書き初めと読書、やりたいこと
午前中は書き初め。
今年はきょうだい揃ってできると思っていたら、長女はお手本も練習用の紙も忘れてくる…
(学校始まったらやればいいか)
いつも書き初めの宿題をするときに、百人一首を書く。今日は92首と97首めを書いた。
92首
わが袖は汐に見えぬ沖の石の
人こそしらね かはく間もなし
(私の袖は、ちょうどあの潮が引いた時にも現れない沖の石のようなもの。人は知らないけれど、あなたを恋慕う涙で乾く間もないのです)
97首
来ぬ人をまつほのうらの夕なぎに
やくやもしほの身もこがれつつ
(約束したのに、いくら待ってもやって来ない人を待って、ちょうどあの松帆の浦の夕なぎのころ、あまが焼く藻塩のように自分の身も焦がれるほど恋焦がれているのです)
習字をするのは一年に一度。
そんな頻度だから、最初は全然筆が動かない…
何枚も書いてやっと清書する。
筆をもつと、年始だなぁと思う。
昼からは子供たちがクッキーを作ってくれた。
年末年始バタバタしていたけれど、本を読むこともできた。
まずは一冊め。
直木賞候補になる前から、読みたいと思っていた一冊。
タイトルが優しげで装丁もきれいだから、ふんわりした話なのかと思っていたら全然違っていた。
婚約者(啓久)が電車で盗撮した事件から、恋人(新夏)の困惑や、啓久の思いが緻密に描かれる。
さらには被害者の女の子の接触していく過程も…
啓久のしたことは性犯罪だけど、彼の苦悩や悔恨が深まっていくにつれて、擁護するわけではなく胸が痛くなった。
そして性犯罪を犯した相手と一緒にいるパートナーすら叩かれるとか、本当にリアル。
ひとつの性犯罪から大切なひとや社会との繋がりも歪になっていく。
そして、その刃は自分にも向けられる。
その人が犯した罪よりも、ネット上で燃える様子や周囲の好奇の方がずっと残酷だった。
一文一文が美しく、どこまでも読ませる作品。
新夏目線の表題作から啓久目線に移ると、そんなに自分を責めないで、と言いたくなってくる。
罪を憎んで人を憎まず。
そんな言葉も思いだした。
その警句を差しだせる社会であってほしいとも。
2冊めはこちら。
『リカバリー・カバヒコ』は読んだけど、こちらは読んでないなぁと思って。
さまざまな人生の岐路に立つ登場人物たちが、地域のコミュニティハウスにある図書室を訪れる。
そこにいる司書さんに、今の自分に合う本をレファレンスしてもらう物語。
相談を受ける小町さんは、司書というより魔女のよう。司書見習いの女の子(のぞみちゃん) は魔女見習いみたいだ。
20代、30代、40代…と年齢もさまざまで、いろんな人の立場を味わえる。
今から仕事を始める人、転職した人、無職の人、定年退職した人まで。
彩り豊かなお仕事小説としても読めた。
自分の年代に近い話がより共感できそうだけど、どんな立場にも寄り添えるのは、語り口が優しいからだと思う。
これから歩みはじめる人の背中を押してくれる、エールのような一冊だ。
2月になったら文喫に行きたいな。
去年観られなかった映画も行きたいし、ひとり旅もしたい。
やりたいこと、書きたいことを拾い集めながら、あと数日の年始気分を味わえたらいいと思う。