五日市憲法を見つけた男、色川大吉氏(3)全5回
五日市憲法を巡るツアーの当日は、さわやかな秋晴れだった。前後10日間、いや、前後1ヶ月は雨でもいいからこの日だけは晴れてほしいと願ったのが、通じたみたいだった。
まだコロナ前で、マスクもなくて青空が気持ちいい。
青梅線を拝島で乗り換え、五日市線に。
青梅線ホームから撮った、五日市線。
五日市憲法が発見された当時は、こんな感じだったろうか。いや、もっと古い、茶色の片開きの電車だっただろうか。
単線で無人の熊川駅をすぎると、多摩川を渡る。
鉄橋の音とともに広い河原を渡るのは、とても気持ちがいい。中央線は立川~日野間で、南武線は府中本町~南多摩間で、武蔵野線は北朝霞~西浦和間で、八高線は拝島~小宮間でそれがあるが、残念ながら青梅線にはそれがない。
青梅線は好きな路線で、なにかと贔屓目で見るが、その点は他に劣っていると素直に思う。
東秋留、秋川、武蔵引田、武蔵増戸と、電車はとっとこ走り、武蔵五日市駅に滑り込んだ。
歴史ある木造の地上ホームだったのが、今は高架のコンクリート造り。ちょっと、味気ない。いや、すごく味気ない。
トイレに行き、改札を出た。
看板だけが、往時を語る。木製の、頑丈なもの。しかし、これとて新しい。
五日市憲法が発見された頃は、こんな感じだった。
駅には必ず伝言板があり、五日市も入り口にあった。駅の伝言板は、その当時のiPhoneだった。ただiPhoneとちがうのは、内容が周知されてしまうことだ。
この日、ここまでが単独行動だった。OKさんは幹事なので、先に行っている。そして参加者の確認を行っている。とにかく行動の早い、マメな人なのだ。
「やぁどうもどうも」
五日市駅のロータリーでそれらしき人が固まっていて、その中にOKさんを見つけたので近寄った。OKさんと目が合い、いつものあいさつ。しかし仕事場でのあいさつより、「どうも」がひとつ多い。OKさんはいつもアップテンポだが、やはり今日は、より心躍っているのだなと感じる。
立川以西の東京は西東京バスが欠かせない。参加者一同、バスへ。
……とはならず、タクシーに分乗する。参加者は30人ほどで、ワゴンタクシー含めて4台が停まっていた。他に、車で参加している人がいるので、タクシーは4台で足りてしまう。
遅れる人や連絡の取れない人などがいて、OKさんたち幹事が忙しく動き回っている。なにか手伝いたかったが、とりあえず今いる人がタクシーで現地に向かってもらうことが最も助かると言われ、そこにいた参加者がタクシーや参加者の車に乗り込み、山奥の「深澤家」に向かっていった。
ぼくの乗ったのはワゴンタクシー。敢えてこれを選んだ。何故かは、(4)で。
タクシーはいきなり、五日市駅の裏側にまわった。五日市駅の裏側を通ったのは初めてのことだ。
突然、寂れる。店もロータリーもない。この横にホームがあって、電車が停まっているのだ。
それからずっと、中央車線のない細い上り坂が続いた。
(4)につづく