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汚い船内で奇人が登場するアート / 「アタラント号」

現存する世界最古の映画会社といえばフランスのゴーモンだ。アメリカのエンタメ映画にシェアを奪われてしまうまではたくさんの映画を製作し、1934年の名作「アタラント号」(原題は L'Atalante)もゴーモンが関わっている。ジャン・ヴィゴ監督は本作が公開された翌月に結核により僅か29歳で死亡したが、こうして今日に至るまで多くの映画監督にオマージュされる作品として保存されている。芸術は長く、人生は短い。
この映画は、セーヌ川の運河を航行する渡船が舞台である。船長のジャンがジュリエットと結婚し、奇行ばかりの乗組員ジュール爺さんと丁稚の坊やを乗せてパリへ荷物を運ぶーー、という話である。出来事やイベントを繋げてストーリーを進ませるのではなく、他愛もない会話や船内でのトラブルなど、どうでもよさそうなことばかり描くことで登場人物たちの性格をはっきりと示す手法はバルザックの小説に似ている。つまり、後のフランソワ・トリュフォー監督の作品によく似ている。実際に、トリュフォー監督たちによって「アタラント号」は高く評価され、ヌーヴェルヴァーグの先駆者として称賛された。「大人は判ってくれない」などの映画に影響を与えたことは明らかである。
本作はとにかくジュール爺さんを演じたミシェル・シモンの演技が素晴らしかった。頭のおかしい船員として憑依しているように振る舞い、それでいてどこか愛嬌や品格がある。こういう佇まいは天賦であり、もし今日シモンが俳優として活躍できたらあらゆる男優賞を総なめにすることだろう。チャールズ・チャップリンはシモンのことを"世界で最も素晴らしい俳優"と褒めたそうだが、僕も同じ意見だ。上半身に奇妙な刺青を入れているジュール爺さんのキャラクターは強烈であり、たとえば2014年の映画「グランド・ブダペスト・ホテル」に登場する獄中の犯罪者ルートヴィヒはジュール爺さんのオマージュである。

Michel Simon as Père Jules
Harvey Keitel as Ludwig

また、物語の終盤にジャンが水の中へ愛する人を探しに行くという挿話は多くの映画に取り入れられ、先日記事にしたエミール・クストリッツァ監督の「アンダーグラウンド」はほぼそのまま再現している。映画は似たようなシーンを撮ることが多いが、「アタラント号」は特に引用されることの多い元ネタである。
ちなみに、本作でジュリエットを演じたドイツ人の女優ディタ・パルロは、この3年後にジャン・ルノワール監督の「大いなる幻影」でエルザを演じた。ミシェル・シモンもドイツ系スイス人だし、ヨーロッパ映画はこのように国籍や母国語を気にせず起用していたことも名作が多い理由の一つだろう。
モノクロだから、と敬遠されやすいものの、カラフルでもなく音響も悪く、CGなんてもちろん無い時代だからこそ、余計なものが削ぎ落とされているとも言える。何百万ドルもかけた撮影だったり、座席が動くだのなんだの、そんなことは映画というメディアの本質には無関係だ。
セーヌ川に浮かぶ手狭で汚い船内を撮っているだけで、それがアートになるのだから、アートとはすなわち才能のなせる業である。

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