野宮真貴/美少年~隠れ名曲、名演コレクション。
・野宮真貴『ピンクの心+2』(VICL-70095/ビクター)
「美少年」収録。画像をタップすると、「美少年」を聴くことができます。
一週間のご無沙汰でした。帰ってきた「隠れ名曲、名演コレクション」です。
ちなみに前回が杏里さん「シルエット オブ ロマンス」だったので、今回は鈴木慶一さんプロデュースで松尾清憲さんが作曲という共通点がある野宮真貴さん「美少年」を選びました。
鈴木慶一さんプロデュースの1980年代初頭の名作はかなりありまして、PANTA&HAL『マラッカ』、『1980X』、シネマ『MOTION PICTURE』、杏里さん『哀しみの孔雀』、ハルメンズ『近代体操』、『20世紀』に野宮真貴さん『ピンクの心』が挙げられます。
この中ではPANTA&HAL、ハルメンズと野宮真貴さんのアルバムはビクターのフライング・ドッグ・レーベルから発売されているんですね。
これはフライング・ドッグ・レーベルのディレクター平田国二郎さんと慶一さんが意気投合したことからだったというのは割と知られているエピソードだと思います。
ちなみに現在もフライング・ドッグ・レーベルは継続していますが、創設してからの流れというのはPANTAさんの1982年発売のアルバム『唇にスパーク』で一旦休止することになります。
野宮真貴さんがソロ・デビューするきっかけはハルメンズのレコーディングにコーラスで参加したところ、平田さんからデビューの誘いがあったのでした。
それまで野宮さんはいぢわる少年団~パズルというバンドに所属していて、パズルではイーストウェスト(というコンテストがあったのです)に出場し、見事レディース部門で優秀賞を獲得したのでした。
・「新譜ジャーナル 1981年5月号」(自由国民社)
がんばれ!アマチュア・ミュージシャン VOL.1にパズルが登場。
このインタビューによりますと、パズルが練習していたのは総武線(!)平井駅近くの「シマムラ楽器」だったそうです。
パズルではSKINのフロント・アクトを努めたり、フジテレビ「HOT-TV」(ザ・シャムロックも出演したことがあるバンドの勝ち抜き戦があった番組)に出演したりとあります。
・「ミュージック・ステディ 新生号」(ステディ出版)
野宮真貴インタビュー掲載。
結局、野宮さんは1981年7月5日にシングル「女ともだち」でソロ・デビューしたのでした。
作詞は伊藤アキラさん、作曲と編曲は慶一さんによるものです。
「女ともだち」は資生堂シャワーコロンのCMソングに使われ、かなり頻繁に放送されましたが、大ヒットとはならなかったのでした。
アルバム『ピンクの心』(コーラスにはパズルがクレジットされています)も最高のアルバムだと思い出すが、これまた大ヒットには至らず。。
野宮さんはソロのバックメンバーであった鈴木智文さんと中原信雄さんとでポータブル・ロックを結成するのでした。
その後、ピチカート・ファイヴのツアーやレコーディングに参加した後、メンバーになって大ブレイクするのですが、その辺はまた別の機会に。
「美少年」に話を戻すと、印象的なドラムスは鈴木さえ子さんで、ギターは白井良明さん、コーラスは慶一さんですね。
編曲はムーンライダーズの岡田徹さんですから、キーボードは岡田さんでしょうね。
ちなみにこのアルバムでムーンライダーズが演奏しなかった曲はゲルニカのプロトタイプとされる「原爆ロック」のみのようです。
ムーンライダーズにさえ子さんやベースの奈良俊博さんがサポートをする形だったんですねー。
これも『哀しみの孔雀』と同様ですな。
もしかしたら、ムーンライダーズが演奏面で一番充実していたのは他のシンガーのバックバンドでツアーを回ったり、色々なレコーディングに参加していた1980年前後かもしれません。
アルバム『カメラ=万年筆』ではツアーもやっていましたし。
野宮真貴さんがデビューしてから40年以上が経っても、アルバム参加メンバーを含めてそのほとんどが現役だということは驚くべきことで、野宮さんの歌声は相変わらず素晴らしいということにも感動してしまうのでした。
野宮さん、ムーンライダーズ、ハルメンズの皆さま、そしてさえ子さんや奈良さんにありがとうと言って、今回の記事は終了です。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
明日何を取り上げるかはおぼろ気に考えてますが、例によって完全には決まってません。
色々調べて決めたいと考えています。
それではまたー。