ない日記「手紙の味」
久しぶりにいい手紙が食べたくなって京都に行ってきた。
朝六時に起き、電車を乗り継いで、京阪の神宮丸太町駅に着いたのは九時半ごろだった。地下改札を抜け、少しカビ臭い階段を登ると、京都の空が待っていた。景観条例で高い建物が禁止され、その広さを保った空を眺める度に、僕は口から「あー」と漏らしてしまう。魂を吸い込みそうな京都の空はだいたい曇りだ。
鴨川をゆっくり歩きたかったが、店の予約の時間が近づいていたので、橋の上から川面を眺めるだけにした。欄干に立派な五月人形くらいの大きなカラスが立っていた。僕が横を通り過ぎる間、カラスはどこかを見ていた。奴らはいつもどこかを見ているが、危害を与えてくることはないので、実はそんなに怖がる必要はない。
店に着くと、一番奥の離れに通された。敷かれた座布団に思わず正座してしまう。三拍おいて、このまま食事を始めたら、足のしびれに意識を持っていかれる、と気づいて足を崩した。ちょうどそのタイミングで女将さんが料理を持ってきてくれた。梅湯にはじまり、炊き合わせ、和え物、酢の物、笹寿司、たまごが供され、お椀と鮎の塩焼きをいただいたら、いよいよ手紙とご対面の段になった。
漆塗りの丸っこい器に入れられた手紙はさらっとした湯のなかでたゆたっていた。手紙を箸で崩し、大事に一口いただくと、うすい塩味のなかでその繊維がほぐれていった。中心部に向けて食べ進めると、どんどん旨味の層が重なっていく。手紙のまだ湯に触れていない部分が増えて、口の中で溶けていく食感が楽しめるようになるのもうれしい。ところどころ黒七味で書かれた文章がアクセントを加え、最後まで飽きることなく味わうことができた。書かれているのはいつも百人一首八十一番で、すぐに食べ尽くしてしまう手紙への名残惜しさを掻き立てられる。
京都で美味しい手紙が食べられるのは、その水に理由がある。京都の地下水は軟水でミネラルの含有量が少ない。和紙の原料となる楮(こうぞ)から旨味が溶け出すのに最適な硬度なのだ。日本の他の地域の水で手紙を調理しようとしても味に深みが出ない。だから京都以外の地域ではパルプから作られた手紙を食感のアクセントとして使うのが主流となっている。手紙料理の名店が東京に支店を出す際は、和紙を使うために、わざわざ毎朝京都からトラックで水を運び入れているという。
手紙を食べ終え気持ちが昂った僕は、盆を下げに来た女将さんに思わず話しかけた。手紙がとんでもなくおいしかったこと、八年ぶりに食べに来れたこと、今は神奈川県に住んでいて新幹線に乗ってやってきたことを伝えた。すると女将さんは「そうですか。おおきに」と笑みを浮かべた。網で掬って捨てられるような笑みだった。その笑みで僕は京都に帰ってきたことがやっと腹に落ちて安心した。
京都は都だ。首都が東京である現在でも都であり続けている。東京が東京の正しい姿を常に探しているのに対し、京都は京都であることすら既に放り出して、それなのに都として振舞っている。
理想を追い求めることは過去と現在を否定することを含有する。より高みへ、より深みへと向かう営みは、遥か未来の極点を担保として、現在の意味を剪定してしまう。
その点、京都はすごい。誰がなんと言おうと都なのだ。歴史の長さと保ってきた伝統を根拠としているが、実はそんなことを取っ払ってもいい。存在していることへの自信が最大の証左なのだ。エレファントカシマシの宮本浩次は「ガストロンジャー」で「破壊されんだよ駄目なもんは全部。」と吐いた。同じように、京都はどんなに新しくて勢いのあるものが現れても「千年後に存在し得るか」と問いかけるのみだ。
スマホによって首都圏の価値観と監視の目が届くようになった今ではありえないことだが、かつては京都大学の学生が街でどれだけ蛮行を働こうと「学生さんのやることだから」と見逃してもらえたという。これは京都人が優しいから起きる事象ではない。根本的に無関心だから起きるのだ。都であることを脅かす天変地異でもない限りどうでもいいのである。どんなに外野が大騒ぎしようと京都にとっては「乱」に過ぎないのだ。
もちろん京都の人々は伝統を守るために毎日神経を張り詰め、血の滲むような努力を続けている。そして、それぞれの理想を追いかけているだろう。それでも数年間横浜から京都に移住した僕の目から見れば、揺るがない在り方を持っているように思えるのだ。
帰りの新幹線のD席で、次に京都に行くときは何を食べようかと思いを巡らせた。あの笑みに出会えるならファミレスでもいいなと思った。でも、ファミレスは他県から来た大学生がバイトしてることが多いから、やっぱり手紙をいただこうか。京都まで行ったのに食べることばかり考えている自分が可笑しくなり、ふっと笑うと、どこに挟まっていたのか手紙の繊維が舌の上に飛び出してきた。まだ少し黒七味の風味を残していた手紙がこのまま千年在り続けることだってないとは言えない。
以上の文章は新文芸誌『GOAT』の開催する「手紙の味」をテーマにした短編文学賞に出そうと思って書いた。締め切りを勘違いしてnoteにあげることになった。
京都の食文化は遠目に眺めてみると不思議だ。懐石料理や精進料理がありつつ、パンやコーヒーの消費量は日本一で、他国の民族料理の店も至る所に散見される。
懐石料理は茶事の際に出される簡素な食事がその源流だ。質素倹約の考えのもと作られ、すべて提供されるのに数時間かかる。懐石から品数を増やし、時間も短くしたものが会席だ。現在では「京料理」というとき主に会席料理を指すが、そもそも「京料理」という名称は外野が宣伝のために作ったものだ。京都の人々が自分達でわざわざ冠に「京」の字を使うことはない。
精進料理は修験道や仏教から生まれた動物を食べない料理のことだ。がんもどきなど「もどき料理」が提供されるが、代替品で欲を満たしていたら修行にならないだろう、と思われるかもしれない。実は、戦国時代、京に上る武将達は宿泊施設として寺を利用していた。寺としても軍の宿泊さ貴重な財源なので、もどき料理で武将達の気を引いたのではないかと言われている。
京都はパンの消費量が日本一だ。その理由は明確に定められないが、サンドイッチや具材を挟んだり練り込んだりした「おかずぱん」は、職人さんが簡単に食べられるようにと、京都で発明されたと言われている。ちなみに僕のおすすめのパン屋は今出川通の「ル・プチメック」だ。
京都はコーヒーの消費量も日本一である。これは京都市の人口140万人中、14万人が学生であることに起因する。喫茶店でコーヒー片手に駄弁る人の割合が大きいのだ。京大の本部キャンパスと北部キャンパスの間に「進々堂」というカフェがある。人間国宝・黒田辰秋が制作した大机と長椅子が置かれる創業90年の老舗だ。コーヒーが飲めなくても訪れる価値がある。
京都の食文化というと「京野菜」が思い浮かぶ人も多いだろう。京野菜とは京都市周辺で作られる独特の見た目と味が特徴の野菜たちだ。野菜は鮮度が落ちるのが早いため、都市の周りで作る近郊栽培が盛んになる。そして、作られた野菜にはその土地の名前が冠される。例えば、聖護院ダイコンは聖護院で作られていた。九条ネギや賀茂茄子もそうだ。土地は変わるが、小松菜も東京の小松川界隈が発祥だ。今は市街地が拡張して別の所でも作られるようになった。
京都の食文化は古いも新しいも包摂する。今あるもののうちどれだけ千年後に残っているか分からないが、意外とほとんど残っているような気もする。もっと知りたい人には『京の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』(佐藤洋一郎、中公新書)をおすすめする。トピックが豊富で読んでて楽しい一冊だ。
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コンビと作家でやってるラジオでも取り上げさせていただきました。
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