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【超解説】 黒澤明の悔恨 / 「乱」

黒澤明監督の作品のなかでも、特に海外で評価の高い映画が1985年の「乱」だ。鮮やかな色彩の衣装とは裏腹に、シェイクスピアの悲劇『リア王』を模した物語は登場人物たちの腹黒い思惑が交錯し、「用心棒」や「椿三十郎」のような娯楽映画とは一線を画するアートに仕上がっている。黒澤監督自身が本作を「人類に対する遺言」と語ったそうだが、その発言や本作の真意を把握するためには、いくつか知っておかねばならないことがある。
まず、これには気付いた人もいると思うが、主人公の一文字秀虎(仲代達矢)とは黒澤明のことである。

家紋が日と月

多少なりとも家紋を見慣れた方なら、この図案が戦国武将らしからぬことは分かるだろう。太陽と月を組み合わせた御印とは、日+月、すなわち明である。一文字秀虎こと黒澤明は、直言してくる三郎(隆大介)を追放し、太郎(寺尾聰)と次郎(根津甚八)に家督と城を譲ったことで、全てを失い、劇中ずっと後悔の念に苛まれる。悔恨や忸怩によって気が触れてしまったほどだ。
では、そこまで黒澤明監督を苦しめた"後継"とは何を表しているのか。それは黒澤明監督の足跡に隠されている。
1954年に「七人の侍」を公開した後、東宝との契約が残っていた黒澤監督は1958年に「隠し砦の三悪人」(映画「スター・ウォーズ」の元ネタ)を発表するのだが、この作品の製作に多額の費用がかかったことから、1959年に黒澤監督と東宝がそれぞれ出資することで黒澤プロダクションを設立する。ところが、それまで毎年のように名作を発表してきた黒澤監督は1965年の「赤ひげ」から5年に一作のペースになってしまう。東宝が予算を出さず、金が集まらなくなったのだ。黒澤明監督が資金難という話を聞き、ジョージ・ルーカス監督やフランシス・フォード・コッポラ監督が代わりに製作費を集めようとしてくれたくらいだ。実際に、この両名は「乱」の前作に当たる1980年の映画「影武者」に出資しているし、その前作の1975年の「デルス・ウザーラ」はソヴィエト映画である。そして「乱」は、フランスの製作会社とヘラルド・エースが予算を出している。つまり、世界のKurosawaに予算を出さなかったのは、他でもない身内の東宝なのだ。Kurosawaの映画の出資者になれるのなら赤字でも構わない、という姿勢だったのは外国人だったという、実に日本らしい話である。
さて、太郎と次郎は何を表しているのか、もう誰でも分かるだろう。これは東宝のことである。世界のKurosawaとして尊敬された黒澤明監督が、ふと進退を考えた時に、身の回りに残っていたのは甘言と胡麻擂りしか能のない連中で、それらが私利私欲の権化となって日本の"映画界"を潰してしまうことが目に見えていたのだ。黒澤プロダクションという後悔と悔恨だけが残り、生前本人が何度も指摘していたように政府は映画にまるで興味を示さず、外国人たちから出資してもらう有様で、Kurosawa映画の予算を渋った東宝は今や全国の映画館をTOHOシネマズに変えた。映画評論家も映画ライターも東宝の子飼いに過ぎず、映画の関係者たちが映画を潰してしまうことが黒澤監督には1985年の時点で明確に分かっていた。つまり本作は、黒澤明監督による「俺も弱い人間だから騙されてしまった、こんな奴らを偉くしてゴメン」という謝罪である。だから本人にとってこれが"遺言"なのだ。
さて、本作の筋書きは基本的に『リア王』であるものの、演出などにおいて歌舞伎や狂言の影響を色濃く残している。鮮やかな色彩の衣装を振り乱す秀虎の姿は歌舞伎であり、ピーター演じる狂阿弥こと狂言回しがスクリーンのなかを縦横無尽に駆け回る様子はシェイクスピアの舞台のようでもありつつ、狂言でもある。それは鶴丸という重要な登場人物を演じたのが後の野村萬斎であることからも分かる。盲目の鶴丸の出立ちはまさに狂言であり、秀虎という主人公(シテ)の愚かさを強調する役割(アド)を果たしている。
また、男を利用して己の欲望を達成しようとする女、楓の方(原田美枝子)の狂気も非常に良かった。洋の東西を問わず物語にこうした女がよく登場するのは、そういう女が少なくないという事実を反映している。次郎の正室である末の方(宮崎美子)の首級をねだるところは、サロメの逸話の翻案だろう。冒頭に掲げた画像は、鉄修理(井川比佐志)が楓の方を斬り捨てるところだ。本当はこのように斬って捨てたかった人物が黒澤明監督の周辺にいたということだし、こうした醜い争いが起きるキッカケとは、そもそも黒澤監督自身に責任があるということを重々承知していたからこそ、秀虎は映画の最後まで生き存え、自分も含めて人間とは何と弱く身勝手な生き物であるかという忸怩たる思いに苦しんだのだ。
黒澤明監督はこうして世界のKurosawaとしての遺言を発表した5年後、スティーヴン・スピルバーグ監督とワーナー・ブラザースから出資してもらい、僕の最も好きな黒澤映画「夢」を撮った。この時、御年80である。「乱」という映画によってスッキリしたらしく、「夢」とは1人の才能ある男が撮った夢幻の境地であり、ここには魂の平穏だけがあった。

黒澤明監督が見通していたように、邦画は"製作委員会"などというバカげた方式によってご覧の有様であり、全国の映画館はTOHOシネマズとなり、映画を語る連中は教養もセンスもない連中ばかりになった。映画が好き、という人物のうち、"まともな者"はほとんど洋画を観ている。このままでは日本の映画がダメになってしまうと何度も訴えていた黒澤監督は、今日のTOHOシネマズのラインアップを見て何と言うだろう。

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