読書日記〜長門芳郎「PIED PIPER DAYS 私的音楽回想録 1972-1989」
来週には村松邦男さんが徳間ジャパン時代にリリースしたアルバムが長い眠りから覚めて再発されます。
基本的には2007年再発されたものがベースになっていますが、今回はプラケースに入った形なので、歌詞カードは折りたたみ式からブックレット式に変更されました。
それに伴いモノクロからカラーペンになりましたし、若干の追加取材もしましたので、前回購入した方々に納得してもらえるかな?と思ったりして。
来週にはそのCDの速報できればと考えてますので、もう少しお待ちください。
今日取り上げるのは、村松さんのCD再発を仕切ったパイド・パイパー・ハウスといえばこの人、長門芳郎さんの本を読み返した感想なんて書いてみます。
しゃ、行ってみよー。
「PIED PIPER DAYS 私的音楽回想録 1972-1989」(リットーミュージック)
パイド・パイパー・ハウスの名前を知ったのはいつか考えてみました。
多分、鈴木慶一さんが雑誌「バラエティ」に対談を連載していて、それに藤真利子さんが出た回だったと記憶してます。
長門芳郎さんの名前を知ったのは大貫妙子さん特集の雑誌「ミュージック・ステディ」で紹介されていたはずです。
1980年代頭の話ですね。若干時代は前後してますが。
当時、地方の一中学生だった私には輸入盤店どころか、 中古盤店の存在も知らなかったわけです。
ちなみにはっぴいえんど〜ナイアガラ、はっぴいえんど〜キャラメル・ママ〜ティンパンアレーの流れが大まかにわかっていったのも、まさにこの時期であります。
FMラジオリスナーになった時期でもあったから、頭の中は音楽が占める割合がこれまでとは比べられない位高くなっていきました。うーむ。
長門さんがはっぴいえんど関連の人脈でどういう役割を果たしてきたか、シュガー・ベイブがその流れにどうやって加わっていったのか?
大瀧詠一さんと山下達郎さんの新春放談以外で、当事者の発言を聞けることはかなり貴重なわけですから、この本はかなり夢中になって読みましたねー。
勿論、シュガー・ベイブ関連のエピソードとしての私の知識は「ミュージック・ステディ」経由で長門さんの発言が多かったと自覚しました。
長門さん出演イベントや関連インタビューなどなど多大な影響受けているわけなんですが、初めてパイド・パイパー・ハウスに行ったのは白井良明さんが一日店長やった時のはずだから1988年になりますね。
長門さんをお見かけしたのもその時が初めてのはずです。
1986年に私は上京したのですが、立川や国立、国分寺に吉祥寺とレコード屋さんには恵まれた環境にいたので、パイド・パイパー・ハウスに足が向かなかったわけですね。
渋谷のCSVやディスクユニオンには通っていたんですがねー。不思議な話です。
この本の巻末にある広告によるととパイド・パイパー・ハウスから広がった洋楽を振り返ると、閉店後に受けた影響が大きいんですよね。今にして思えば。
長門さんの影響を私は受けてますが、その意味では直接的なものではなかったな、と。
自分の中で色々と振り返ると説明しにくいことが多いのですが、できるかぎりは正確に振り返りたいところですね。今後は特に。
ではまたー。