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『タラント』角田光代氏。思いを受け継いで自分の”使命”を生きること。

「タラント」とは「使命」という意味だそうです。角田光代さんが描くこの”使命”とはなんなのか。主人公みのりは回り道と停滞を繰り返します。祖父の人生が明らかになるにつれて、見えてくるもの。全てが見通せたときに私たち読者は主人公と共に一歩踏み出せるでしょう。

☆とうとう文庫が発売となりました!紙の本屋がある限り永遠に中公文庫棚に差すべき1冊、それが「タラント」です!(書店員向けに言いました😂)

『タラント』角田光代 中央公論新社

『タラント』はまず、読売新聞朝刊の新聞小説として2020年7月18日から連載が始まり、2021年7月23日、東京オリンピック開会式の日に第359回で完結しました。
それから約半年後、2022年2月21日に単行本として発売されました。 

角田氏の描く人々にはうそがない、と感じます。読み終わると、登場人物たちが現実に、東京や香川のどこかで暮らしている気がしてならないのです。

単行本出版前に配布されたプルーフ。
朝刊で読んでいたけれど、まとめて読んでまた泣けた。

1999年と2019年 みのりの人生

 物語の始まりは2019年に生きる40歳前後の主人公、
東京在住のみのりが故郷香川に帰省する機内からはじまります。

後ろの座席で赤ん坊が泣き始めました。舌打ちする見知らぬ男性。
着陸後ちらっと赤ん坊のほうを見てしまったみのりは、言い訳を心のなかで唱えています。
この行動、読者にも心当たりはないでしょうか?無反応なふりをしているけれど、実際は舌打ち男性と同じステージにいるんですよね。

みのりの目に映る世界は、あきらめに支配されているように見えます。

みのりの実家は讃岐うどんの店です。親族で店を取り囲むように住んで働いている家族経営のお店。
小さなコミュニティで全てが完結する世界、そこで生まれ高校卒業まで暮らしました。

故郷高松は決して閉塞感のある土地ではないのです。
しかし高校生の頃のみのりは広い空にも近くにある瀬戸内海にも「閉じこめられている」という感触を抱いていました。

東京の大学に進学を決め、いよいよ上京のために機上の人となったみのりの心情は、高揚のただなかにありました。

出ていくんだ、とみのりは心の中で叫んだ。

自分の意志と足で、はじめて、外に出たような気がしていた。

『タラント』角田光代 中央公論新社

みのりが大人への第一歩を踏み出す象徴的なシーンです。
「外に出たような気がしていた」、と表現していますね。
東京で暮らしたからって、外に出たなんてことはないんだ、と暗示しているようです。
本当の大人になった40代のみのりの視点は非常に手厳しいのです。

東京郊外の大学での生活は、思い描いた通りには進みませんでした。
人と情報の多さにまず驚きます。
授業の選択に戸惑い、同級生とのコミュニケーションもうまくとれない。
表面上の付き合いと、自分自身に確固たる信念を持っていないことに、
みのりは落ち込みます。

地元の高校に通い親族に囲まれた生活をしていた頃のように、引かれたレールに乗っかって生きることの気楽さを思い知りました。

履修科目は何とか決めたもののサークルやアルバイトをするでもなく、内心焦りを感じたままゴールデンウイークにはいりました。
そこに実家の祖父が一人で唐突に上京してきたのです。不慣れな吉祥寺のプラットホームで何とか合流し、みのりは一緒に食事を取りながら祖父に話し続けます。

みのりは東京で心細かったようです。東京でたったひとり気持ちが張り詰めたまま、間違いが許されない社会に踏み込んでしまったと気がついたのです。

友だちを作れる自信を失っているとつぶやくと、祖父は言いました。

「友だちはできる。(中略)いろんなやつがおるじゃろう。いろんなとこから集まってるからな、大学は。本当に気の合うやつがいるさ」

『タラント』角田光代 中央公論新社

祖父はその後、東京の友人と会ってから香川に戻りました。みのりは祖父の東京での行動を不思議に思います。
うどん屋の店内や駐車場のベンチで佇んでいるだけの祖父の姿しか、みのりの記憶にはなかったからです。

祖父も自分と同じように大学に行ったのだろうか。どんな勉強をしていたのだろうか。どんな青春時代を送っていたのだろうか。みのりは祖父の過去を知りたくなりました。

後日、家族からも満足のいく話は聞きだせませんでした。 この時、祖父は東京で誰と会っていたのだろうか。どんな思いがあったんだろう。それがこの物語の根幹となります。

平成令和に暮らす私たちには想像しえない苦悩を抱えたまま、飄然と生きる祖父の姿が、読み進めるとともに明らかになります。
読了するころには祖父・清美の存在は神々しくさえ思えます。

祖父の助言は現実になりました。みのりの住む女子寮のなかで、他大学の先輩と出会いました。それがみのりの人生の転換点となります。
「麦の会」というボランティアサークルに入会したみのり。
上京してはじめて、心を許せる友人たちと巡り合ったのです。口にすれば些細なことでも、ぞんざいに扱わない人たちとの出会いでした。
東京の夜、やっと息ができるようになったみのりに、読者も一安心します。

「麦の会」というサークル名にはこの小説の主題ともいうべき意味がありました。それは「聖書の言葉」でした。

一粒の麦によって、わたしたちは今日、生かされている。

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、ゆたかに実を結ぶようになる。

『タラント』角田光代 中央公論新社

祖父の生きた道と一粒の麦の意味。この後、みのりや祖父、みのりの甥の陸、サークルの仲間たちなど、さまざまな人の人生が描かれます。

みのりたちの日常を描く中で、”どう生きてどう死ぬのか”という命題が出てきます。 みのりはサークル活動を通じて世界を見ることになりました。本当の意味で「外に出た」のです。外の世界は過酷でした。

発展途上の地の子どもたちの現状を知り、活動とはいえ観光の域を出ない自分たちの行動範囲にジレンマを感じ始めます。
矛盾点を解消すべく自分で考えて動き始める学生たち。みのりは生真面目でとても優しい人です。
それが”あだ”となる事態が起こり、みのりの人生の足かせとなってしまうのです。  

1940年代 ”ぼく”の独白

 みのりという女の子の物語の合間に、どうやら戦争中の兵士のひとりごとがはさみ込まれます。

誰なんだろう。読者は不思議に思います。

兵士は”ぼく”という一人称で苦悩を独白し始めます。国内の訓練では殴られ通しだったけれど、町に出ることも許され、気の合う友人もできました。

やがて訓練は終わり戦地に送られる”ぼく”。戦地とはどのようなところか。

考えてはだめだ、感情を持ってはだめだと、思い知らされることになる。いや、正確にいえば、考えることも、感情を持つことも、いっさいなくなるんだ。

『タラント』角田光代 中央公論新社

南洋の戦地にて撤退戦としか思えない戦いを強いられる部隊。仲間はどんどん吹き飛ばされます。
感情を持つことが許されない環境で、自分の意志が麻痺してしまう。

「自分で考えることができなくなっている」

『タラント』角田光代 中央公論新社

爆撃により被弾した”ぼく”はなんとか生き延びました。戦後、故郷の香川に戻った”ぼく”は思い知ります。もう以前の自分を取り戻すことはできないのだと、絶望するのです。

全てがなすがまま、上官に命令されて陣地を設営した時のように、故郷の見知らぬだれかに声をかけられるまま生き、自分の感情を捨ててしまった”ぼく”。
希望なんてひとかけらも持っていないように見えます。

 

大切な何かを失い、それでも人はなぜ生きるのか

 戦争を生き抜いた ”ぼく”と比べれば、みのりの生きる21世紀は自由に泳げる世界のはずなのです。しかし彼女は苦しそうです。

みのりが経験したことの幾つかは、読者である私たちも形は違えど出会っていると思います。読み手もチクチク心を痛めながらみのりの人生を追っているのではないでしょうか。

この小説のもう一人の主人公、兵士だった一人の男”ぼく”の人生は、息を止めるようにして読むよりほかありません。
この二人の登場人物の共通点は何だろうと考えています。

大切な何かを失った後、人は希望を持って立ち上がれるのだろうか。次の”なにか”は見つけられないかもしれない。
でも見ていないことを望むことはできないのです。

「世界を知るって、自分の未来を知ること」

『タラント』角田光代 中央公論新社

みのりの友人である玲が放つこの言葉は重要です。
大人になったみのりに訪れる絶望と拒絶。重大な別れを経験し、封印してきた過去の自分の浅はかさを思い出すこととなります。彼女はもう東京で働くことができなくなりました。

故郷のうどん屋を手伝いながら、寡黙な祖父と再び話し始めました。

何も知らなければ。何も知ろうとしなければ。

『タラント』角田光代 中央公論新社

私はこんなに苦しむこともなかったのに。気持ちの一端を話すわけではないが祖父には通じているようでした。
祖父はただこう言います。

「なんちゃせんでも、ええ」

『タラント』角田光代 中央公論新社

その言葉により、なぜ祖父が毎日じっと座っているのか少しだけ分かった気がするのです。みのりは自分とは比べようのない深い祖父の絶望を悟ったのです。
”世界を知る”とは受け止めきれない現実と向き合うということです。祖父もみのりも世界を知ってしまった。

その上で、心が壊れそうなときはその身を日常にゆだねて生きることも大切なのだと、「ただ、見とればええけん」と祖父は短い言葉でみのりに教えるのだ。  

『タラント』角田光代 中央公論新社

一粒の麦とタラント

 みのりが夫となる男性と出会ったのは、東日本大震災の頃でした。二人で恐怖と向き合い、なんとか生きて東京で働いています。それは学生時代に抱いていた熱意とは程遠い生き方でした。
そこから彼女はどうやって立ち上がるのか。その歩みはとてもゆっくりです。

決定的なことが起こって主人公が再起するような小説ではありません。
たたみかけるような後半の章で、明らかになることに悲しくとも一筋の光が差す心地がします。
過去と現在、途中で挟みこまれる“ぼく”の語りとともに接点が重層化するのです。

みのりも読者もあぁ!と声をあげる。そういうことだったのか、と。

きっと現実を生きる私たちと同じように、迷って泣いて確かめて諦めた先に見える何か。それをつかみにいく旅が「タラント」という読書でした。

じれったい。それは等身大の自分を見ているような、もどかしさを感じるからです。

全ての人の歩みを肯定する終章に、読者にもタラントが与えられる。手のひらに一粒の麦を握りしめて、空を見上げて進んでいけますように。
そんな角田さんの祈りが伝わるような小説であると思います。

未読のかたはぜひ『タラント』に触れていただけると嬉しいです。  

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新聞小説が最終回を迎えた時に上げたブログです↓

2024年パリパラリンピックが開催されるこの夏、
「タラント」を文庫化される中央公論新社さんの心意気に気が付き、ハッとしました。
義足の棒高跳びの選手のイラストが物語を包括しています。(文庫のデザインも楽しみです)

高く跳べ!

『タラント』角田光代 中央公論新社


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