獲物の分け前〜中原一歩「小山田圭吾炎上の『嘘』」
数年前の東京五輪の時、かなり話題になった事柄を掘り下げた本なのですが、リアルタイムではあまり興味なかったんですよねー、私。
なぜこの本を読んでみようかと思ったのもちょっとはっきりしない部分もあるんですが、読み進めるうちになんとなくはわかってきました。
この本についての感想というよりは音楽雑誌や書籍についてどう考えているかが明らかになった感じなんですよねー。そんな感じです。
じゃ、行ってみよー。
・中原一歩「小山田圭吾炎上の『嘘』」(文藝春秋)
1980年代半ばから「ロッキング・オン・ジャパン」のロング・インタビュー(二万字インタビュー)は注目されていましたし、売上的にも相当な位置にありましたね。
個人的には大滝詠一さんインタビューを興味深く読んだ記憶があります。
他にも忌野清志郎さんや矢沢永吉さんのドラマチックな人生が後々のクリエイティブな作業にもたらした影響は大きいのかな?と想像しながら読んだものでした。
それまでも、例えば「ミュージック・ステディ」でも成長過程から振り返るものはあったように思いますが、それは文化的な部分、音楽や小説、映画などについて重きを置いたものでした。
「ロッキング・オン・ジャパン」は文化的背景を形だったものに限らずドラマチックな展開に重きを置いたインタビューに思えたんですね。
それはものすごく魅力的にも思えましたが、音楽を含むクリエイティブな作業に必ずしも繋がらないようにある日思った私でした。
昔、読んでいたタレント本やフォーク、ニューミュージック系のアーティスト本と変わらないというか。急にそう思えたんですよね。
特にフリッパーズ・ギターのインタビューはクリエイティブな部分には関係ない部分でのエンタテイメント性を強く感じてしまって、そこに反発する気持ちが強かったわけです。
コーネリアスや小沢健二さんに対しても盛り上がらなかったのはその辺がありました。
当時の音楽雑誌というかムックにはもう少しファッションや音楽のバックグランドについて触れた「MORE BETTER」とか佐野元春さん編集長の「THIS」にシンパシーを持っていたり、購入していました。
「クィック・ジャパン」には北沢夏音さんの文章が好きだったし、カルチャー面でも取っつきやすかったのでした。
あの号は小山田くん表紙かぁーと思いましたが、深く考えずに読んだり、買ったりしましたね。
今にして思えば。
正直言って、露悪趣味みたいなものは大嫌いでしたし、それを面白がる部分は全くありませんでしたから、ああした形でコーネリアスが注目されるのはものすごく嫌でした。
小沢健二さんの王子様キャラクターもはっきり言って嫌いでしたが、テレビ見なければ済む程度にしか入ってこなかったので、見てませんね。
東京五輪の時期に「ロッキング・オン・ジャパン」や「クイック・ジャパン」の記事、というかインタビューが掘り返されたのにも全く注目していなかったし、なんで今更?と思った記憶が残ってます。
当時Twitterで広まった時、とにかく「なんで今更?」としか思えなかったわけです。
ある意味で「ロッキング・オン」や「クイック・ジャパン」を昔も今も音楽雑誌としては見てなかったし、そう扱っていることに違和感があったのでした。
「クイック・ジャパン」の音楽関係の記事は優れたものが多かったように思いますが、それでも音楽雑誌には思えなかった私です。
で、正直音楽に繋がらない部分も求めてしまう部分は私にもありますし、それに対して興味を持つこと自体は仕方ないことですよね。
つまりどこで区切りを付けるかが重要なのだ、と。
この本について本質を突いた内容とは言えない記事になりましたが、どうしても残しておきたくて、そのままにしておきます。
ではまたー。