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書籍『カルロ・ロヴェッリの 科学とは何か』

カルロ・ロヴェッリ (著), 栗原俊秀 (翻訳)
出版社
河出書房新社‏
発売日 2022/2/19
単行本 280ページ



目次

はじめに

第1章 紀元前六世紀 知の天文学
 
世界の見取り図
 紀元前六世紀の知ー天文学
 神々
 ミレトス

第2章 アナクシマンドロスの功績

第3章 大気現象
 
宇宙論的自然主義と生物学的自然主義

第4章 虚無のなかで宙づりのまま空間を浮遊する大地

第5章 目に見えない実体と自然法則
 
自然界には目に見えないなにかが存在する?
 タレスー水
 アナクシメネスー空気
 アナクシマンドロスーアペイロン(無限と不特定)
「自然法則」という考え方ーアナクシマンドロス、ピタゴラス、プラトン

第6章 反抗が力となる

第7章 文字、民主制、文化の混淆
ギリシャ文明の黎明期
ギリシャ文字
 科学と民主制
 文化の混淆こんこう

第8章 科学とは何か?
アインシュタインとハイゼンベルク後の世界でアナクシマンドロスを考える
 
十九世紀の幻想の崩壊
 「科学=検証可能な予想」ではない
 世界についての思考の形態を探求する
 世界像の発展
 ゲームのルールと「通約性」
 「不確かさ」の礼賛らいさん

第9章 文化的相対主義と「絶対」的な思想のあいだ

第10章 神を抜きにして世界を理解できるか?
対立

第11章 前–科学的な思考
 
神話ー宗教的思想の本質
 神性のさまざまな機能

第12章 結論 アナクシマンドロスの遺産


謝辞
訳者あとがき
図版出典
参考文献
原 註

本書より


内容紹介

 地球が宙を浮いていることを最初に見抜き、初めて地図を描き、世界を始まりも終わりも無限だと想定した古代ギリシャの世界初の科学者アナクシマンドロス。科学的思考の本質をえぐり出す。

河出書房新社 公式サイトより


本書の「はじめに」が全文記載してある公式サイト リンク


レビュー

 あらゆる古代文明が「上」にある「空」と、「下」にある「大地」が、世界を形づくっていると考えていた時代に、大地が虚空に浮かんでいることを見抜いた人物がいた。
 本書の主役であるアナクシマンドロスである。
 
 アナクシマンドロスは今から二十六世紀前に、現在のトルコ沿岸に存在した都市国家ミレトスで生を送った人物であり、彼は大地は宙に浮いているという洞察以外にも物理学、地理学、気象学、生物学の先駆けとなる莫大な遺産を私たちへと残していった。
 ゆえに著者であるカルロ・ロヴェッリは、アナクシマンドロスこそが、科学的思考の源流に立つ思想家であるとする。
 
 そこで本書は第一のテーマにてまず「アナクシマンドロスの思想」について語り、第二のテーマではそれを基にして「科学的思考の本質」に迫る。そして第三のテーマにおいて主に「神話・宗教と科学の決定的な違い」について論じ、その主張の足場を万全に固めた上で「結論」へと雪崩なだれれ込み、科学的な思考の有用性について力強く宣言しつつ、本書を結ぶ。

 ※以下に、「はじめに」より抜粋した本書の「流れ」と「理解」を促してくれる「部分的な概要」を記載しておきますゆえ、宜しければご活用ください

 科学的に考えるとは、まずもって、世界について考えるための新たな方法を、絶え間なく、情熱的に探究することにほかならない。
 科学の力は、すでに打ち立てられた確実性の中に宿るのではない。
 そうではなく、わたしたちの無知の広がりにたいする根本的な自覚こそが、科学の力の源になる。この自覚があればこそ、知っていると思っていた事柄を絶えず疑うことができるようになり、ひいては、絶えず学びつづけることができるようになる。
 知の探究を養うのは確かさではなく、確かさの根本的な欠如なのだ。

本書「はじめに」より

(中略) しかしほかでもない、この「世界の見方の変革」こそが、「科学的に考えること」の第一の目的なのだ。
 反対の極に視線を移すなら、科学的な知を全面的に否定し、反科学主義を広めようとする現代文化の一派が存在する。二十世紀以後、合理的思考はかつての確かさを失ったものと見なされ、たびたび非難の矢が向けられてきた。いまでは文化の領域や、一般的な思考様式の内部にまで、さまざまな形態の非合理主義がはびこりつつある。無知を受け入れることへの恐怖、「科学はこの世界の決定的なイメージを提供できる」という幻想が失われたことへの不満が、反科学主義を勢いづかせている。不確かさよりは、間違った確かさの方がましというわけだ……。
 だが、好奇心、反抗、変化の思考として理解される合理的思考にとって、「確かさの欠如」はかつてもいまも、弱点どころか、前に進むための原動力そのものである。自然科学が提示する答えが信頼に値するのは、それが決定的な答えだからではない。そうではなく、わたしたちの知の歴史の一時点、いまにおける最良の答えだから、自然科学の答えは信頼に値する。自然科学の答えが改良を続けられるのは、わたしたちがそれを決定的と見なさずにいられる……からこそである。

本書「はじめに」より

 最後に、本書に生命を吹きこんでいる、より扱いの難しい第三のテーマがある。このパートの議論は、答えよりもむしろ、多くの問いによって構成されている。自然にたいする合理的な思考の、古代世界における最初の顕現について問うのであれば、合理的な思考以前の知の性質にかんしても、論じないわけにはいかない。この種の知は、今日においてもなお、合理的な思考の代替物としての地位を占めている。合理的な思考はこの知から生まれ、この知から差異化され、この知に反旗をひるがえし、いまもってこの知に抵抗しつづけている。このふたつの知の関係について論じることが、本書の第三のテーマとなる。

(中略)

 それはつまり、根本的に性質の異なるふたつの知の対立である。一方には、好奇心、「確かさ」への反抗心、すなわち「変化」に基礎を置いた世界についての新たな知があり、もう一方には、その時代において支配的で、もっぱら神話–宗教的な思想がある。後者は「確かさ」の存在に全面的に依拠しており、そうした性質があるがゆえに、いかなる疑義も受けつけようとしない。これは、何世紀にもわたってヨーロッパの文明の障害となってきた対立であり、時代ごとの浮き沈みはあるにせよ、わたしたちはいまなおこの対立に囚われたままである。
 正反対の性格をもつふたつの知が、相争うのではなく共生する方法を見いだしたかに思えた時代を経たのち、いまふたたび、この対立が激化しようとしている。政治的にも文化的にも色合いの異なるさまざまな論者が、非合理主義の諸形態を再提案し、宗教的思想の優位を説いている。実証的な思想と神話–宗教的な思想の衝突は、わたしたちを啓蒙主義の時代の対立に連れ戻そうとしているかのようである。いまあらためて、事態を打開しようとするなら、直近の数十年、あるいは直近の数世紀を振り返るだけでは、おそらくじゅうぶんではないだろう。これはより根の深い対立であり、世紀ではなく千年紀を視野に入れて考える必要がある。この対立は、人類の文明のゆっくりとした展開、文明という概念が組織化される際の深層構造、社会的・政治的な観点から見た文明の発展などと、密接に絡まり合っている。 

(中略)
 
 本書はこれから、トルコの沿岸で二十六世紀前に始まり、いまもわたしたちがその影響のもとに生きている、この驚くべき革命について語っていく。そしてまた、革命によって口火が切られ、いまなお燃えさかる対立の炎についても。

本書「はじめに」より


 物理学者らしく非常に理知的、且つ論理的な話の展開は、多少の「白人文化至上主義」の匂いを漂わせつつも、先頃、丁度「宗教」についての学びを開始した矢先であった私にとっては思わぬ収穫となり、大満足の読書体験となった。

 また個人的に最も感銘を受けたアナクシマンドロスの文言のひとつは(特に以下の文章の太字部分)、

 あらゆる動物は、海か、大地を覆っていた原初の水に起源を持つ。したがって、最初の動物は魚(あるいは魚に似た生き物)である。やがて大地が乾燥したとき、最初の動物は陸にあがり、そこでの暮らしに適応した。数ある動物の中でも、とりわけ人間は、現在の形態で誕生したとは考えにくい。というのも、人間の子供は独力では生きていけず、かならず養育者を必要とするからである。人間はほかの動物から生じ、もとをたどれば、魚のような形態を有していた。

本書57頁より

 というものである。
 正直いってこれにはかなりの衝撃を受けた。「彼はもしかすると亡くなった妊婦の解剖に立ち合い、初期の胎児の姿を目撃したことがあったのかもしれない……」とまで想像してしまったし、もしそういった経験なしに上記の考察をしたというのであれば、これはもう天才としか言いようのない洞察力の持ち主であろうと思う。

 アナクシマンドロスの残した言葉の数々には、宗教や神話の記述に頻繁ひんぱんに登場する「超自然的な事物の痕跡」は無く、世界の事物は「事物の用語(火、熱、寒さ、空気、土、等)」によって説明されるが、そうした思考が生まれる土壌として、

 古代ギリシアには、万人が信じている事柄に疑いの目を向けようとする人びとがそろっていた。世界の見方を刷新するための一歩を踏み出せるのは、そうした文明だけである。

本書82頁より

という状況があったことも、重要であった。
 またアナクシマンドロスの凄さは、限られた情報(「自然現象」等)に、「勝手な妄想」を加えて「物語ストーリー」をぶち上げるような暴挙を行うことを控え、冷静な観察による情報の精査と関連性の構築により、世界全体を描き直し、世界を読み解くための文法を書き換えて空間の構造そのものを変容させ、当時の人々の共有していた(目に映っていた、ないし脳内に存在していた)世界に対し、

 世界は、私たちの目に映る通りではない。私たちが見ている世界は、現実の世界とは違っている。世界にたいするわたしたちの視点は、わたしたちの経験の卑小さから制限を受けている。世界がどのように機能しているかについて、わたしたちは往々にして誤った先入観を抱いている。
 科学の精神にもとづく観察と理性が、わたしたちの先入観を正してくれる。

と言うに等しい、考えを宣言したことにある。
 ※これはわば当時のほぼ全ての人に喧嘩を売ったようなものであり……、たぶん命懸けの宣言であったに違いない

 というわけでここまでが、第4章までのレビューとなっており、本書は第5章よりその面白さを加速度的に増してゆくのであるが、長くなってしまったため、残りの約150頁に関してはレビューを記さずに終えたいと思う。
 

 続きの気になる方がいらっしゃいましたら、是非本書をお手に取っていただきたい。
 「科学」「民主主義」好きには、もれなくおすすめの一冊である。

 

 

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