storm yamanak

むべ山風を嵐といふらむ! 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこか…

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むべ山風を嵐といふらむ! 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くのかを知らない。

最近の記事

Mission in East-Timor

プライマリヘルスケアには、経験豊富なスーパーバイザーが必要となる。この東ティモールのラウテム県におけるプライマリヘルスケアプロジェクトには、長年東ティモールで医療サービスを続けてきた、医師である修道女と同じ修道会のシスターが、スーパーバイザーとした入った。彼女はフィリピンの山岳地帯イザベラで、30年以上のプライマリヘルスケアとリフェラルセンターの経験を持つ、熟年看護師であった。彼女はクリニックでの看護師として奉仕の他に、プライマリヘルスケアプロジェクト全体の舵を取った。豊富な

    • 東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道6

      ¥300
      • 東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道

        計画を練り直し、ラウテム県全体をカバーするアプローチに切り替えた。それには、既に影響力のあるロスパロスやフィロロのサレジオ会管轄のエリアだけでなく、メハラやコムなど、サレジオ会の影響力下にない地域のリュウライと言われる領主にも、理解と許可を得なければならない。しかしその大変さとは逆に、ダーウィンラインの通る国立公園予定地で、美しい湖があるメハラや、5m級のテーブル珊瑚が並ぶコムビーチや、崖にそって聳え立つポルトガルの遺跡が印象的な東の端のトゥトゥアラまで足を運ぶことができると

        ¥300
        • 東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道4

          リフェラルセンターとクリニックとヘルスワーカーの研修所が完成し、緊急から復旧復興のフェーズに入った頃に私は着任した。情報を取りまとめ、事業地域での調整を図りながら、プロポーザルを作成した。これまでの経緯と背景に関する詳細を書き、事業の概要と目的を説明し、それがあくまで東ティモール人による東ティモールの医療システムの構築と住民が自ら立ち上がって自立するプログラムであることを強調した。そして医療従事者、医療専門家としての外国人スタッフは徐々にフェードアウトしてオブザーバー的な立場

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        Mission in East-Timor

          東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道3

          そもそも、このプライマリヘルスケアモデルは、日本の修道会が、フィリピンのマニラから9時間離れたイザベラという山岳地帯で確立したモデルである。フィリピンでも頭脳流出が激しく、医師は皆アメリカに移住してフィリピンにはいなくなっていた。ましてや町からから遠く離れた所では、さらに医療にアクセスするのは困難を極める。そのため数少ない医師に連なる医療体制の裾野の拡大と底上げを、住民参加、住民主体を軸にジャングルの奥深くで実践することとなったのだ。 東ティモールでは、フィリピン同様にカトリ

          ¥300

          東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道3

          ¥300

          東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道2

          東ティモールの首都ディリから、美しい宝石のように煌めく海岸線を崖沿いに通り抜け、どこまでも続く白い砂浜に面したサレジオ会の教会を右に曲がる。さらにポルトガル時代の要塞や遺跡群を通り抜けて行くとバウカウに入る。バウカウで古い遺跡の噴水を囲んだ公園と市場で休憩を取りさらに東に向かう。しばらく行くとマテビアン(死んだ人)とマテオアン(死んだ女性)と言われるまさに死んだ人が横たわったような様相の山脈が見えて来る。 1975年にインドネシアは、アメリカがベトナム戦争で使わなくなった武器

          ¥300

          東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道2

          ¥300

          東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道

          東ティモールの空港に着くと簡単に屋台で食事を済ませて、まず日本国際協力機構JICA事務所に挨拶に行き、状況確認を行った。私が調整員として置かれることになる状況について説明があった。まず国連の指導の元、インターナショナルの医療系のNGOと外国人専門家は一旦撤退との方針が、国連暫定統治機構UNTAETの保健医療クラスター会議で打ち出されたとのこと。理由としてはカンボジアの国連暫定統治機構UNTACで、国立の医療関係機関がなかなか立ち上がらなかったのは、インターナショナルNGOとイ

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          東ティモールにおけるプライマリヘルスケアと独立への道

          ¥300

          俺とバイクと奥の細道その4

          次の日テントをたたんで逢瀬を出発し、福島市に向かった。黄金色の田んぼ道を山に沿って北へと進路を取った。途中4号線の大通りに出たがすぐに「蛇の鼻」という看板が目に入った。蛇の鼻とかすごいネーミングだなーと思いながら、その方向に吸い込まれて行った。裏道を通って大玉村方面に向かい、智恵子抄の二本松とオニババの安達が原を抜けると、二本松あたりから安達太良山が美しく優しく迎えてくれた。そして福島市に着くと吾妻連峰が抱きしめてくれた。 福島市には有名な温泉が少なくとも3つある。土湯温泉、

          俺とバイクと奥の細道その4

          俺とバイクと奥の細道その3

          Duke KTM と一緒に荒川を渡り、春日部を過ぎると道も開けて快適に飛ばすことができる。青い空の向こうに山も見えて来る。しかし宇都宮あたりから、大型トラックも増えてその間をすり抜けながら行くのも、モタード系のバイクにとっては醍醐味だが、ストレスもかかる。大きな流れの鬼怒川を下に覗く、谷間にかかった美しい陸橋を渡り、途中ですき家の牛丼の並みで腹を満たすと那須高原に向かった。 源流に向かい細くなって行く野生的な鬼怒川を抜けて那須高原に入ると、美しい森林セラピーロードに入る。マイ

          俺とバイクと奥の細道その3

          俺とバイクと奥の細道その2

          東ティモールから日本に帰って来ると大学病院の事務で働き始めたのだが、交通の便を考えてバイク通勤にした。バイクは最初はスズキのDjebel(ジェベル)にした。これもオフロードをツーリング用に改良したもので、どこにでもどこまでも行けそうな感じのするバイクだ。特に大型タンクにビッグライト、そしてゆとりのある荷台はまさに遠出用のスタイルでアーミー感満載だった。実際にモスグリーンや迷彩に塗り替えるオーナーもいた。しかし独特のビビリアンライトブルーに白という色合いは、後に出てくるBMWの

          俺とバイクと奥の細道その2

          俺とバイクの奥の細道その1

          東日本大震災及び原子力事故災害以来 14年振りにバイクを復活した。新しい相棒はDuke KTM!オーストリア製なのか、インド製なのか判別はついていない。国籍不明だ。高校の時の仇名だったDuke(コードネームゴルゴ13)という響と.オレンジと黒の色合いに惹かれた。ゴルゴ13も本名はデューク東郷と言われ東洋系とかロシア系とか言われるが国籍は不明だ。 最初に乗ったバイクは、16の時にオレンジと黒のゴリラ50ccをボアアップして90ccにしたやつだった。小さいけどゴリラ並みにパワーの

          俺とバイクの奥の細道その1

          東ティモール

          イエズス会士で南米アルゼンチン人のフランシスコ教皇が東ティモールの滞在を終えた。3日間に渡る滞在は、その思いの強さからか、ことのほか長く、イエズス会士たちとの話し合いにも充分な時間を取った。前回の日本滞在も今回の東ティモール滞在もラウダート・シの象徴的な場所であることは間違いない。美しく豊かな自然の中で起きた大惨事とそこから踏み躙られた人権と自然の回復、復旧復興、平和構築、地域作り。そして人がありのままで、宇宙と生命の創造に開かれ、自然と調和した慎ましい暮らしと社会のあり方を

          東ティモール

          人権と自然の南風その2 パラグアイ〜アルゼンチン〜イグアスの滝

          2013年に就任したアルゼンチンのイエズス会士フランシスコ教皇からラウダート・シという回勅が出された。地球に存在するあらゆる生命の家族的な繋がりと環境的回心、弱い者、貧しい者、追いやられている者の尊厳や人権、人身売買の放置や奴隷状態の搾取等への断固たる反対とそうした運動への促し、自然との共生と自然と共に歩む社会と人々への崇敬、生命と宇宙に開かれた開放系の社会と文化への招きなどなど盛りだくさんだ。しかし、こうした言葉の全てがこのイエズス会宣教師がグアラニー族と共に実践したユート

          人権と自然の南風その2 パラグアイ〜アルゼンチン〜イグアスの滝

          人権と自然の南風その1〜パラグアイ〜

          ヒッチハイクしたトラックのドライバーは長距離バスの停留所で降ろしてくれた。そこでパラグアイの中心アスンシに向かうバスを探して乗り込むと、ヨーロッパ系の男が隣に座ってきて、「日本人か?」と話しかけて来た。「そうだ」と答えると握手を求めてきた。握手に応じると彼は自分のことを話し始めた。どうやら彼は日本人の女の子と最近別れたのだが、未練が残り諦めきれずに彼女が住むアスンシオンに行って、彼女と偶然すれ会うためにそこで待ち続けるのだと言う。お金がもったいないから安い宿をシェアしようと言

          人権と自然の南風その1〜パラグアイ〜

          バルパライソの丘から船を見下ろす

          バルパライソの丘から船を見下ろす

          アンデス山脈の湖と水鳥達

          アンデス山脈の湖と水鳥達