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「死にがいを求めて生きているの」を読んで④〜失恋ショコラティエとの類似点〜

引き続き朝井リョウさん著「死にがいを求めて生きているの」の感想です。
前回の記事では、この作品のテーマが【対立は人生に意味を与えてくれるツールになり得る】だというお話をしました。

現代は、自力で自分の人生に意味を与えなければならなくなった時代です。
対立を(無理に)見つけ出すことで「これさえ考えていればOK!」という逃げ道を確保し続けてきた雄介。
そんな雄介によく似た性質も持つ人物を、主役に据えたドラマがあります。



それは失恋ショコラティエ!(原作は漫画)


一体何がどう似ているのかを解説する前に、まずは第6話・松潤演じる爽太のモノローグをご紹介します。

何で俺はサエコさんを想うのをやめなかったのか?
……怖かったんだ。サエコさんを想ってた自分とサヨナラするのが。
頭の中をいっぱいに満たしていたものを手放して、空っぽになるのが怖かったんだ。
俺、とっくに失恋してた。とっくの昔に失恋してたよ。
それでも離れられなかったんだ。自分が、自分から。
もうずっと前から、あの雪の夜からサエコさんはファンタジーで、
でも俺の全てで、
ただその物語を続けるために恋をしていたんだ。
ずっと1人で
それはただ、俺のために

爽太は高校の先輩だったサエコさんに、12年間片思いをし続けてきました。
10年程前の雪の日に一度フラれてるにも関わらず、サエコさんの好物であるチョコレートを作るショコラティエになってまで彼女を振り向かせようとします。
しかし、共に互いの片想いを励まし合っていた大切なセフレ(ってなんだ)が失恋している姿を見て、サエコさんにフラれたあの雪の日を思い出してしまうのです。
上記のモノローグは、自分はサエコさんに恋し続けていたのではなく、片思いという行為にしがみ付いていたのだと気づいたときのものです。


人生の意味を確保するために雄介は仮想敵を捏造し、爽太は仮想ファムファタルを捏造しました。
対象へ向ける感情がマイナスかプラスかという方向性の違いはあるものの、【屈服させたい対象を定め、その目標のために努力奮闘すること】に人生の意義を見出していると言う点で雄介と爽太は同じなのです。



サエコがとっくにファンタジーと化していたことに気づく爽太でしたが、それでもカタオモイをやめません。
サエコを振り向かせるためにサエコが喜ぶであろうチョコを作るということが、ショコラティエとしての爽太の活力になっていたからです。
カタオモイをやめるということは、ショコラティエを続ける意味・意欲の喪失を意味します。
だから爽太はそれらを自覚した後もなお、カタオモイを手離さないのです。


「死にがいを求めて生きているの」第9話で、カルト宗教にハマった雄介を智也が連れ戻しに行く場面があります。
雄介は「俺は帰らない」「余計なことをするな」と言います。
しかし、雄介は洗脳されていた訳ではありません。
雄介もまた爽太と同じく、自覚的でした。

P388 「俺、お前が思っているようなヤバイ状態じゃないから(略)怪しい一説に洗脳されて世界平和のために全てを手放そうとした過去を手に入れるためだよ。その実績さえあれば、ヤバイ洗脳からどう解放されたとか、そういうことをテーマにしたプロブロガーとして食っていけるかなって」

雄介は無自覚的に対立を好んでいたのではなく、自覚的にタイリツを抱き続けていたのです。
これまで身を投じてきた様々な活動に対して、本当は問題意識なんて持ってないことも自覚していました。
目的のための活動ではなく、活動のための活動をしていたと。
手段と目的が逆転していたと。
全て自覚した上で、雄介は後戻りできなかったのです。タイリツを手離すことができなかったのです。

雄介と智也はもみ合いになり、頭をぶつけた智也は植物状態になります。
すると雄介は、次なる人生の意義を【親友の看病】に見出します。
自分の人生を、【献身的に親友を支え続けた人生】にするために。


最後まで人生の意義を自身の外側に求め続けた雄介と違って、失恋ショコラティエの爽太はカタオモイから卒業します。
最終回(11話)のラストで、爽太が遂にサエコに別れを告げる場面の台詞です。

ずっとあなたのためにショコラを作っているつもりだったけど、いつの間にかあなたが与えてくれるインスピレーション無しではショコラを作れなくなっていたんだ。
だから心のどこかで幻想だって気づいていたのに、ショコラを作り続けるために必死で幻想にしがみ付いていたんだ。
結局、サエコさんを幸せにしたいとか言いながら…実はサエコさんにずっと助けてもらっていた。
でもいつまでもそれじゃダメだよね。あなたがいなくても自分の力だけでショコラを生み出せるショコラティエにならなきゃ。
だからもう、会わない。

爽太は、カタオモイへの依存から抜け出しました。
サエコと決別したからといって、すぐに以前のような素晴らしいチョコレートを生み出せるようになるわけではありません。
自分自身の力で新たなチョコレートを生み出せるようになる日が一体いつ来るのか、それは誰にも分かりません。
もしかしたらそんな日は二度と来ない可能性だってあるのです。

しかし、それでも–––––
自分の力でショコラティエ人生を切り拓いて行くと決意した爽太は、人間として一回りもふた回りも逞しく、美しく見えました。


自分の人生を自分の物差しで生きるのは、難しい。。。
どんな価値観を選びとるのか、何に重きを置いて過ごして行くのか…
私自身、日々揺らいでいます。
願わくば雄介ではなく爽太のように、自分の足で、自分の価値観で、生きていきたい・・・
そんなこんな色々考える材料になった一冊でした!


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