな男性・鶴石(29)に出会う。
 彼はかつて捕虜として囚われていたシベリアから終戦後に帰還した身であった。りよの旦那が現在もシベリアから帰ってこないことに同情して、何かと彼女を気にかけるようになる。

 二人はだんだん顔馴染み以上に仲良くなり、りよの息子も交えて休日に遊んだりするようになる。彼は子どもと遊ぶのもうまく、息子も懐いていい感じだけど……そう、困ったことにだんだんふたりの距離が縮まってしまうってわけ……!

「一緒に困ってくれること」のパワー

 そしてある日のお出かけの途中、3人は浅草の真ん中で土砂降りに見舞われる。傘もないとなると、どこかに泊まってやり過ごすしかない。
 街の宿屋で川の字に寝ることになり、お互いの出方を伺うように世間話をするりよと鶴石(息子はもう寝てる)。ついに鶴石は「そっちに行ってもいいかい」とりよに尋ね、うおおこれは、もう、やっちゃうでしょ!

 と思いきやここで鶴石、自分が兵役に行っている間に、妻が寝取られたトラウマ体験をサラッと打ち明ける。えーなんで今!
 当然微妙な空気になり、会話も当たり障りのない世間話に戻っていく。りよは、ああ鶴石は諦めてくれたんだな、申し訳ないけどこのまま夜が明けてくれるといいなと、少しホッとする。一方で、残念な気持ちもないわけでなく……。

 そんな空気が伝染したのか、なおも「おりよさんは偉いな、女がみんなだらしがないってわけでもないんだな」「鶴石さんは女の人と遊んだりしないの」「するけど玄人の女ばっかりだな」「男はいいわねえ」みたいなじれったい会話が続く。いたたまれない気持ちでいるりよに、ついに布団の上から覆い被さる鶴石。

「駄目か……」りよは蒲団の中で脚をつつぱつてゐた。ひどい耳鳴りがした。「いけないわ……私シベリアの事を考へるのよ」りよは思ひもかけない、悪い事を云つたやうな気がした。鶴石は変なかつかうで蒲団の上に重くのしかゝつたまゝぢいつとしてしまつた。頭を垂れて、神に平伏してゐるやうな森閑としたかつかうだつた。りよは一瞬、済まないやうな気がした。暫くして力いつぱいで鶴石の熱い首を抱いてやつた。

(林芙美子「下町」から引用)

 この、断られた時の鶴石の態度と、りよの罪悪感が化学反応して、流れるように抱き合う超展開やばくないですか!!!

 すごいのがこの鶴石の、頭を垂れて沈黙した真摯な態度ですよ。
 葛藤に満ちた、第三者から見ればかっこ悪くて苦しい沈黙。でも、逡巡や葛藤を隠さない姿勢は、その根底にある想いごと、まっすぐ相手に伝わるのだ。
 鶴石はりよと一緒に困っている。下手な言葉で解決せず、逆ギレしようともしない。ただ目の前で、自分にはどうすることもできないりよの夫への思いと、それが叶わない孤独に触れて、ひたすら打ちひしがれている。

 そんな男を好きにならん女なんておらんやろーー!!!

 かくしてプロスキーヤーもびっくりの心の大ジャンプが、たった2文で行われるのだ。林芙美子すごすぎ、作家すぎ。

すべてを失っても、立ち上がらざるを得ないわたしたち

 ただ話はこれで終わりではなく、このデートの2、3日後、なんと鶴石は仕事の途中に事故であっけなく亡くなってしまう。りよがその事実を知ったころには、すでに葬儀も済んでおり、お茶を売りに行った鶴石の作業場が片付けられている最中だった。呆然自失となったりよは、あてもなく街を歩き回る。

 大事な人を奪われ、悲しみのどん底に叩き落とされたりよ。しかも察するに鶴石とはしっかりやっちゃってるので、不倫の罪もひとりで背負わなければならない。
 いつ隅田川に身を投げてもおかしくない状況だが、しかし彼女の打ちひしがれた心は、街を歩くうちに次第に息を吹き返していく。

いまは、何も彼もものうい気がした。何の聯想からか、りよは、鶴石の子供をもしも、みごもるやうな事があつたら、生きてはゐられないやうな気がして来た。シベリアから何時かは良人は戻つて来てくれるだらうけれども、もしもの事があつたら死ぬより仕方がないやうにも考へられて来る。──だが、珍しく四囲は明るい陽射しで、河底の乾いた堤の両側には、燃えるやうな青草が眼に沁みた。りよの良心は案外傷つかなかつた。鶴石を知つた事を悪いと云つた気は少しもなかつた。

(林芙美子「下町」から引用)

 彼女にどういう心境の変化が訪れたのか、その希望は一体どこからやってきたのか。それははっきりとは語られない。
 ただ、早春の寒さが束の間ゆるんだ、微かに春の気配がする川辺と呼応するように、りよは自分の中にまだ生きていく力が残っていることに、ふと気がつくのだ。

 理不尽に何度でも奪われるのが、人生の本質だとわたしは思う。これは、林芙美子作品全体を貫く観念でもあると感じている。
 手に入れたと思ったものは、いずれ「一握の砂」よろしくさらさらとこぼれ落ちていく運命にある。キャリアも、財産も、家庭も、友人も、事故や事件や、あるいは世の中の移り変わりによって、いつ何時失われるかわからない、儚いものだ。

 しかしそれらがなくなったとしても、わたしたちはすべてを失ったわけではない。
 世間や運命には奪えやしない、わずかに残った「何か」が、わたしを生きることに駆り立てる。

 その根っこにあるのは「わたしはここで生きていける」と、人生の中で一瞬でも安堵した記憶ではないだろうか。

 それらは現実を変えはしない。でも、かつて安心をくれた人々や、たとえ一瞬とはいえ手にしていたものの記憶は、わたしが忘れない限りそばにあり、光のさす方へと、この手を引く。
 だから辛くても、いつかまた立ち上がれる。そして、働き、生活することを通して、もう一度社会へと立ち向かっていけるのだと思う。

 束の間の幸福から、ふたたび厳しい現実に戻っていく時、りよは、鶴石と出会った東京に残ることを選択する。思い出がどれほどわたしたちを力強く生かし、その背中を押すのかが、この一節からはありありと伝わってくる。
 「りよは、商売があつても、なくても東京がいゝと思つたし、のたれ死しても東京の方がいまはいゝのだ。

この本が気になった人へ
 間違いなく面白い作品なので、青空文庫でブックマークだけでもしておくことを強くおすすめします。あと年下男子はいいぞ!

終わりに

 以上、おのれの好きな部分だけ要約した、林芙美子のおすすめ作品紹介でした。

 紹介しきれなかったけど、他にも読んでて元気がもらえる作品はまだまだいっぱいある。個人的には、旦那が戦地に行っている間に義父と子どもを作ってしまい、主人公がヤケクソになって橋から放尿する「河沙魚」って短編もお気に入りである。あらすじからわかる通り主人公の追い込まれ具合がやばくて「こんな感じになっても人って生きていけるんだ〜」と謎に元気をもらえるところが好きだ。

 色々今と状況が違うけど、明治・大正・昭和それぞれ激動の時代を生きた人の話は、平成・令和のわれわれにとってもなんだかんだ面白く読める。その中でも、林芙美子はおなごの傷の多い人生に、力強く「大丈夫!」をくれるところが良い。 

そう、苦しい時には林芙美子だ。
 転んで呻いて、涙目になりながら顔を上げると、林芙美子作品の主人公たちの背中が、ずっと向こうに見える。みんな人生がすっごいことになっているけど、それをを見ていると自分もなんだか、膝についた砂を払って立ち上がれる気がしてくる。

そう、いつだっておれたちには、林芙美子がいる!

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