Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:シアワセを呼ぶクリスマスの魔法
Gutsヒロのスイーツ・ストーリーへようこそ!クリスマスケーキは私にとってお菓子作りの原点です。寒い日も忘れてしまう心温まる幸せなストーリーを皆様と共有できたら幸いです。
私のお菓子作りの最初の一歩は、幼少期のクリスマスに始まりました。我が家は貧しい家庭で、特別な贈り物や高価なクリスマスケーキは期待できませんでした。
しかし、私はまだサンタクロースを信じてた頃、1つの夢を抱いていました。それは、
真っ赤なイチゴの乗った白いクリームのクリスマスケーキを食べること。
しかし、その夢は現実のものになりそうもありませんでした。幼い私にとって、クリスマスは特別な日で、ケーキはその日の主役でした。
しかし・・・その年のクリスマスには何も起こりませんでした。サンタさんは私たちの家には来てくれなかったのです。がっかりして泣いたその日を忘れることはありませんでした。
そして、次の小学2年生の12月になった頃、母の職場でお裾分けしてもらったクリスマスカードを貰いました。私は戸惑いました。
「ここになんて書けばいいの?」
「あなたの欲しいものを書けばいいのよ」
その瞬間、私は心の中で自分の夢を描きました。
「真っ赤なイチゴの乗ったクリスマスケーキ」
願いをカードに綴り、夢が現実になることを祈りました。
そして、クリスマスの日がやってきました。今年こそ、私の夢が現実のものになると信じていました。
しかし、我が家には高価なクリスマスケーキはありませんでした。
代わりに私に用意されたのは、ミカンの缶詰、パイナップルの缶詰、そしてホイップクリーム、それからクリームも何も付いていないただのスポンジ生地。母はこれらを使ってクリスマスケーキを作るよう言いました。
そして、その夜、私の兄弟と共にキッチンに立ちました。年上の兄と姉は手際よく作業し、クリスマスケーキを次々と作っていきました。私はドベの末っ子で、残った材料で自分のクリスマスケーキを作りました。私は、昔に食べた真っ赤なイチゴの乗ったクリスマスケーキを目指して、ミカンとパイナップルを細心の注意を払って配置しました。クリームはスプーンの裏で塗りましたが、その時の私にとっては最高のクリスマスケーキを作ることに必死でした。
しかし、当然ながら幼い私がやって出来上がったのはぐちゃぐちゃのひどいケーキでした。最後は悔しくて泣きながら作る私に、母は手を貸し、何とか仕上げることができました。
そして、その年の3台の手作りのクリスマスケーキは、私たちにとって最高の贈り物になりました。。
私が初めてお菓子作りの世界に足を踏み入れ、夢を追いかける旅が始まった瞬間です。どんなに限られた材料でも、夢を追い求める心と、家族との絆があれば、最高のギフトを作り出すことができることが証明された瞬間でした。
小学生の当時、私が作ったクリスマスケーキです。イメージは「ホワイトクリスマス」だったような気がします!(笑)
側面にアラザンが!どうやったのだろうか。。
さて、あれから約30年経ちました。今年、私の作ったクリスマスケーキはこちらです!
私の求めるクリスマスケーキは、たっぷりのイチゴと美味しい真っ白のクリーム。こだわりは、バターを多めに入れたキメの細かいふわふわのスポンジと、バニラとマスカルポーネが入った深い味わいのクリームです。
食べて感想を頂いた多くの人から、
「スポンジとクリームがとても美味しかったよ!」
と嬉しい感想を頂きました。1つ1つ丁寧にこだわって作った自慢のケーキが評価されてパティシエとしてこの上ない嬉しいことです。
それから、私はクリスマスケーキには毎年「サプライズ」を用意しています。
去年は、クリスマスケーキのホールの下に大きなクッキーのお皿を添えました。それは特別なクリスマスの時間を「ケーキを食べて終わり」ではなく、ケーキを食べた先にクッキーがあることで特別な時間を少しでも長く過ごしてもらうこと。
そして、今年はお客様に「クリスマスプレゼント」を用意するという企画を立てました。上記の写真のケーキの後ろにある「お菓子袋」です。このお菓子袋をケーキを買っていただいた全員にプレゼントしました。
それは、クリスマスを準備する、お父さんお母さん達が高価なケーキを買ってプレゼントを用意して、帰ってからは料理して・・・。そんなリレーのような「お仕事」の感覚を少しでも忘れられるような瞬間をプレゼントしたかったのです。
用意したお菓子袋は、いつものレシピで作って、人気商品の詰め合わせです。袋に詰めれるだけ詰めた特別なお菓子袋です!
お客様の多くは、
「え!売り物じゃなくて、貰えるんですか!?」
と、嬉しい驚きを全員から頂きました!
後に、1つのメールを紹介すると、「クリスマスの後のお茶の時間のおともにしました」と、嬉しいメッセージを頂きました。クリスマスという特別な時間に「幸せ」という魔法がかかったようで何よりです。
実際のところ、ケーキよりもお菓子袋の用意の方が大変でした(笑)
でも、お客様が「わぁっ!」って驚く笑顔を想像するとお菓子作りが本当に楽しくて楽しくて!
なぜなら、星の数ほどあるケーキ屋さんの中から私のお店を選んで頂いたわけですから120% 喜んでもらえるぐらいの自慢の商品を用意するのが使命だと思ったからです。
ただ、今年のクリスマスは順風満帆ではありませんでした。去年のぎっくり腰の後遺症や、利き腕の腱鞘炎があって痛みとの戦いでもありました。
クリスマスケーキのクリーム塗りは、パレットナイフが痛みで握れなくて。
それでも奥歯を噛み締め、腱鞘炎の「痛覚」をもぎるとるように消して、クリームを塗る30秒を堪えるのです。
しかし、30秒堪えて終わった後の激痛がとても痛くて痛くて。我慢した分、余計に痛みが走って、それを何十台も作ったのでまさしく勝負の世界でした。
美味しくて、美しくて、魔法がかかったような素敵で特別なクリスマスケーキを作るわけですから、多少身を削る程度は覚悟していました。
苦しい話もありますが、でも作る時は、クリスマスという特別な日のケーキを作るという幸せなお仕事をやらせて頂いてる気持ちの方が強くて。感謝の気持ちでいっぱいでした。
苦しいからといっても手は抜かないですし、誰かに頼るわけではありません。私が考えて作ったレシピで、私が本気で作るから最高のケーキができることを誰よりも知っているからこそでした。
作り終えた後は、
「やり切ったぜ!かっこいいぜ!ヒロ!」
そんな気持ちでした(笑)
この日の終わった後の夜中は自分を称えました。
販売日は22日と24日に分けました。
私は、自分のお菓子のお店の他に、障害者として就労支援センターで利用者としても日頃働いています。
22日の日曜日のケーキは早割で販売して、なるべく就労支援センターの仕事に支障のないように調整をしました。
そして、22日の朝。お店を整え、お客様を迎える準備ができました。私は、コック服に着替えて、さぁ!始めるぞ!という時にトラブルが起きました。
それは、私がかぶる予定のトナカイの帽子が若干小さかったのです!(笑)口開いて喋ると顎のくっつき部分が外れるのです。。。
仕方なく母にトナカイ帽子をかぶってもらい、私はサンタ帽子に・・・orz
しかし、販売は順調に行きました!
22日と24日ともにとても寒かったので、お客様にドリップコーヒーをお渡しするサービスをしました。これがお客様に好評でとても喜ばれました。
このサービスは、母の従姉妹さんの教えで、商売をしていた従姉妹さんは、
「商売始めたら、お茶の1杯ぐらい出さないとダメよ!」
という言葉を母に伝えていて、クリスマスという特別な日だったので、このサービスを実施しました。
お菓子工房たびこの私と母はクリスマスのサンタさんになりきってシアワセをお届けすることができました。
24日の夜。無事にお客様に全てのケーキをお渡しして、お店を簡単に片付けて、もう遅い時間になりました。
でも、疲れはあるものの私と母には楽しみがありました。
それは、クリスマスケーキを食べること!
味見して、レシピも頭の中に入っていますが、カウンターに座り、頑張った後に食べるクリスマスケーキは格別の美味しさでした。
自分で言うのも変かもしれませんが、小さかった頃に作ったクリスマスケーキがきっかけで、大人になってパティシエとなり、こんなに美味しいケーキが作れるようになって、多くのお客様にケーキをお渡しできて、「笑顔」と「嬉しい感想」を頂けたことが私にとって何よりのシアワセです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また次のnoteでお会いしましょう!
Gutsヒロ