自分事に捉える。過剰だと厄介と分かってはいるのです
復職後に書いています。
自分が悪いのだ…と行き過ぎて考えてしまう前に書き出します。
現実的な見方をしたい
私は復職する前に、リワークに通っていました。精神科クリニックが運営しているリワークです。リワークでは、疾患に関する授業、心理療法の実施、リラックスワークという名の遊ぶ時間など色々やってました。
その中でも、私が印象に残っていること、大切にしたいと思っていること。そのひとつに、
「現実的な見方をする」
があります。
過剰に不安がらない、一方で、根拠なく楽観的にもならない。
客観視や他者視点と主観を踏まえて、現実的な考え方をすると こうだよね、とするものです。
考え方のクセ、自己関連付け
もうひとつ、リワークで学んだことに、様々な考え方のクセがある、があります。
たくさん種類がありますが、その中に「自己関連付け」というのがあります。悪いことが起きると "自分のせいかも" と考えてしまうもの。
私は、この傾向がやや高めである、とリワークの個人ワークで知りました。それ自体は悪いことではない。ただ、考え方のクセを知って、ストレスになる前に対処しよう、というだけの話。
例えば、リワークで実施していたグループワークで時々「上司との関係で困っている」と話題に出ます。
この場面で、その都度、私は申し訳ない気持ちになっている。
職場環境は全く違う。それでも、何故か自分に関連付けてしまう。私は話題に出るような言動をしたことすらないのに。
あぁ、なるほど。これは現実的な見方じゃないな。
こうして、考え方のクセが出た時に修正する練習をしてきたつもりでした。
後輩が退職をする
話は変わって、ここから本題です。
私は以前、職場で "教育係" の役割を担ったことがあります。新入社員と共に業務にあたり、後輩を指導するものです。
雑談の中で後輩から「会社での私のお父さん」と言われたのを私は嬉しく思っていました。
時は過ぎて、私は休職。1年以上の期間が空いて復職となったのですが、復職早々、聞こえてきたのが「後輩が退職する決意をした」という話。
直接、話を聞いてみると、この1年で職場環境の変化が激し過ぎた。
「何のために頑張っているのか分からなくなってしまった。」
過剰に思ってしまった
その話を聞いて、真っ先に
「そんな状況で、自分が話を聞いてあげられなかった。」
という後悔が出てきました。
トレーナー/トレーニーの関係だった頃から 10年以上の月日は流れ、お互い別部門の所属です。
それでも、いざと言う時には会話する関係性が続いていました。
それだけに "私が休職してなかったら" と考えてしまった。
もちろん、私がいたら後輩は退職を回避できたのか? いえ、そんなことはないでしょう。何なら、後輩にとって私は必要ない人間だったのかも知れない。
そんな自分も良いじゃないか
だけど、そこまで無頓着には なれなかったです。
長く一緒に頑張ってきた人が退職する。こんな時くらいは多少、自分に関連付けても良いじゃないか。
"⚪︎⚪︎しない" を目標にすると、むしろ、できなかったことにストレスを感じてしまう。
長く一緒に働いた後輩が退職する。
それを寂しいと私は思っている。
自分の感情を抑圧しないで、認めてあげるくらいは良いじゃないか、と考えることにしました。