コーチングから離れていた間にしていたこと
11月からコーチングサービスをリリースするので、「コーチングとわたし」というテーマで4本の記事を毎週土曜日にお届けています💌
「アダルトチルドレンとしての変化」とも捉えられるのでぜひ色んな方に読んで頂きたいです😊
本記事では、コーチングから離れていた間にしていたことについて書きます✍🏻
この2年間は自分の心を感じる力を育み、葛藤を乗り越え、いろんなものを完了させていく期間だったと思います。
葛藤との向き合い
父に認めてもらえるか?を全ての基準にしている自分と、抵抗しようとする自分がいて、そこが葛藤していました。
なるべくひとりで外食をしたり、家にいる時間を減らしたりして、物理的に親との距離をとりました。
毎日不安で泣いて、未来に希望が持てなくて絶望して、辛い日々でした…。
吹奏楽をはじめた
「家と職場の行き来だけじゃなく、もうひとつ居場所があればいいんじゃないか?」
というカウンセラーさんの提案に乗ってみることにしました。
楽器は買ってもらっていて、使っていないのがもったいないと罪悪感があったのでそこも消化したい気持ちがありました。
吹奏楽も実は親に言ってなくて、最初はいつバレて口出しされるか怯えながらやっていました🙂↕️
ここまで書いてみて、本当に自分が可哀想に思えてきました…
今では自由にやっていいんだ!と思えるようになったので、怯えず練習に励んでいます🗽
(吹奏楽やってることは言ってませんが)
吹奏楽をやること自体は前向きに捉えてくれるだろうけど、それを金儲けの話に繋げられるのが嫌でした。
もともと家族とは切り離された自分の居場所が欲しくてはじめたことだったから、知られずに自分のテリトリーとして大事にしたかったのです。🫂
愛着スタイルについて勉強した
主に幼少期の親との関係を元に形成されると言われていて、親の愛着スタイルを引き継ぐ場合も多いそうだ。
愛着スタイルには安定型、不安型、回避型の三種類がある。
わたしの場合は、おそらく両親共に不安型で、依存度が高く本質的に自立できていない二人だ。
その資質を受け継ぎ、わたしも不安型だけど、そのままじゃ生きられなかったから、不安型からさらに回避型になるという曲がりくねった生き方をしていた。
というのが自分的にしっくりくる。
回避型の自分はすんなり受け入れられたけど、不安型の自分を受け入れるのはなかなかに難しかった。
だって、不安型な自分を両親に受け入れて守ってもらえなくて捨てようとしたくらいの、大きな邪魔だったから!
正直、今でも不安型の自分と出会うと「うわぁぁぁ😰」となる。ぜんぜん嫌。笑
完全に拒否していた頃と比べると、かなり受け入れてきているほう。
受け入れないと自分の進みたい方に進んでいけないから、拒否し続けるという選択肢はもう選ばないと思う。
所属感
わたしは父から「特別な人間であるべきで、会社員はただの駒だから悪」と教育を受けてきました。
その教えを「所属してはならない。他者と同じではならない。逸脱していて優れた存在でなければならない。」と受け取っていました。
友達はいたけど常に心はひとりで、寂しいのに、必死に他者との間に壁を造って生きていました。
今の職場に入って1年半くらいしてから、しっかりするのを辞めることにしたんです。
一緒に仕事をする人は年上ばかりだし、もうしっかりするのも疲れたなって思って。
しっかりするのを辞めても「しっかりしてる」「若いのによく動くから他部署から欲しいって言われてるよ」と言ってもらえて、そんなに気を張らなくてもやっていけるんだって安心できました。
わたしの存在を受け入れてくれる場所がある、受け入れてくれる人達がいる。
なんて有難いことなんだろう。
わたしはこれから自分のサービスを提供していく。
もしコーチングだけで十分生きていけるだけのお金を頂けるようになったとしても、どこかに所属する、ということは辞めないんじゃないかと思う。
それくらい、所属することの安心感をわたしは感じているし、これからも大事にしたい。
今日はここまで🐶♡
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