問題の根っこは解決しなくていい
カウンセラーと話していて、「親友の条件」を書き出すことになった。
・人格否定をされない安心感があること
・土足で心の内側に入ってこようとしないこと
・良識を守れること
・暴力的、支配的でないこと
・数年間親密な関係が続いていて、これからも続けていきたいと思っていること
読んでどう思われただろうか。
カウンセラーは違和感を持ったそうだ。
条件として出すまでもない当たり前のことだという。
当たり前のことを相手が守れると信頼するまで数年かかるってことは、よっぽど人間関係に不安を感じるんだねと仰った。
なぜ、私は当たり前のことを条件として挙げたのか。
考えて、はたと思い当たった。
親との間で体験したことの裏返しを書いている。
10代のころ、家の中に安らぎはなかった。
尊重され、プライバシーが守られ、暴力のない安全な関係。
本来は親子関係で築かれていくはずのものがなかった。
親子関係で得られなかったものを親友に求めているのだと気づかされた。
過去に得られなかったものは、どうにもならない。
だから自分のとらえ方を変えて、生きてきた。
人を恨むことは、その人自身の幸福のためにならない。
だから、自分のために親を憎まない。
安心という当たり前のものが得られなかったから、安心できる友人関係をより大切に思える。
物事を当たり前と思わず、感謝することができる。
幸せを感じられるハードルがすごく低くなった。
転んでもただでは起きないぞ。
私は、得られなかったもののおかげで幸せだと言い切れるくらい強くなりたい。
そう思うのだが、幼少期の親子関係が問題として残り、あらゆるところの根っこに潜んでいて、想定していない場面でひょっこり顔をのぞかせる。
自己肯定感の低さ、人に嫌われることへの恐怖、などなど、今もなお影響を感じる。
親子関係は20代の頃にさんざん取り組んでもう解決したはずのテーマだったから、これ以上なにを変えたらいいのか分からない。
カウンセラーに相談したら、古典的な精神分析と、今の療法について話してくれた。
昔は問題の根本原因を探ることが重要視されていたが、今は現在起こっている具体的な悩みをどう解決していくかに重点が置かれている。
現在の困りごとが解決できればいいし、未来の困りごとはそれが起こった時に向き合っていけばいい。
「問題の根本を解決する必要はない」という言葉が印象的だった。
トラウマを掘り起こしたり、辛い過去を反芻する必要はない。それよりも今困っていること、苦しんでいることにどう対応していくか。
合っていると思った。
過去の出来事と向き合い続けても、ひたすら穴を掘っているようで、前に進めないような気がしたから。それよりも、とにかく歩いて、つまづいた時に、どうすれば進めるようになるかを考える方がいい。
うまく親子関係を築けなかった過去はなくならない。
それでも、今日を幸せに生きていくことはできる。