仕事における「女脳」「男脳」はあるのか?
僕は人事として、マネジメントとして、組織をより良くしていくことを毎日考えています。
特に関心が深い、「組織の中のジェンダーギャップに向き合っていく」上で、どうなんだろうかと思っていることがあります。それは、仕事をしていく上での考え方や処理能力、仕事の種類での得手不得手に「性差」があるのだろうか?ということです。
「どちらかが優れている」「どちらかがこの仕事には向いている」というような決めつけをしたいわけではありません。ただ、ジェンダーステレオタイプに振り回されることなく、フェアにキャリアを築ける環境を整えていきたい。
そのために必要なことをきっちり理解しておくべきだなーと感じています。
何より、会社という集団がひとつの目的に向かっていく以上、「集団内のメカニズムを理解すること」は重大な問題です。集団も、突き詰めれば1:1のコミュニケーションの連続。
多様性の理解を深めることで、1:1の関係性を変えるヒントがあるはずです。
脳の「形態上」の差はない
まず、良く言われるような「女脳」「男脳」のようなものはあるか?少なくとも現時点では脳の形態上の違いは無いと言われています。
ロザリンド・フランクリン医科学大学の研究では6,000件を超えるsMRI検査の結果をメタ分析した結果、脳の海馬や、左右の大脳半球をつなぐ神経線維が束になった脳梁に男女差があるという説は否定されました。
このあたりを基とした論調については、ここにまとまっている感じがあります。
僕のこの記事を読んだ感想としては、ジェンダー化された社会に縛られて「女脳」「男脳」という発想がまことしやかに生まれている構造自体への警鐘に感じました。
つまりジェンダー差を無くそうとするこの手の研究自体が「ジェンダー化された世界による生成物」だということですね。
一方で多くの研究者が「男女差があるのではないか」という仮説をもって研究をすすめています。その背景にある「感じている男女差」の正体は何なのでしょうか。
統計上の有意差がすなわち「特徴」ではない
能力上、男女の間で有意な差があるデータもあります。
例えば「メンタルローテーション課題」。立体的な物体を頭の中で回転させる力を測るものですが、調査では統計上有意な差が男女間ででています。
記事内で述べられていますが、「有意な差があることが、すなわち男性という集団、女性という集団の特性を決定づけることにはならない」のですが、混同して伝わっている例も多いようです。
脳の「中」には差がある?
脳の形態上の違いは無いですが、脳内部でのつながりの強さには差があるという研究があります。
ペンシルバニア大学の研究グループは、脳内部の神経線維の走行を可視化し、男性・女性で神経接続の仕方に大きな違いがあることを発見しました。
ただし、「差がある」ということが分かっただけで、神経接続の差がそうしたタスク処理の仕方と関係があるかはまだ分かりません。また、この研究そのものがバイアスがかかった調査であるという指摘もあるようです。
脳の使い方について男女差があるという研究は他にもあります。首都大学東京大学院人文科学研究科の研究グループが行った調査によると、小学生の英語学習時の脳活動に男女差があったとしています。
ホルモンと性差の関係
生物的に見れば、出生2週間前~18歳までの追跡調査の結果、男性の方が圧倒的に脆弱という調査があります。仮説としてのひとつに男性ホルモン「テストステロン」の影響が挙げられています。このホルモンは強力な化学作用があり、攻撃性や冒険心、活力を高めます。
胎児の脳の初期設定は女性で、八週目に性決定遺伝子が作動し精巣が形成され、男性ホルモンの一種の「テストステロン」が分泌されます。「テストステロン」の濃度が胎児から生後6ヶ月の間にかけて、大脳の性差に影響を及ぼすと言われています。
この観点から、脳の構造とは別に、ホルモンの作用のメカニズムから、認知や行動の差が生まれることは理解できます。その差を「性差」として捉えるかどうかは社会が決定づける部分も大きいように感じます。
進化論的発想とホルモン
女性は生物学的に気持ちや欲求を推測する能力が与えられているとする話があります。赤ちゃんの欲求を読み取るためです。これは1億8千万年かけて築かれたものであり、面倒を見る行為が促進されることは進化戦略として有効だったことの結果です。
女性はストレスを感じると周囲の近しい人に接触しようとします。進化の歴史において、育児の交代や相互の共感性による世話をする行為は一方的な行いではありません。同様の見返りを求めるということです。そのためにうそをついていないか、表情を読み、隠された意図を読み解こうとしてきたと言います。
この2つの行動の背景にあるのは「オキシトシン」です。親密感やリラックス感を引き起こすホルモンで、他者の表情から感情を読み取ったり、信頼を高める作用があります。
立証のしようはないように感じられますが、生物の進化戦略上の結果としての「性差」はあるのかもしれません。この辺りを深く踏み込んだ本がこちらでして、非常に興味深く読みました。
ジェンダー化された社会がジェンダ―ギャップを生む?
脳の構造上の差が無く、脳という機能の「使い方」に進化適応上の「性差」があるとしたら。
それは当然ながら、どちらが優れているという類の話ではありません。その「使い方」を自信を取り囲む「社会、文化」に合わせてどうアレンジしていくか、という観点だけです。
進化の時間スケールは膨大です。
僕が好きなリチャード・ドーキンス氏の講話の中で例に出ていた話があります。1000年と言う時間を1歩で例えると、人類の歴史はいつ始まるか?
現代から紀元前0年まではたった2歩です。しかし、我々の直接の祖先といわれているホモ・ハビリスが生きていたの時代まで行くためには2kmも歩かなければなりません。類人猿の共通の祖先と言われているラマピテクスの時代に行くには14km歩く必要があります。
その進化の歴史の中で適応してきた意味での「使い方」が、わずか数百年の時間軸の中で適応するわけではありません。
本来、社会や文化にあわせて「使い方」をアレンジするだけなのに、ジェンダー化された世界の中で、そのアレンジの仕方をあたかも「絶対化」して、自らを拘束している。そのような状況なのかもしれません。
重要なのは単純な男女差で括らないこと
中野信子氏が以下のようなことを語られていました。
性別による有意差(統計として認知されている、誤差とは片づけられない差)がないわけじゃないんですが、それよりも個体差のほうが大きい。どういうことかというと、例えば、女性と男性の体形で最も理解しやすい“有意差”は、おそらく身長です。日本人男性の平均身長172cmで、女性は158cmと、平均値もこれだけ違うし、つまり明確にジェンダーディファレンスがあるってことなんですが、でもそれをしのぐ個体差も結構ありますよね。大林素子さんは182cmだし、“身長高くなる薬作ってくれ”の池乃メダカさんは149cm。脳も身長と同じで、男女による有意差はあるけれど個体差のほうが大きいんです。
https://mi-mollet.com/articles/-/19107?page=2
これは性格分類やコミュニケーションスタイル分類のような話と近しいと感じます。
企業では、個人のコンピテンシーやコミュニケーション上の特性のアセスメントが大好きです。しかし、いくら個人をアセスメントで深ぼってみたところで、実際に目の前にいる人を型に当てはめ、判断することはあってはならないことです。
一方で、「コミュニケーションやコラボレーションを円滑にするヒント」として活かすのは大賛成です。
会社という集団の中で、文化や一定のビジネスルールが規定されている環境で、よりよい成果を生み出すために使えるものは使った方がいいと思っているからです。
男女脳は無いがジェンダーステレオタイプはある
単純な男女差で括ってはならない。一人ひとりと向き合うことが大切。それはその通りですが、現実としてジェンダーステレオタイプが明確に横たわっていることは理解しなければなりません。
それは脳の問題でも、進化の問題でもなく、社会構造上の問題です。
少なくとも日本の中で見れば、僕たちはジェンダー化された世界に生まれ、育ってきています。
テレビと絵本で女性が主人公のものは男性の1/3という調査があります。ジェンダーの刷り込みは自然と、かつ強力に進み、子供であっても男は青、女は赤のようなジェンダーカテゴリーに言及します。
構築されたアイデンティティを表現するために言葉が存在します。
「うちの女性役員は~」のように女性が特出して表現される言葉が使われる社会において、深く、太く根の張ったジェンダーステレオタイプが存在しているのです。
皆がハッピーになるために、関係性を再構築する
脳の空間認識能力には性差がある一方で、その性差は一貫してないというデータがあるそうです。
どういうことかというと、「男女の社会的格差が小さい国」ほど空間認知能力の男女差が小さい。つまり、この能力が文化や環境とも関連しているということです。
国や社会のレベルで考えると途方もないですが、いったんここは一企業における集団で捉えれば、文化や環境をその中で適したものに整えていくことはできるはずです。
脳の構造上に性差がなく、生物の進化上の戦略として機能の「使い方」に差があることを前提におく。その上で、集団内における「ジェンダーステレオタイプ」をいちど解体して、再構築する。
完全に僕の勝手なイメージだけど、企業社会を再構築するためには「解体すること」が重要だと思っています。
企業社会をどう解体していくか、というところは正直これから仕掛けていくところなのでまだまだ感覚的なところがほとんどです。直感的なところで、以下の3軸から解体を試みる必要がありそうです。
1) 習慣的な行為(文化)
2) 集団で共有化された習慣(制度)
3) 他者への継承(ミーム)
これらの取り組みはまた進めながらまとめていけたらと思っています。これを進めていくことができれば、少なくとも企業内でのジェンダーギャップをつぶしていけるのではないかなーと信じています。
そして・・・。やっぱり社会学的理解と、生物学的理解はもっと深めていかないといけないのかもしれないと感じます。
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