Gutsヒロのスイーツ・ストーリー:今だから過去の意味は変えられる
Gutsヒロのスイーツ・ストーリーへようこそ!皆様に、お菓子作りを愛する私の物語を共有し、美味しくて幸せな時間になれたら幸いです。
今回のテーマは「#今年学んだこと」をお話ししたいと思います。
今年の2月「立春」の日にお店の開業日としました。そして、11月終盤になり、ほぼ1年ぐらいの間に様々な人と出会い、貴重な数々の経験を積ませていただきました。
最初のスタートは、noteの発信でした。それは私のお店を担当していただいてるコンサルタントのS様のすすめで
「ヒロさんのストーリーは貴重だから世の中の人に知ってもらうのがいい」
そんな言葉をいただいて慣れない文章作りを母と二人で何時間もかけて投稿していきました。でも、日が経つごとにビューやスキは増えてきて自信が少しずつ持てるようになれました。
そして、noteを通して、私のお店のお菓子を買っていただくファンや、応援のメッセージも数々いただいて、感無量の気持ちでいっぱいです。
noteをはじめてから1年と少し経った現在です。
間も無く、ビューも10万人になります。
私のストーリーに興味を持っていただき、皆様と縁ができることに、私の人生がこうして意味のある魅力になってあらわれてるのは感謝でいっぱいのことです。
私は料理が小さな時から大好きでした。特にお菓子作りは、家族や親戚、友達に食べてもらって「美味しかったよ!」と、笑顔で言われることは、私にとって最高の生き甲斐でした。
でも、20代の頃の過去の私は、仕事では期待もチャンスもない存在でした。おまけに精神疾患もあり、難病もあり、お医者様からには、
「料理の仕事を辞めなさい」
師匠には、
「お前が料理を本気でやるのにはもう遅すぎる」
と、厳しい言葉もありました。何をやっても認めてもらえず、料理の仕事をもらえず、料理人を目指しながらも雑用しかやってこなかった29歳までの私です。
何度も諦めそうになって、でも諦めたくなくて。専門書の洋菓子の本を見て、
「いつかこんなお菓子を作りたい!」
と、心を奮い立たせても、日々の現実の現状に何度も心が折れそうになって諦めそうになったけども、でも諦めることもできなくて、心も体を何度も壊して、
「今度こそは!」
と何度もチャレンジしても、環境や人に裏切られ、私の存在は「余分」になってしまい、何やってもまたドン底に逆戻りになり、ひとり海に行って大泣きした日もありました。
でも、諦めなかったから、「いつもチャンスはそこにある」「天は見てる」という思いだけは持ち続けたから、一縷の希望が生まれました。
29歳で調理師専門学校に行くチャンスを母からもらいました。
しかし、不登校だった少年時代、学校行くのが怖かったから通信制の高校を選択した過去があります。
学校生活という未知の世界は恐怖でした。精神疾患がありましたし、29歳の私が高校を卒業したての18歳の同級生達との生活は不安でいっぱいでした。
でも、2年頑張れば、「パティシエ」になれる。
2年辛抱すれば夢の「パティシエ」になれる。
2年という時間は私にとって光のないトンネルの中のようでしたが、1日1日を誰よりも真剣にやって絶対に「諦めない」という気持ちで、奇跡的に卒業するところまで頑張ることができました。
それは、過去に不登校を経験したから、どうしたら周りから好かれる存在になれるのか備えの知恵があったから乗り越えることができたのかもしれません。
そして、学校の卒業式の日、最高峰の「学校長賞」をいただきました。
それから、地元で有名なカフェで「パティシエ」として就職して様々な経験を積むことができました。それは、私が何年も待ちに待った本当に特別な時間でした。商品開発にも携わり、全国から注文が殺到する商品を作ったこともありました。
個人的に地元のスイーツコンテストに出場し、「超絶技巧賞」という賞を頂いたりして、私のお菓子人生は華が咲き始めることができました。
しかし、コロナ禍で私の人生はまた転落してしまいます。それは、私の人生を大きく変える時期でもありました。
コロナ禍の私は、親にも申し訳ないほどの時期でした。
就職して、最高のお菓子を作ってもお客様は来ないから退職させられ、でもお菓子作りはしたくてたどり着いたのがB型事業所で時給200円での仕事でした。1ヶ月フルで働いても3万円行くか行かないかの収入でした。でも、そんな私の状況でも母は、
「3万円も稼げてよかったじゃない!」
そんな、母の言葉に、奥歯が震えるほどの強い思いが私にはありました。
しかし、そのB型事業所でも、私は余分な存在になってしまいました。それは同じ障害を持つ利用者でも、私は技術がありすぎて事業所と私とで亀裂が入ってしまい、退職に追い込まれてしまいます。
でも、私の技術や過去を知る人から、A型事業所で働ける話が舞い込んできました。A型事業所は最低賃金が確保されているから私はその事業所に行きます。
しかし、その事業所に入ってから半年経っても「体験者」扱いで賃金が時給200円でした。でも、仕事はお菓子作りをして売り上げも上げていました。毎月少ない給料のたびに「A型」としていつから扱われるのか抗議しましたが変わることはありませんでした。あやふやに誤魔化せられてしまい、気づいたら半年経っていました。
そして、事業所の大元に抗議することになり、「責任者」と話す機会がありました。
そして、言われたのが、
「君の作るお菓子は大したことないんだわ。君、お菓子作るセンスないよ。A型にはなれないよ」
でした。私の作るお菓子は、その「責任者」も含めて販売するかどうか決定して、調整しながら販売に至ります。売りに行くたびにその「責任者」は、
「いつも美味しいお菓子作ってくれてありがとうな!」
と言って売りに行っていたのに、どういう理由で私のお菓子に非があるのか納得できませんでした。問いただすと、売りに行っていたその「責任者」は、事業所の関係職員に押し売りを何度も続けていて、それがどんどん売れなくなっていき、挙句に無料で配っていたので、売り上げが見合わない状態になっていたそうです。それがどういうわけか私に責任を押し付けられた次第です。
そして、時給200円のままならお菓子作らせてあげてもいいよ。と言われ、その内容を母に伝えました。
そして、黙って全て聞いた母は私に言いました。
「厨房作るわよ!」
最初は、意味がわかりませんでした。最近、母が古い家をリフォームを考えていたことは知っていましたが、私のお菓子を作る厨房の話は初めて聞きました。でも、陰で見守っていた母は、努力を忘れない私を常に見ていてくれて、私の作るお菓子を誰よりも評価していてくれていました。このまま、私が満足にお菓子作りができない悔しい思いを母も同様に持っていました。
コロナ禍で、お店で食べ物が売れない時期、料理の仕事が低迷した事実がありますが、わたし個人もこのような経歴がありました。理不尽なことが続いたと思います。普通の人からしたら専門学校を主席で卒業したのに時給200円とかありえないと思います。
でも、この期間が私と母を本気にさせてくれました。
そして、2024年2月の立春の日に「お菓子工房たびこ」が開業します。そうです、今年の春、私と母の夢が1歩進むことができました。
美味しいお菓子を作ることは経験があれば誰でもできると思います。でも「経営」も成功させるのは、なかなか厳しいのではないでしょうか。
でも、私は商品開発をしたり、様々な経験をしてきたから、最初はなんとなくですが成功させる流れのようなものは感じていました。それは、
お客様に喜んでもらうこと、幸せになってもらうことです。
原価を上げたリッチなお菓子でも売れないことはあると思います。でも逆に、原価が安くてもお客様に喜んでもらえるお菓子もあります。
私が、お菓子作りで大切にしていることは、手間暇をかけて1つ1つ大切に思いを込めて作ることです。
大量生産や利益を上げようというのは私のスタイルではありません。
でも、本当に人気のあるお店や、有名なお菓子って原価と人件費などのコストを無視して、お客様に喜んでもらえることに特化していると思います。
色々な思いや考えがありますが、とにかく私が私らしいお菓子作ることがお客様が喜んでもらえる近道だと確信に近いものが既にありました。
そして、2月から開業して、初の販売がnoteで告知してminneで販売しました。最初の商品はマドレーヌです。
最初は、お客様の反応がどうなるかドキドキしました。そもそも、マドレーヌを売るっていう時点でマドレーヌの需要がそんなに高くないですからね(笑)
でも、興味を持っていただいて、私の商品を購入して頂いた方は多数いて、今現在、11月になってこれまでの全商品買って頂いている「神様級」のお客様もいらっしゃいます。
購入して頂いたお客様から、嬉しいお言葉を沢山いただきました。
その言葉は、応援という形になって私の背中を押してくれているかのようなありがたい言葉の数々でした。
それは、私が私らしいお菓子を作って、お客様が喜んで貰えるという、私の願いが叶った瞬間でした。
私の思いを込めたお菓子が全国の人から評価されて、私は自分のお菓子に更なる自信を持てるようになれました。
それから、私の活動は大きく広がり、チャレンジをしていきます。代理販売店の「わくわく広場」という全国にあるお店に、私のお店「お菓子工房たびこ」のお菓子も出品させていただきました。今では、作っても間に合わないほどお客様からの需要があり、愛されるお菓子を数々出しています。
そして、今年の7月に私は、更なる大きな決断をします。それは、
自分のお店で店頭販売!
それは私の作るお菓子を購入していただくお客様とコミュニケーションを取りたいという思いからでした。
自分のお店で、自分の作るお菓子で、お客様と対面してお菓子をお渡しする。お客様が美味しそうなケーキを見て笑顔いっぱいで購入する姿を見たいという、パティシエとして贅沢な体験を味わってみたいという私の願いでした。
それは、私が小さかった頃、特別に連れて行ってもらったケーキ屋さんでキラキラした宝石のようなケーキを見て「わぁっ」と喜びの笑顔がわいた、あの特別な瞬間を私の作るお菓子であの特別な瞬間を実現してみたいという思いです。
私のお店は、ケーキを並べるショーケースはありません。でも展示品を店頭に並べて販売するというスタイルでありながらも、7月、9月、10月の店頭販売では50組前後が来店するという、嬉しい結果がありました。
それは、世界のどこにもないGutsヒロが特別に考えたケーキが世間の人に喜んでもらえた結果でした。
そして、成功した店頭販売だったのですが、今月の11月は店頭販売は辞めました。
理由は、新たなチャレンジをしたかったからです。
それは、マルシェの参加です!
ほぼ無名の「お菓子工房たびこ」のお菓子が、同様のお菓子屋さんや雑貨さんなどの多数の店舗の中から、どれほど感動や喜びや幸せが提供できるのか大きなチャレンジでした。
最初は、チャレンジすることに意味がある、最初からはうまくいかないと思っていました。その方がダメだった時の理由作りがしやすいのもありました。
でも、11月23日、マルシェの日は私と母はめちゃくちゃ燃え上がっていました!(笑)
元々、接客なんてしたことのない私と母。ましてや、マルシェという外の環境で接客なんて人生初の体験です。もちろんお客様は私のnoteやお店のことなんか知りません。初対面で初見にかかる私のお菓子にどれほど魅力や感動が生まれるのか分かりませんでした。
しかし、なんと私のブースにお客様がたえないほどご来店があったのです!
ある親子のお客様は、1度買ってお昼ご飯として食べたそうです。あまりに美味しかったから持ち帰り用にもう1度買いに来ました、と2度もご来店していただきました。
ある夫婦のお客様は、minneでも、わくわく広場でも「お菓子工房たびこ」のお菓子を食べていて、すっかりファンになってマルシェまで出向いていただきました。
あるインスタグラムでの知り合いのお客様は「Gutsヒロ」に会いに親子でお菓子を買いに来ていただきました。
私の作る1つ1つのお菓子にはストーリーがあります。そのお話をすると、お客様は「すごーい!」とか「美味しそう!」と言っていただきました。興味持っていただいた商品はいっぱい購入していただきました。
この日のマルシェは、無防備のような状態でいきなり参加しましたが、本当にたくさんのお客様から笑顔いっぱいの幸せと喜びを頂き、そして提供することができました。
私の作るお菓子の意味とか、作る理由とか、そもそも私の存在とか、もしも世界で私一人しかいなかったら、今日のような体験は一生味わうことができなかったでしょう。
でも、私の作るお菓子に興味を持ってご来店して頂くお客様がいて、食べてくれて「美味しかったよ!」と言って頂く人がいて、どれほど嬉しいことで幸せなことか計り知れないものです。
私がお菓子を作る大切にしていることは「お客様に喜んでもらうこと、幸せになってもらうこと」です。でも、これが本当にありがたいことで、私に感想を言って頂く多くの人はそれを「本気」で私に伝えていただいていることです。
直接会ったことのないnote繋がりのminneのお客様も、心の底から応援してくれていることをメッセージで沢山頂きました。
私がパティシエであること、「お菓子工房たびこ」の存在や意味や理由を認めて頂いたことは私にとって大きな大切なことです。
過去に嫌なことは沢山ありました。いつになったら報われるのだろうか。いつか「無」になってしまわないか不安と恐怖でいっぱいありました。
でも、それらも含めて今の私がいます。過去があったから今、幸せと愛に満ちた美味しいお菓子が作ることができるようになれました。
そして、今年の2月からゼロからはじまった私の厨房で作るお菓子は、お客様の手に渡り、それがどういう意味を成すのとか、大切なことを沢山学ばせて頂きました。
今年はもう11月となり、多くの様々な嬉しくて幸せな出会いがいっぱいありました。noteでもたくさんの出会いがありました。皆様から学ばせて頂いたから知ることができた感動は、私を大きく成長させていただきました。
話は変わり、今私は、A型事業所という福祉支援センターで利用者として働いています。そことは別にパティシエとして「お菓子工房たびこ」でも働いています。ある事情やタイミングなど色々な理由で来年の3月いっぱいでA型事業所の利用が終了となりました。
そして、4月からはパティシエのお仕事を1本でやることになりました。まだまだ私には様々な課題がありますし、お菓子の知識や技術も沢山学ばなくてはいけないと思っています。でも、それでもパティシエのお仕事を1本でやる決意ができたのは、皆様から学ばせて頂いた大切なことが私の心にあるからできた決意でした。
私に興味を持っていただき、更に皆様の応援が私の大きな励みになっています。本当にありがとうございます。感謝でいっぱいです。これからも愛と幸せに満ちたお菓子作りをできるよう努めてまいります。
どうぞこれからもGutsヒロに興味を持っていただければ幸いです。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
また次回のnoteでまたお会いしましょう。
Gutsヒロ